第2話
「もう10時か……」
銀色の腕時計を見てぼやく。
別に家に帰りたいわけじゃない。
「どこにも居場所がない」というあいまいな嘆きは、住居さえも例外なく疎外感で彩っている。
それでも早足になっているのは、来る明日に早く備えよという本能に近い警鐘が鳴るからだろう。
まるで動物のように。
みじめだ。
入り組んだ小路を歩く。寮が住宅地にあるので、最初の頃は道を覚えるのに苦労したものだった。
明かりのほとんどない道。
ふと、この前観た心霊特集番組を思い出す。ああいうビデオが造られるには絶好のロケーションだ。きっと今幽霊なんかに出られたら、あっけなく呪い殺される自信がある。
仕掛けとしては、あの電柱の陰なんかどうだろうか。カメラを向けていると、ゆらりと揺れるものがある。ピントを合わせると、それは白装束を身にまとった髪の長い女で、撮影者が茫然としている間にこちらへゆっくりと近づいてくる。そしてそして……。
と、そんなことを考えながら歩いていたからだろうか。
電柱の横を通り過ぎる時に、
ちょうど陰になっていたところに目をやって、
心臓が止まるかと思った。
「ヒッ……」
のどまで出かかった悲鳴は、空気を含んだ小さなしゃっくりのような声として出された。
髪の長い女が座り込んでいる。
長い髪に覆い隠されているので顔はうかがい知れないが、髪が長いのとスカートを履いているのとで女だと思った。短いスカートの奥は闇に包まれていたので、惜しいと思った。
女が顔をあげた。
目が合った。
まず、幽霊ではないらしいと分かって安堵の息を吐いた。顔には生きた人間の生気が宿っていた。
しかし、着ている服がブレザーの制服だと分かった途端、別種の心配が浮かびあがった。
(高校生がまたなんでこんな時間にこんなとこに……)
全体的に大人っぽい子だと思ったが、やはり学生らしいあどけなさが街灯に照らし出されている。だから高校生だと思った。
しかしこの時間、健全な女子高生は帰宅している時間だ。部活をしていても8時には帰路についているだろう。友達と遊んでいたとしても、こんな時間まで出歩くのは感心できない。
それに、遊んでいたとしたらなぜ、ここで力なく座り込んでいるのだろう?
めんどくさいにおいがぷんぷんする。
ただでさえ自分のことで精一杯なのに、面倒ごとには極力首を突っ込みたくない。
だから無視しようと思った。
けど、――
(……そんな顔されると、なあ)
俺は自分の良心をあざけりながら、少女のほうに歩いていき、しゃがみこんで目線を合わせた。
「こんな時間に高校生がなにしてんだ?」
「……見りゃ分かるでしょ」
はじめて聞いた少女の声は、低く落ち着き、よく通った。
「家出か。この時代になって」
「別にいいでしょ。てかおっさんなに? ナンパ?」
「そんなことする顔に見えるか?」
「見えないけど」
失礼な奴だ。
「行く当てはあるのか?」
「別に……関係ないじゃん」
「大人としてほっておけないだろう」
「大人だから? 大人だからなに、子どもは言う通りにしないとってわけ?」
「言い方」
「だから大人は嫌いなんだよ……!」
吐き捨てるように言う。この年頃の、大人に対する反抗心と、それに伴う自分の無力感は、精神発達としては正常な方だろう。俺にもそんな時期があった気がする。まさか大人としてその反抗心を向けられる立場に立つとは思わなかったが。
「……とにかく、家に帰りなさい。親御さんが心配してるだろう」
「ママは彼氏と一週間前にどっか行ってから帰ってないけど」
うわあ、ナチュラルに地雷を踏みぬいてしまった。リアルネグレクト家庭と接触したのははじめての経験だ。
めんどうだと思うと同時に、放っておけないという義務感が芽生えるのを自身のうちに感じる。結局のところ、子どもは大人の導きがないと良い方向へ歩けないのだから。
「友達の家には?」
「つながんない。みんな寝てるか、外に泊ってるかしてるんだと思う」
俺は腕を組んで鼻から息を吐いた。万事休すだった。ホテル代を出そうにも、この時間にたった一人で泊まりに来た女子高生をホテルの従業員がなんと思うか分かったものじゃない。
かといってこのままはいさようならというわけにもいかない。それでは俺の寝覚めが悪い。
ここはやはり、ラノベとか漫画とかにある禁じ手を使用するしかないだろうか。
だが、断られたらどうしようとも思う。少なくとも悲しくなって大声で泣いてしまうかもしれない。俺が。
覚悟を決める。
「……うち、来るか?」
「え?」
彼女の目が驚愕で丸くなる。
「……いいの?」
今度は俺が胸をなでおろした。
「まあ、いいよ。うち一人暮らしにしては無駄に広いし。手も出さないから安心しろ」
「手出したらソッコー警察呼ぶけどね」
「防犯意識はしっかりしてんのな」
少女が立ち上がった。意外と上背があり、長身の俺より頭一つ分小さい程度だった。
やはり美人だと思った。高校生にしては完成されすぎている顔立ちと色香がある。そして儚さ。彼女のバックグラウンドの複雑さを物語っている。
「歩いてすぐだから。歩けるか?」
「当たり前でしょ。赤ちゃんじゃないんだから」
「そのうち歩きたくなくなる時が来るんだよ」
「なにそれ、売れないロックバンドの歌詞?」
中坊の頃にバンプに触発されて自分が書いた歌詞だとは口が裂けても言えなかった。
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