いじめられっこ

 私が人を殺した次の日、メディアがこぞって取り上げたのは、机の上に積まれたドラッグと宗教の本だった。後年、友人にニュースの録画を頼んでいた私はそれを観てゲラゲラ笑った。机に積まれた本はまだほとんど読んでいないし、本棚の中を漁れば、もっと危うい本なんていくらでもあるだろうに。そう思った。


 毎日、今日は何をしようかと考えている。諸々あってお金に不自由はしていなかったので、私はごく普通に日常生活を送っていた。むしろ、人を殺す前よりも随分と気楽に生きている。道端を歩いていて、知らない人に突き飛ばされたり、怒鳴られるたびに、私は人を殺したんだぞ、と思うことができるようになった。生命は、殺すことが出来る、という実感は随分と私を生きやすくしてくれる。


 善性の生命体でありたかった。人が嫌がる事をすれば自分の心が痛む事を知っていた。それは私がいじめっこに報復をした時に実感したわけだが、どうやら世の中の大半の人は、その心の痛みさえあれば、命を奪わない限り合法だと思うらしい。あるいは、被害者に違法性があったと認識される。私は、命を奪ったので犯罪者となった。ささやかな違いだった。


 気紛れに昔私をいじめていた子の家に行った。表札は変わっていなかった。家に来てもらって、お話しをした。どうやら彼女はニュースで私を観たらしい。随分と気を使ってくれていたように思う。差し出したお菓子を食べてもらえなかったので、毒殺の意思がない事を証明しようと包丁を取り出したところ、泣きながら食べて、そのまま眠った。私は、いじめっこを柱に縛り付けて猿轡を噛ませた。


 いじめっこが目を覚ました。ひどく慌てふためいた様子だった。きっとこの子が私にアリを食べさせた時、私も同じように泣いていたのだろう。殺さなければ合法である。私は、罪の意識に苛まれながら、いじめっこに愛の鞭を与えた。


今度は殺さないようにしなければ。

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