苗床
皮膚の下の虫達が騒ぐ音がする。私はどこか他人事のように、その後に来る逃れることの出来ない苦痛を予感していた。じわり、汗が滲み毛穴の開く音がする。今この脳味噌が自分のものである確証すらない。人間らしさ、というものは呆気ないものだ、とぼんやり考えていると、つま先からさざなみのように痒みと、肉を啄まれる痛みが押し寄せてくる。瞬く間につむじまで昇った虫のざわめきは、私の脳の容量をあっという間にパンクさせるほどの苦痛をもたらしたはずだが、こうやってそれを眺めているかのような冷静さは、やはり脳に私以外の何かが巣食っているのだろう。ばつん、と電気が消える錯覚の後、ここに光など一筋もないという事を思い出す。私は、巨大なミミズに似た生物の巣にいた。
巣の中へ入った記憶は当たり前になかった。目が覚めたら、この人肌の蟲の群れの中にいた。台風の日のすし詰めの電車に乗る人間が、全員裸ならばこういった感覚なのだろう、と思った。生物には所々に小さな硬い歯があり、毛が生えている。それらが、私の身体を少しずつ呑み込み、穴という穴へ入ってきたのだ。みしみしと穴をこじ開け、断裂させ、しかしその痛みは鈍く、口の中に入っている生物を舐めてみると、毛の先から何やら液体が滲み出ているのを見ると、恐らくは毒を持つ何かなのだろう、と察することができた。舐めた拍子に暴れだす生物が内臓を揺らす感覚で、その生物は口から肛門まで貫通している事も。
もはや自分の身体がどの程度残っているかもわからない。聴覚が残っているのか、ぐちゃぐちゃ、ごぽごぽ、という音が辺りから聞こえる。手足と思われる部分に、何か硬いものがいくつも這って回る感覚が、皮膚を通して伝わってくる。ずいぶんと遠回りをしながら、その硬い何かは、肛門と膣にたどり着いた。この生物の卵なのだろうか。勢いよく吐き出されたそれらは、腹を内側から殴り付けるように産み付けられ、たちまち酷い膨満感を与え、数分後には、身体が張り裂けるような、命の危機を感じるほどの痛みとなって襲いかかった。毒がなければ、ショック死していたかもしれない。自分のものか確証のない身体を目一杯に暴れさせその痛みから逃れようとするが、串刺しになった身体では無駄な抵抗に終わった。やがて卵を産み終えると、生物は私の腹の中に、追い討ちを掛けるようにとくとくと何かを吐き出していた。乳房が腫れ上がり、付け根がちぎれてしまいそうなほど肥大した脂肪の塊にはぎちぎちと生物が絡まっている。乳房をねじり上げられ乳首から何かが吹き出すのを、更なる苦痛に絶叫、否、小さくくぐもった声をあげながら感じていたが、乳房の先からは母乳というにはあまりにもおぞましい、細く長い、自立して動く何かが垂れ下がっているようだ。毛束のようにざわざわと揺れる何かが溢れ続け、私を雁字搦めにする生物の隙間を埋め尽くすように身体を這い回り、体内へと侵入していった。
それぞれの生物が落ち着くところに落ち着いて、数瞬の静寂が訪れた。それから、丸く膨れ上がった腹に、異変が起こり始めた。びちびちと腹の下で何かが暴れ始める。暴れる何かは腹を突き破らんと己の身を皮膚の中を殴り、蹴り、膨らみ続けた。足元から長い何かが、胸の下から腹の方へ何重にも巻き付いていく。そして、上から順に締め付けていき、その力はあっさりと、私の腹の中にある何かを絞り出していった。何か、はどうやら人の形をしているらしいが、私の瞳はもはや何も映していなかった。赤ん坊のものとは思えない筋張った手は乳房を掴み、母乳を求め、未だ何かが溢れている乳首に噛みちぎらん勢いで吸い付いた。ゲラゲラと沢山の笑い声が響き渡る。どうやらこの生物の赤ん坊の産声は、笑い声のようだ。母になった私は、再び卵が腹の中へ産み付けられるのを、やはり他人事のように感じながら眠りについた。
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