ウェティブの話(2)

「元気?」と声をかける。広い工場に音がこだました。すると、温度が抜けたような声が聞こえて来る。機械の自分が思うのもおかしなことだが。

「まだそんなところで油を売っているの?」

「? 油は売ってないけど、たまに必要だからどっちかっていうと買うほうかな」

 通信相手は冗談と捉えたようで小さく笑ったようだった。顔が見えないから定かではないが。相手は気を取り直したかのように、しっかりと芯のある声色で告げた。


「いつになったら目標を捕まえてくれるのかしらね」

「なかなか難しいんだよ、彼を捕まえるのは」

 とても大袈裟な口調で返事をする。わざわざ手を開いてみたりもする。

「あの人って、ぼくたちの動きが読めるだろう? そんな機能、いや特徴っていえばいいの? が搭載、いや身についているなんて、やっかいもやっかいだよ。近づいたら察知されちゃう。困ったものだよ。だから、今回はIDを奪って、取りに来てもらうことにしたんだ、それに、こないだの一掃作戦のお返しをしなきゃ。あれでだいぶ壊されちゃったからね。ぼくの分身に成りうる違法オートマタを」


「本人を直接攻撃するんじゃなかったかしら」

 彼女はゆったりとした椅子から離れ、進んだ窓辺に体を預けた。社長室は高層ビルの中層階に位置しているが、それでも眺めは良い。あいにくの曇り空だが細長い目を更に細めてネオン街を見つめた。


「そうするつもりだったけど、笠原工業の人達が横槍を入れたせいでうまく行かなかった。それに本人には人間を差し向ければ勝手に折れてくれるだろう」

「じゃあ、さっさとお付きの琴平を止めるのね」ブラインドをぱしりと爪ではじく。お気に入りのデザインネイルを掲げて満足げに口元を緩めた。爪が伸びてきたからそろそろデザイナーに連絡する頃か。


「彼がいちばんの障害でしょう」

「琴平を狙えばいいって? 冗談よしてくれ。高性能の違法オートマタが何機必要だと思ってる。何機あっても足りないよ」

冗談交じりに彼は口を開いた。


「ねぇ、あなたなりに考えがあって動いているのはとてもいいことだと思うの」

彼女はソファまでゆっくりと移動しながら、優しい口調で告げる。

「でも、ルールがあるの。大人の世界のめんどうな決まりごと。あなたが自由に動けるのは、こちらがベースの機体を提供しているからってことを忘れてるんじゃなくて? その手続きをするのに、会社のルールをいくつ捻じ曲げてると思ってる? 自ら進んでリスクに飛び込むことは控えて欲しいのよ、あなたの不始末を隠すのが大変なのよ?」

その言葉とは裏腹に、彼女はソファに腰掛けて足を組み、端末を開いた。ネイルデザイン一覧を楽しそうに眺めている。


「隠すといえば、社長、ぼくに隠し事してるでしょう。笠原工業のデータに接続できるぼくには無意味なことなのに。新しい機体を造ってるよね。一掃作戦の時にぼくがデータ転送できない機体があったんだ、おかしいことにさ。隠すなんてひどいよ」

 いくつか気に入ったデザインにチェックを入れながら、彼女はわざと間を置いて返事をした。

「…あなたが未完成の機体にデータ転送して、本体データが破損しないか心配だったのよ」

嘘だ。


「そんなウソつかなくても大丈夫だよ、協力しあおうじゃないか」

それは工場のガードに指を這わせて面白がるように告げた。

「協力しあっているはずだと思ったんだけど、きちんと話し合わないといけないようね」

「ねぇ、なんでぼくがわざわざこのIDを奪ったと思う? あいつが嫌いだし、社長が隠している機体を探すためだよ。ぼくにあいつを捕まえてほしけりゃ、そろそろ教えてくれない? あいつの特徴を、能力っていばいいのか。それを上回る性能がぼくにも必要なんだ」


 彼女は渋って見せた。頭の中でカウントをする。

「仕方ない…。当然、使えるデータを残せるんでしょうね」

 窓の外を睨みつける。これもフリである。

「新機種のマップデータを送る。機体の残骸を業者に売った場所だから残っているはずよ。見に行ってみたらいいわ」

「待ってるよ、今日はもう仕事を終えて時間があるんだ。すぐに向かえる」

「それはよかったこと。期待しているわ、ウェティブ」


彼女は通信が切れたことを確認して髪をかきあげた。

(思った通り食いついてくれちゃって…)

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