おひめさま

 ここは静かな野原の真ん中。ぼくは眠くて眠くて、だのにどこも人がいて声がして、ちっとも寝られやしないからどこまでもどこまでも歩いてきたのだ。一晩中歩いてようやくたどり着いた野原は静かで、ふかふかと足元に茂った規律正しい雑草にはあさつゆがたっぷりと冷えていて、どさり、と寝転ぶとパジャマを端から端まで濡らしたけれど、夏の日だもの、とても涼しくていい気分。太陽が上り切るまでまだ少しかかるかしら。ひよひよひよ……とどこかで鳴いている虫と、ほうほう・ててーと物騒に唸る鳥の声に耳を傾けながらうとうととしていると、遠くの方からざっざっざっと喧しい音がして、ぼくは慌てて飛び起きた。


「いやだ!死んでいるかと思ったのに!」

見ると、前開きのももいろのネグリジェを膝まで濡らした、一番嫌いな感じの、喧しい女の子が、走ってきた割には疲れた様子もなく、ずんと立っていた。黒く長い髪の毛は墨のようで、真っ赤な唇と、真っ白な肌、それに、ぽっぽと血色ちいろの頬をしていて、とても可愛らしい姿をしていたけれど、手に持った変なぬいぐるみはもうかわいそうなくらいにぼろけていて、片目の糸が伸びてボタンがゆるゆると揺れていたり、腕もちぎれてしまいそうで、それをみただけでもぼくは、ああ乱暴しいなのだろう、といやな気分になった。


「死んでいたら、目覚めのキスをして、わたしたち結婚するのよ!あーあ、損してしまったわ!誰にも先を越されないように走ってきたのに」

「静かにしてよ。ぼくはこれから眠るのだし、きみなんか知らない。結婚なんてしないよ」

「相手の顔を知らないまま結婚なんて、よくある話じゃない」

話し方も考え方も乱暴な女の子だ。ぼくが大きくため息をつくと、その子は隣にどさりと寝転んだ。少し腕の先が当たって、対して痛くもないけれど、当たった事にいらいらしたぼくはすぐに立ち上がった。髪の毛からはらはらと雑草が落ちる。

「きみがこれから眠っていればいいのさ。そうしてきみが追い越されると思っていた誰かに、キスしてもらえばいい。ぼくはきみみたいな女の子、だいきらいだけどね」

「それ、いい考えね」

途中までしか聞いていなかったのかもしれない。ぼくが話し終わるよりやや早く賛成した女の子は、もう寝たふりをしたようだった。


 ぼくが文句を言おうが、無視をした腹いせにびんぼう草をたくさん摘んできて、寝ている周りに並べようが女の子は目を開けなかった。そのうちほんとうに眠ってしまったのだろう。静かになったうるさい女の子に、いい加減呆れながらぼくはお家に帰った。結局眠れなかったな、とぼんやりしていると、お母さんが部屋に来て、朝のマーケットで買ったという絵本をぼくに寄越してきた。


 古めかしい絵本に見えたけれど、どうやらそう見えるように作った真新しい本らしい。表紙にはくすんだ金色で、白雪姫と書かれていた。そんなもの、とうに読んでだいたいの話を知っている。飾り物として買ったのかと中を開いてパラパラと眺めていてぼくはぎょっとした。物語の後ろの方で、眠っている白雪姫。さっき見たとてもいやな女の子がそこに描かれていた。あの哀れなぬいぐるみも一緒に。僕は慌てて始めの方から順に読んでみた。すると、意地悪でないおきさきさまが産んだ子供は、今度は僕にそっくりだった。ちょうどいのししが代わりに殺されたくらいで、あの女の子と入れ替わっていたのだ。どおりでずうずうしいはずだ、と僕は笑った。あの野原は、次の夜に探しにいっても、もう二度と行くことはできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る