チュチュリトル

 昨日の晩はひどく酔っ払っていて、どのように帰ってきたのかさえ覚えていないが、少なくとも自分の姿は人間であったように思う。


 朝、目が覚めて身動きができなかった時は金縛りだと思っていたが、現実はもっと悲惨なものだった。足の付け根から下が奇妙な触手の束になって、ズボンの両足にみちみちと詰まっていた。靴下は脱げてしまったのだろう。裾からは半透明の足(便宜的に足というが、これが足なのか腕なのか生殖器なのかはわからない)が左右5本ずつはみ出している。足の指を動かすようにしてみると何とも気味の悪いぬたぬたとした動きで反応した。私は自分の体を一度確認しなければと思い服を全て脱いだ。服には昨日の晩の焼肉とタバコの臭いが染み付いていた。


 私の腹は人間の内臓らしきものが肋骨の下あたりから透けて見え、肌色から半透明のいちご色を経て、イカのような白へ変化している。こうしてみると内臓は中々健康的なのではないか、と現実感なく眺め、とりあえずテレビをつけた。どうやら身体がおかしくなったのは私だけではないらしい。世界各地で見られる症状のようで、会社近くの駅前のインタビューに答える人はブルーハワイ色をしていた。

「朝起きたらこうなっていて、ズボンが履けないから奥さんにスカートを借りたんですよ。ははは。」

体調が悪い様子は見られない。快活に喋る中年男性が何か吹っ切れたように会社に向かっていく背中が映っていた。いや、ヤケクソだったのかもしれない。

「一応上司にも確認したんですけど、体調に問題ないなら来いと言われて。サラリーマンってつらいすね」

メロン色の青年が、こちらは上半身だけ服を着て歩いている。下半身にとわかるようなものが付いていないから問題はなさそうだ。


 社畜というほど会社に対しての忠誠心が厚くない私は、会社に電話をして今週いっぱい休みを取った。どうやら私以外にも同様の症状が出たらしい。来週以降の指示は追って連絡する、とだけ説明され電話を切った。とりあえず風呂に入らなければ。上半身に脂とヤニがベタついている。本能的なものがあるのか、這う事に特に問題はなかった。最初から足などなかったかのようにずるずると風呂に入る。残り湯に浸かったまま追い焚きし、自分の身体を眺めながら、いちご色でよかったなぁとのんきなことを考えていた。


 風呂の中で足を一本一本丁寧に洗っていると、どうやら臍の下に生えている一本が生殖器である事に気付いた。よく見ると先の方には小さな穴がある。面白半分で擦ってみると男性器のそれと見た目も匂いも変わらないものが溢れたが、いかんせん道が長いのか、勢いはなくとろとろと流れ落ちていた。この一本は隠したほうがいいのだろうか。そしてもう一つ。全ての足(と生殖器)の中央、タコやイカならば口がある部分に、女性器のようなものが新たに付いていた。実物は見たことがないが、形からみるにそうだろう。恐る恐る触ってみると、確かに男性器とは違う妙な快感があるようだ。そっと指を挿し入れると、そこに牙などはなく、そういう本で想像していた通りの手触りがあった。案外中の方は気持ち良くないのだな、と思う。


 長い男性器があり、女性器が付いているとなれば、恐らくは誰もが考えるであろう一連の遊びをして、のぼせながら風呂を出た。鏡を見ながら確認したが、どうやら大小の排泄器官はおおよそ女性の形をしているようだった。身体を大雑把に拭いてから、念のためトイレに入り用の足し方を確認し、その後もう一度シャワーを浴びた。朝インタビューを受けていた人らは会社で困らなかっただろうか、などと考えながら裸で部屋を彷徨う。


 これは元に戻るのだろうか。戻らなかった場合、やはり差別なんかも起こるのだろうか。伝染するのか、生活の保証は、明日からの服をどうしようか、などと考えているが今のところ何も出来ないので、意識的に考えないようにする。とりあえず、外に出るためのスカートはいるかもしれない。それとパンツも。適当な通販サイトを見ると、どうやら同じことを考えていた人は多かったらしく、スカートやパンツは軒並み売り切れていた。いざとなったらシーツでも巻けばいいか。とページを閉じて二度寝する。何にもないふうを装ってみたものの、不安はいくらでも湧いてくる。その不安をどうにか打ち消そうと、私は先程覚えた遊びを繰り返した。


 チュチュリトルと命名されたこの奇妙な病気に対し、政府の動きは遅く、1ヶ月もしないうちにこの奇妙な病気は日常の光景となった。幸い、同じアパートの住民全員が触手人間となったため住処を追われるようなことはなかったものの、やはり街中を歩くと多少嫌な目に遭う事はあった。姿勢が変わった分身長が低くなり、人間の形をした人らがあからさまにこちらを下に見て、突き飛ばされたり舌打ちをされる事が増えた。椅子に座ると隣の人間が大きく足を広げたり、わざと足を踏んでくることも多い。ちなみに生殖器は踏まれないように腰に巻きつけている。触手人間のスタンダードな服装は下半身を露出したスタイルとなったが、その下半身の間に手を入れる痴漢が流行った。通勤時の事故である、という人間側の主張が尊重される。なんの病気かわからないのに触りたいわけないだろう、と怒号を浴びせられ、泣き寝入りするパターンも多いようだ。私が乗っている時間と車両は密着するほどの混みようではないが、明日は我が身である。下着メーカーが触手人間向けのブランドを立ち上げたらしい。椅子に敷くためのペットシーツが一時期品切れとなったが、こちらはメーカーの対応がかなり早かったように思える。会社からの支給もあり、また手拭いやタオルで代用することも可能であるためすぐに供給は追い付いたようだ。これだけの騒ぎになったのだからもう少し世界が変わると思っていたが、ただのサラリーマンである私にとっての日常はそれほど変わらなかった。もう少し楽な方向へ変わってくれたらよかったのに、と思いながら日々過ごしている。


 そういえば3日ほど前からお腹がいやにぐるぐると鳴っている。何かが蠢いているようにも感じた。コーラ色の同僚も同じ症状があるらしかったのでその時はあまり気にしなかった。私がトイレで子供を産み落とし絶叫するのは、それからさらに3日後のことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る