八月
幼馴染の京子と花火を観たのは高校三年生の八月だった。京子は浴衣を着て、僕はTシャツに短パンで夏祭りに行った。りんご飴やたこ焼きを買って二人で食べて、花火の音がすると高台へ向かった。カラフルな花火が打ちあがっては消えていった。
僕は実家の部屋の中で小説を読みながら、時間をつぶしていた。小説のタイトルは「花火を観た後で」という数年前にベストセラーになった本だ。部屋の中はエアコンが効いていて涼しい。窓の外には緑の稲の田んぼが広がっていて、遠くには山が連なり、路肩には大きなひまわりが咲いていた。東京で大学に通いながら、僕は二十歳になった。
「おーい。中村くーん」
窓の外から声がした。黄色のTシャツを着た京子が玄関の前に立っている。
「今行くよ」
僕は返事をして、階段を下りて、玄関で靴を履き替えた。
「久しぶりね。去年の夏から連絡がなかったから心配してたのよ」
京子は僕の目をじっと見つめている。去年の夏、東京に帰った頃から、僕は原因不明の疲れに悩まされ、大学をしばらく休んでいた。その体験はずいぶん奇妙なもので、僕は今まで生きてきた世界が変わってしまったような気がしたのだ。今まではもっと世界というのは常識の中にあって、そして居心地がいいものだった。
「ちょっと去年体調を崩してね」
「大丈夫?」
「まぁ大分元気になってきたよ。京子は元気にしてた?」
「私は相変わらず元気よ」
僕は京子のことを眺めていたが、昔のように親しさを感じなくなっていた。昔は大切な人だったのに、今は他人の一人のような気がするのだ。
僕らは河原まで歩いた。京子は笑いながら、僕に彼女の大学生活のことを教えてくれた。僕は相変わらずうわの空で話を聞いていた。
見ている景色もどこか簡素なものに思える。高校時代に見たあの景色の美しさは消えてしまったのだろうか。
「なんだか、中村君ちょっと痩せたみたいね」
ふいに京子は僕にそう聞いた。京子はその言葉を意識的に話しているのだろうか。それとも日常の中のルーティーンのように無意識から出た言葉だろうか。
「痩せたかな? 最近まであまり食欲なかったからね」
「そうだったんだ。病院は行ったの?」
「内科にも行ったし、精神科にも行ったし、神経科にも行った。結局何が原因かはわからなかった。でも最近は疲れがとれて元気にしてたよ」
僕は体調を崩してから、この奇妙な現象が一体何か知りたかった。でもどこへ行っても、誰も教えてくれなかった。
僕らは河原に座り、川を眺めた。僕らは何も話さず川を眺めていた。
「こうしていると高校生の頃を思い出すわね」
空には太陽が輝き、夏の熱気とともに風が吹いていた。
「あの頃もこうやって河原に来たよね。学校帰りだったかな」
僕は高校生の頃に感じた感覚を思い出して、少し切なくなった。もうあの頃のような世界はやってこないのではないかと。
僕らは夕方になるまで河原にいた。空はオレンジ色に輝いていた。僕はふと河原の草地を眺めた時、いつか昔のような、いや昔以上の郷愁的な感覚がこれから訪れるだろうと期待した。
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