JKを家に泊めたんだが

黒桐

第1話

「おさきに失礼しまーす」


 時刻は午後9時をまわっている。デスクにかじりついて退勤する気配を微塵も見せない先輩たちに挨拶をして、俺は会社を出た。


 空を見上げると、一面に星が光っている。北斗七星くらいしか知らない俺でも綺麗だと思った。


「あれがデネブアルタイルベガか? いや分からんな」


 少し歩いてバス停に立つ。ほどなくして、今日の終バスがスピード超過気味に止まり、乱雑に自動ドアが開けられた。


 車内には俺以外誰もいない。がらんとしていて、エンジン音が低くうなっているだけ。鈍い照明の明滅と、運転手のけだるいアナウンスを乗せ、バスが動き始める。


 そうして最寄りのバス停に降り立つ。誰も乗せていないバスが、巣に帰るように走り去っていった。


(家に食材なかったなあ。コンビニで買ってくか)


 夜も深まる頃のコンビニは、店員も派手な髪色の女の子だし、客層も派手な髪色の人間ばかりだった。俺はなんだか自分が場違いであるかのように感じた。


 割引の弁当、カフェオレ、パック野菜をカゴに入れてレジに並ぶ。


「そういやさ、ヤッチと杉本別れたらしいぜ?」

「え、マジすか? うわー、知らんかった」


 前方では、地元の顔見知りらしいDQNの店員とDQNの客が内輪トークで盛り上がっている。後ろに並んでいるのがさえないサラリーマン一人だけだから、「まあいいだろ」と思っているのだろう。心の中で舌打ちをした。


 やっとジモトークが終わって前の客がはけた。俺はオレンジのかごをレジに載せながら「セッターの10ミリ……64番ひとつください」と言った。店員は「えーっと」と言いながら手を迷わせ、ようやく銀色のケースを手に取る。7ミリだったが、訂正するのも面倒だったので黙って俺は品物を受け取った。


(DQNなんだからタバコの銘柄くらい分かるだろ……)


 心の中で毒づきながら店を出る。




 六月の夜は蒸し暑い日と肌寒い日がある。今夜は蒸し暑い。3年前の就活の時に買った紺のスラックスが汗で膝裏にへばりついていて不快だ。


 店の前には、コンビニの電光に照らされてアベックが一組いた。高校生らしい彼らは、人目もはばからずにイチャついている。明日を、幸福を信じて疑わない様子だった。六月の蒸し暑さよりも不快だった。


(ったくリア充が……シャンプーとボディソープ間違える不幸に遭え)


 買ったばかりのタバコを一本取り出し、火をつける。一息吸うと、脳がクラクラとするような目まいが訪れ、一瞬外界の感覚入力が薄れる。

 口から吐き出した煙は、幻のように夜の闇を背景に立ち昇り、そして消えた。


 それにしても。


 俺はアベックをちらっと見やりながら思う――確かにあったのだ。俺にも、あんな時期が……根拠もなく明日があると信じ、世界は結構優しいんだと信じ、自分が特別なんだと思っていた時期が。


「……確かに、あったんだ」


 俺はどうしようもない閉塞感を感じた。大学生の頃から漠然と感じ、社会人になってからはっきりと輪郭を持って俺を押しつぶそうとしてくる、八方ふさがりだという感覚。自分が特別じゃないことがわかったことでの世界認識の変化。


 そして――高校二年生の夏の、あの出来事。


 やるせなさから逃げるように。

 世界に否定される恐怖を忘れるように。


 俺はタバコを、祈るように、深く吸った。


 どれくらいそうしていただろう。

 何本もの吸殻が捨て場でくすぶっている。全部俺が独りで吸ったらしい。

 額には嫌な脂汗が浮かんでいる。


 暑い。


 吸いかけをもみ消して捨て、レジ袋を持ってコンビニを離れた。

 アベックはまだ幸せを分かち合っていた。

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