湊と名乗る羽目になった男の話(1)

「ん、悪くないな」


 腹ごしらえを済ませ、シャワーを浴びた頭をタオルでがしがしと拭きながら、思わず独り言をぼやく。着替えを済ませて、試すように体を動かしてみる。重たく感じるが状態は悪くなかった。


 体も特に軋まないし、注文した義手も試した。無骨な作りだが、それ自体が端末の役割も兼ねているので、デリケートだが使い勝手は以前より良くなった気がした。きみは熱を帯びた体を冷ますようにベットに腰掛けた。そのまま背中から倒れこみ、体を預ける。病院からはすでに退院許可が出ている。というより、追い出された感覚に近い。


 タグのせいだろうと思い、義手の手のひらを上方向にスライドさせて、モニタを浮かび上がらせる。そこに今の自分のIDが表記された。湊という人物の、本来は存在しない架空の人間のものだ。精巧な偽造IDだと、琴平が言っていたのを思い出す。一通り眺めてからきみは、湊は手のひらを閉じ、モニタをOFFにした。


 自分とは一体何だろうか。もともと、どこの誰かわからない細胞がくっついてできたものに伊野田というラベルを付けたものが自分だった。ただ20数年、生きているだけ。

 この年齢の一般的な成長レベルに自分が追いついているとも思えない。普通に生きることを一旦諦め、変わりに歯向かうことにした。自分を示すものは正直それだけだった。


 それが剥がされて今は全くの別人になっている。体のどこかを付け替えたわけでもないのに不思議だ。突然、IDを付け替えられたと言われても実感もわかず、怒ることすらできなかった。自分に厄介ごとが降りかかったとはいえ、特別何かが変わったわけではないからだ。今、自分が困ってはいないから実感がない。ということは、自分など初めからいないのではないかという考えも湧いてきて、彼はかぶりを振った。

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