第10話 音楽(3)第二章 限りなく無機質なフェティシズム
第二章は立ち上げの時はずっと砂原良徳を聞いていたと思う。
特に2ndアルバム「LOVEBEAT」。
表題曲がすごいんだよね。テクノだからミニマルで、同じリズム、テンポ、調でずーっと同じところをぐるぐるしているんだけど、実は一小節も同じものが無い。地道に丁寧に音を足し引きしていくうねりだけで一曲聞かせる。一音一音がものすごくストイックに作り込まれていて、強弱やタイミングが神憑り。それが洸一の端正なスケーティングのイメージに重なった。
“LOVEBEAT”のMVでは幾つもの四角が増減、伸縮を繰り返し、突然立体的になったり弾けたりする。あれが円になったら自在なコンパルソリーというか、一人きりの屋内リンクで勝手気ままに円を描き続ける洸一のスケートの原点だな、という感じがした。
洸一はフェティシストなんですよ。氷という物質への崇拝がある。二章を書いていて、洸一はヘテロではないかもなという感じはずっとあって、だからといってゲイなのかというとそれもハッキリせず、じゃあアセクシャルか? いや、そういうの全部いったんおいといて、フェティシストだろう、というのが今のところの私の判断。無機質なフェティシスト。うーん、いかにもキャラクター然としすぎな感はあるが。
ともかく、テクノだけだとエモが足りない。エモの起伏が無いと、キャラクターに変化を与えられない。
悩んでいたところ、spotifyがサジェストしてきたのがサカナクションだった。
私はデビュー当時サカナクションをよく聞いていたのだけど、“バッハの旋律~”あたりからちょっと違うなと感じ、長らく遠ざかっていた。
確かサカナクションのREMIXを砂原良徳が手掛けていたんだよね。
それで久しぶりに“ネイティブダンサー”を聞いてみたら、これがドンピシャ。
またMVの話になってしまうけど、あの踊る足元のスニーカーだけを映すやつ。あれのスケート靴バージョンを書くしかない、絶対に書く、と。そこからはもう一気に書けた。
サカナクションの音楽は、書きあぐねていた私のまさに救世主で、一曲一曲が本当に第二章に深く根付いている。それもあって、二章のエピソードタイトルにはサカナクション由来のものが多い。「ルーキー」、「ネイティブスケーター」(ネイティブダンサー)、「旧世界」(新宝島)、「二年」(years)あたりがそうかな。
一番深くインスピレーションを受けたのは、“ミュージック”という曲である。あれが無ければ私は橋の上で川の流れを見つめながら、涙をこぼしてワガママな自分のスケートを取り戻しに行く洸一を生み出すことはできなかった。というわけで、これからあの場面を読む人は是非“ミュージック”を脳内で流してください。
……というのは嘘で(?)、あそこで実際に洸一自身の脳内で流れているのはbjorkの“I've seen it all”である。
洸一のフリープログラムがbjorkというのは、自分でも意外な着地点だった。
フィギュアスケート小説を書こうと思った当初から、いつか絶対にbjorkをプログラムに使うスケーターを出したいと思っていたけど、そのイメージはほとんど女性だった。bjork自体、すごく女性性が強いアーティストだし。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という陰鬱な映画も、女子スケーターが主人公のセルマを演じるならまあアリかなという感じで。でも、“I've seen it all”のbjorkの声の伸びは本当にすごいんだよね。あのどこまでも伸びていく声に、洸一のスケーティングを重ねたいと思った。リンク一面使ってイーグルで滑り抜けてくれよ、と。“Cvalda”のタップダンスっぽい動きも氷上で映えそうだしね。
余談だが洸一のエキシビは“Hyper-ballad”という裏設定がある。暗闇の中、色とりどりのネオンがぱちぱち光って、そこをシンプルな衣装を着た洸一が駆け抜けていく、それもジャンプ無しでひたすらスケーティングで魅せる、そういうイメージがすごくある。刀麻はどっちかというとLFOの“Freak”とマッシュアップしたバージョン。VOLTAツアーのやつ。だから何という話だけど。そもそもここ自体が、だから何という話をする場なので……。
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