ナタ

 ロボットの知能というものは、人間が造っている限りは出来ないだろうとされているが、実際のところ人間の感情だってそれまで培ってきた人生から得られたものである。これらを数値として入力すれば、知能に類するものが出来るのではないか、というのが私の考え方である。


 私は20歳になってから50歳に至る今まで、私の知る感情を日々、自作のロボットである『ナタ』へと入力していった。といっても、入力するための手順はいくらでも自動化が出来る。マイクから音声データを取得。入力された音声をその声量や高低、スピード等を分析して喜怒哀楽その他の感情として数値化したものを、常に受信させた。ナタは10年ほどで、ほとんど人間のような口調で話し始めている。入力されているのは私の音声だけではなく、私と話した誰かのデータも同様に入力した。知識に多少の偏りはあるが、日常会話ならばそれほど苦労しないはずだ。


 ナタにはボディがある。こちらも、私の挙動を元に設計してある。30年前

の私を採寸して作ってあるため多少の誤差があるが、それらを補正するプログラムを組み込んであるので問題はない。こうして、ナタは私の助手として誕生し、30歳になった今日、私以外の人類の前に初めて立つ事となる。外装を専門の業者に依頼してしつらえたボディは毛穴の一つ一つに至るまで精巧に作られていた。瞬きのタイミングも小鼻を掻く癖も、声や考え方もほとんど私と同じであるナタは、学会に歓迎された。足元がやや覚束ないが、これは整備不良や技術の至らなさではなく、私のクセである。それを皆よく知っているので、階段を上り損ねてやや転びかけた時には笑いが起こったが、開発者としては冷や汗ものであった。そうそう壊れるようには作っていないが。


 ナタは壇上で自身の事を、私と同じ口調で話した。論文そのものも、私が添削したものの、おおよそナタが自分で書き上げたものである。それを明かすと、会場にはどよめきが起こった。人間がロボットを評価する時、意識的にしろ無意識にしろ、いくらかの補正が入る。『ロボットの割には』というものである。ロボットの割によく出来た論文はおおよそ高評価であった。研究所に帰ると、ナタは私と手を取り合って喜んだ。それから、ロボットの割には、という部分に少し憤った。ナタの書いた論文は人間の書いたものに遜色ないと思っている。そうナタに伝えると、ナタは、当たり前だ、と言った。人間と同じだけ、30年も生きているのだから、と。


 祝杯をあげよう、とどちらからともなく言った。私は、冷蔵庫に入れた高品質のオイルと、美しい切子細工のグラスをふたつ手に取った。たぽたぽ、と注ぎ入れる。鮮やかな琥珀色のオイルがとろりと注がれたグラスをナタに渡すと、そっと乾杯をした。おめでとう、ナタ。おめでとう、タロス博士。そう言って私とナタは、腹部の外装パーツを開け、ストロー代わりの充填用ホース引き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る