劇場を探索せよ(1)

 うっすら肌寒い風が自分の体の隙間を縫うように流れる。地面に生い茂る背の低い雑草を踊らせて、どこでもないところへ吸い込まれては消え、また流れる。そんなものを視界に含ませつつ、湊は劇場を見上げた。

 

 劇場ならば、メトロシティのストリート沿いにいくつも点在しているため、めずらしくはない。こういったスケールの、言わば旧時代の劇場が珍しいのだ。わざわざ広大な公園の敷地内に建造され、円柱をアイスクリームディッシャーでくり抜いたような造形のそれは、何も言わずにその場に佇みこちらを見下ろしている。とっくに役目を終え、風化して砕けたコンクリートが砂塵となり、音もなく風にさらわれ流され消えるのを見ていると、どことなく自分の末路を見ているような気がして湊は視線をそらす。その先に笠原が立っており、こちらを恨めしそうな顔で見つめていた。意図に気が付いてはいたが、わからないフリをして首を傾ける。


「俺は現地に来る必要ないよな? ガレージから参加でいいと思うんだが」

 苦虫を噛み潰したかのような声色で笠原が口を開いた。"俺は"の主語を強調させたようにも聞こえる。湊はわざと舌をだしておどけた。笠原が現地に来たがらないのは、湊も良く知っていた。彼は見た目だけでいうと、インパラとヒョウで例えるならば明らかにヒョウである。狩りのできないヒョウといえばいいのか。その通り、全ての攻防が不得手である。もちろん得意である必要もないし、本人がまったく攻防の手を取らないわけではない。ただ、それを見たときに湊が「拓は武器を持ったり下手に逃げ回ったりしないで、素直に助けを呼んだほうがいい」と告げたことすらある。この4人の中では最弱だと湊は思っていたし、本音を言うと笠原はガレージに居た方が良いと思っていたが。それを言葉にするのにも、どうにもまとまらず、ふわふわしたいくつものワードを自分の頭の周りで衛星のように漂わせながら、湊は舌を引っ込めて告げた。

「仮にもウェティブがデータ転送してた機体から割り出した場所だろ? 何も起きなきゃそれでいいんだが、何かできたらおまえの情報が頼りになるんだから我慢しろ」

「俺は劇場内には行かないからな」笠原は諦めたような声色でそう言った。小石を蹴飛ばしながら車のトランクへ向かって行った。文句が言いたかっただけで、準備はきちんとしているらしい。


 そんな二人の様子を見て、黒澤は不安な気持ちを募らせつつスリンガーを左腕にセットした。ベルトのポーチからグレネードを一つ取り出して装着させる。一見すれば、左の手の甲に飾りを乗せただけに見えなくもない。高見が、よりすっきりとしたデザインに改良してくれたのだ。その高見は、車の中で、独り言だろうか。なにかぼやきながら通信機器のセッティングを始めている。黒澤は昨晩のミーティングの内容を頭の中で反芻させる。この場所、侵入経路、確認項目…。


 それにしてもほんの二日前に、伊野田に成り代わった違法オートマタを破壊し、高見と笠原が解析した結果、この場所が割り出されたわけだが。なんの変哲もないただの劇場だった。時間の経過の所為か装飾や柱が欠けている箇所も見られる割に、その外観はしっかりと形を保っていた。劇場らしい重厚なデザインである。メイン扉の上には最後の公演だったのだろう。垂れ幕がかけられたままで、女優の横顔にフォントが飾られたシンプルなものだった。彼女がいつの時代の女優かも自分にはわからなかった。


 演劇かミュージカルか…そんなことはさておき、黒澤は自分の端末から図面を展開させる。目の前に浮かび上がらせると、車から戻って絶望的な顔(に見える)でしゃがみこんだ笠原を置いて、湊がこちらに歩いてきた。黒澤はそちらを見もせず口を開く。

