小雪くん

 小雪くんは名前の通りに真っ白で、手足が冷たくて、ついでに態度も冷たい。昨日目の前で盛大にすっ転んだのだけれど、大丈夫?の一言すらなく、邪魔そうに避けて何処かに行ってしまった。なんという事だろう。普通の人は大丈夫?とか手を差し伸べたりとか、そういう事をするだろうに。でも、そうしなくても恐らく人生に何ら障害がないのだろう。そのくらい、美しかった。


 小雪くんが通りかかると空気が少し冷たくなる、というのは、三年一組の常識だった。もちろん小雪くんは人間で、そんなことがあるわけない。ただ、あの微笑みすらしない、無口で冷酷な小雪くんが近くを通るたび、皆んなが一瞬黙ってしまうのだ。それは何も小雪くんが恐ろしいから、だけではなく、あまりにも美しくて、見惚れてしまうから、のようだ。皆んなはそれを認めない。大抵は何事もなかったかのように会話を再開するか、あるいは、感じ悪い、だの、こわーい、だの悪口を聞こえよがしに言ったりする。小雪くんは、椅子に座っていても、雑巾を絞っていても、バケツに入れた稲を持っていてもそれだけで絵になった。たしか、有名な写真家や絵描きが小雪くんをモチーフに作品を作ったりしてもいる。その現場を見たことはないけれど、その作品は、テレビに出たりして誰もが知っている。


 そのうち、学校での小雪くんの態度に腹を据えかねた誰かが、小雪くんにいたずらをするようになった。机に下品な落書きを描いたり、わざとボールをぶつけたり。やりすぎじゃないか、と思うくらいに。学校の先生はもちろんそれを叱りつけたのだけど、小雪くんは、僕らに向けたあの冷たい表情で、先生に言った。

「時間の無駄です。先生、僕は早く帰りたい。追求するなら帰りの会じゃなくて、放課後に犯人だけ叱ればいいんじゃないですか」

その日は小雪くんに思い切り殴りかかった生徒がいて、小雪くんのほっぺたには大きなガーゼが貼られていたのだけど、小雪くんは何も気にしていないようだった。痛々しくガーゼを貼られた横顔もまた、何かこう、そそられるような顔だった。先生は小雪くんのその態度があまり気に入らなかったらしい。それからは二度と、小雪くんを庇う様子はなかった。例え目の前で殴られていたとしても。


 小雪くんと二人きりになった僕は、ずだぼろの小雪くんに、痛くないのか、と聞いてみたことがある。なぜ二人きりになったのか。それは、僕が、小雪くんを捕まえて、倉庫に閉じ込めたからなのだけど、小雪くんは抵抗することもなく、大人しく引きずられて、閉じ込められてくれた。そこで聞いたのだ。小雪くんは表情一つ変える事なく、痛いよ、と答えた。

「痛いけれど、君たちはそれが楽しいのだろう?気が済むまで好きにさせればそれで終わるのだから、抵抗するよりも楽なんだ。それで」

「それで?」

「君も何かしたいのなら、好きにすればいいよ」

するすると服を脱いでいく小雪くんの肌は、倉庫の中にかすかに差し込む夕日の中で、白く浮かび上がるように美しかった。そんなつもりはなかったはずなのに、僕はたまらず小雪くんを、望み通り、好きなようにした。小雪くんの肌はすべすべして、人間じゃないのかもしれない、と思ってしまう。人間じゃないならいいか、と勘違いしてしまいそうになる。薄暗い倉庫の、体育マットや石灰のニオイの中に、小雪くんの甘いあまい香りがする。鼻の奥にねっとりとこびりついて、離れない。乱暴にされた小雪くんは、やはり表情一つ変える事なく、汚れたまま服を着て帰っていった。


 次の日も小雪くんは教室に座っていた。何事もなかったように。僕が付けた痕は白い肌にまだ残っていたけれど、その他にも、真新しいガーゼや包帯が増えていて目立つ事はなかった。小雪くんの住む世界は、僕らの世界よりずっと広いらしい。それに、ずいぶんと乱暴なようだ。僕は憐むように小雪くんを見ていた。その視線に気付いたのか、小雪くんは僕の方を見て、これまでよりいっとう冷たい目で嗤った。

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