空に広がる火花

 オレンジ色の光に照らされた病室の中。僕の恋人の京子はベッドに横たわり、口元に呼吸器がついていた。僕は丸椅子に座って、彼女のことをじっと見ていた。

「私、もうじき死ぬのね」

 彼女はかすれた声を出した。僕はただ彼女のことをじっと見ていた。悲しいや苦しいという感覚はなかった。ただ目の前にいる彼女がこれから消えていくのだという認識があるだけだ。

「もしかしたら助かるかもしれない」

「冗談言わないでよ」

 彼女は苦しそうに少し笑った。

 僕は目線をそらして、窓の外を見た。季節は冬で外は昼間なのに薄暗い。葉の落ちた木々が等間隔で並んでいる。僕はもうじき死ぬ彼女に何を言えばいいのか考えた。そしてもうじき死ぬのだから、何を言っても意味がないだろうなと思う。

「死んだらさ、天国ってあるのかな?」

 彼女は少しおどけて言った。

「きっとあるよ。日本風に言えば極楽浄土かもしれない」

「私、念仏唱えていないわよ」

「阿弥陀如来も細かいことはきっと気にしないさ」

 僕らは病室の中でただ時が経つのを待った。彼女は残り少ない人生についてどう思っているのだろうか。しばらくすると彼女は眠りについた。僕は彼女に出会えてよかったなと思い病室を後にした。

 それから彼女は意識を失った。僕は彼女の面会に行けなくなった。もう少し意味のある会話をしていればよかったなと少し思う。

 最後に話してから二週間後に彼女は死んだ。僕は喪服を着て彼女の葬式へ行った。棺桶の中の死んだ彼女を見て、僕は誰しも死ぬのだなと実感した。

 ふいに頭の中に、彼女と行った旅行のことが思い浮かぶ。僕らは旅館に泊まって、その日の夜、偶然花火を観たのだ。とても大きな花火を観て、彼女は笑顔だった。僕はその時、話したことを鮮明に記憶していた。


 彼女と出会ったのは十八の夏だった。僕は大学に入学してから、大学の図書館に寄るのが日課になっていた。僕はそこで様々な小説を読んだ。友達は数人しかいなくて、部活やサークルには入らず、塾でアルバイトをしていた。僕は大方の時間を一人で過ごし、そして一人でいることに満足していた。僕はあまり友達に興味を持てないし、みんなで遊ぶことも特別楽しいとは思わなかった。それよりもこうして一人で本を読み、窓から吹き込む風に懐かしさを感じている方がずっとよかった。

 そんな生活を大学に入ってから続けていたのだが、京子が僕に声をかけてきたことで、僕の生活習慣は大分変った。

「こんにちは」

 僕が本から目を上げるとくりくりした目の小柄な女性が僕に話しかけてきた。

「こんにちは」

 僕は返事をした。

「同じ学科の佐々木君でしょ?」

 彼女は僕の前の席に座った。

「そうだけど」

「中村君って君の友達でしょ? 私、彼と仲がいいのよ」

「中村と友達だったんだ」

「それで、中村君が君はおもしろいやつだから声かけてみればって」

「そういうことか」

 僕は本から顔を上げたまま、小声で彼女と話していた。彼女が京子だった。中村という僕の友達が京子に僕を紹介したのだ。

 僕らは図書館を出て、大学の中心にあるカフェテリアへ行った。京子は僕に高校生の頃のことや、最近の大学での人間関係のことなどいろいろな話をした。そして僕がそれに対して何かを話すようになって、僕らは日が暮れるまで会話をしていた。

「この後バイトなんだ」と僕は言った。

「一緒に帰りましょうよ」

 京子は笑顔だった。


 京子が初めて僕のアパートに来たのはその年の冬のことだ。僕は十九歳になっていた。僕の住んでいる部屋は八畳のワンルームだ。布団と本が散らばっていて、小さな白いテーブルがあった。京子はコートに厚手のジーンズを履いて僕の部屋に来た。

「お邪魔します」

 彼女は僕の部屋に入った。

「なんもない部屋だけど」

「本当に必要なものしかないわね」

 彼女は笑っていた。

 僕と彼女は部屋でビールを飲んだ。僕は宅配ピザを頼んでいた。二人でピザを食べながら、ビールを開けていった。

「すっかり冬になったわね」

 京子は部屋を見渡しながらそう言った。

「そうだね」

 僕は缶ビールを一口飲んだ。アルコールの酔いを感じた。

「いつか、あなたと旅行に行きたい」

 彼女も缶ビールを飲んだ。

「一緒に?」

「そう。一緒に」

「付き合うってこと?」

「まぁ」

 僕らはそんな感じで恋人同士になった。僕は彼女と過ごしていると楽しかったし、彼女もそう思ったのかもしれない。

 僕らはピザを食べて、ビールを飲んだ後、ベランダに出た。外はとても冷たかった。

「寒いね」と僕は言った。

「そうね」

 彼女は僕の体に自分の体を傾けた。彼女の体の温かさを感じた。


 大学を卒業するまで、僕と京子は一緒に講義を受け、同じゼミに入り、休みの日は一緒に遊んだ。

 彼女はいつも明るくて笑顔だった。僕はこの先もずっと彼女と一緒にいるのだろうと漠然と思っていた。それくらい僕らは気があった。

 大学四年の夏に、僕らは京都に旅行に行った。京都は昔ながらの風景でとてもいいところだった。

 京子と僕は旅館に泊まり、温泉に入った。夜に花火の音が聞こえたので、川沿いまで歩いて行った。

 大きな丸い花火が河原から見えた。

「ねえ、佐々木君」

 彼女は僕の手を握っている。

「何?」

「私ね。今すごく満たされた気分」

「そうなの?」

「今まで生きてきた人生の中でね」

「まだこれからも人生は続くよ。僕らは半分も生きてないんだから」

 僕は無意識のうちにそんなことを言っていた。

「なかなか悪くない人生だったと思うの」

 彼女は当時、自分の病気に気づいていたのだ。大学を卒業してから、彼女は入院し、そして息をひきとることになる。

 赤い花火が暗い青い空に広がっていく。辺りを轟音が響き渡る。火花は空一面に広がる。そして穏やかに消えていく。また地面から火の玉が空に打ちあがる。今度は緑色の花火だ。彼女はとても幸せそうに空を見ていた。僕は彼女の手を握り返した。

 

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