「真昼間から敵の拠点に乗り込んで、しかも正面玄関に車付けるなんて、なかなか強気だな」

 ほどほどな嫌味である。湊の余裕に対しての嫌味であるのだが。そう、自分は少し余裕がない。その自覚はあった。

「もしここが本当に違法の拠点なら、おれ達がここに向かってる途中で警戒してるよ。それで何もしてこないってことは、わかってて待ち構えてるってことだ。相手さんにはとっくにバレてるよ。おれが違法オートマタだったら、衛星にハッキングして、監視カメラから車のナンバー割り出して、人物の特定くらいするかもな」

「なぜわかる?」

「経験」

 ただそれだけをぴしゃりと言い放ち、湊は口をつぐんだ。真剣な面持ちで図面を眺めている様子を伺うと、まともに仕事をする気はあるらしい。どうにもつかめないこの男の挙動に黒澤は少しの苛立ちを、いや緊張をしていた。いざ違法オートマタに向かって行く分には、非常に連携を取りやすい相手ということは既にわかっているのだが。それ以外の彼を見ていると、そこに居るのか居ないのか、人間なのかそうでないのかすらわからなくなってくる。

 

 つい先日、突然やって来て人のガレージで一通り暴れた後、チームメイトと思っていた奴が人間でなく違法オートマタであったことが分かった。そして湊たちは予想外の話をはじめ、そのうえで協力を求められた。当然ながら混乱した。


 報酬の値に左右される自分もバカバカしいことこの上ないが、タイミングよく事が動きすぎて、誰かに騙されているような感覚になっている。そんな状態である。笠原と湊が馴染みの関係ということは解るが、琴平という男と湊がどういった関係性なのかは、ほぼ不明だった。親子で無いことは確かだが(二人はまったく似ていない)、どちらかが雇い主ということでもないだろう。わかっているのは、琴平が笠原工業から湊を連れ出したということだけだ。彼らはそれだけしか話をしなかった。


 とはいうものの、今回は琴平に雇われた立場であるし、彼らともこれきりの仕事だろう。そう思いなおして黒澤は深呼吸をした。だがその、琴平が依頼してきた仕事だからこそ厄介なものであると、黒澤と高見はまだ気が付いていない。湊は劇場の外観を眺めて嘆息交じりに言葉を吐き出した。

「妙な感じがする。だから拓にも来てもらったんだが。オートマタはいるにはいるんだろうが、おれの知っている空気じゃない」

「なかなか、不安を煽ることを言うな」

「なぁ、電磁、スモークグレネードとボウガンと拳銃以外に何の装備がある?」

湊は鋭い目線を黒澤に浴びせた。それがいつもの装備だと説明すると、湊は手で顎をさする。秒。

「ふむ…。念のためこれを渡しておく」

湊はそう言って、ポーチからペンのようなものを取り出して黒澤に手渡した。両手で確かめるとそれは、起動すると姿をくらましてくれるホログラムシールドだった。

「なんでシールド?」

 自分より笠原に持たせたほうが良いのでは、という考えを飲み込み、彼は訊いた。湊はそれよりも、黒澤の根底にある思惑を汲み取って告げる。

「この空気の中で、おれたちがあんたらガレージを陥れようとしてる…なんて考えを持ってるならそれは早めに捨ててくれ。いちおう、おれは、あんたには敵わないが仕事に関しては真面目だ。あんたの腕を見込んでそれを渡しておくよ。あんたが折れちゃ、おれが動けないから」

「言ってくれるな」黒澤はそれを受け取り、湊を睨み返した。丸い瞳に鋭さを添わせて。

「射程に入ったら問答無用で撃つからな」

 湊は半眼でそれを聞いて、険悪に口元を吊り上げらせた。すぐ真顔に戻った後、準備を済ませるため(笠原をなだめるためでもあろう)車に一度向かってから黒澤に合図をする。向かうぞ、と言うことだろうか。話せよ、と黒澤は思う。

「おれのタグが鳴らないことを祈っててくれ」

 湊は冗談交じりにそうぼやいて、劇場へ向き直った。

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