ツツジ

 ツツジの花の蜜を吸うような少女だった。職場からの帰り道。道路脇の植え込みで満開を迎えているツツジを眺めながら、かつての自分を思い出す。私にも少女の時はあって、ツツジの花をむしり、花の中に残ったおしべやめしべを引き抜いて花をくわえ、時々中に潜んでいる小さなアリをぺぺぺっ、と出してはしゃいでいたのだ。そんな少女が今やそこらの一般人。女という属性だけはしぶとく残り、可愛らしさや純粋さ、子供という属性は取り払われた種族ヒト科のメスである。ここまで卑屈になった経緯はさておき、とにかく終電に間に合うように、私は足を引きずりながら駅へ向かっていた。


 憧れの仕事だった。ちょうど仕事を探していた時に求人募集が目に止まり、次の日には応募していた。あっけなく採用され働き始めて数日後。事務員として入ったはずの職場で、大荷物を抱えながら階段を何往復もしていた。中身がとんでもなく高価なその荷物を落とせば、働くだけでは返せない程の賠償金を請求されるだろう。そういうものに本来かけておくべき保険をかけていないことも想像出来た。それに急で長い階段から落ちれば呆気なく死ぬかもしれない。何より、元々運動が苦手な私は、階段を何往復、の時点で既に膝が悲鳴を上げていた。最後は足が1ミリも上がらず、あと1段が昇れなかったのだ。


 どうしても観たい世界があった。そこに人より一歩深く足を踏み入れ、出て行くのはあまりにも辛かった。身を引き裂かれる気分だった。そんな時に目に入ったツツジの生垣を見て、始めに頭に浮かんだのは『汚い』だった。華麗で奇妙でキラキラとした世界の、ほんの一部を作った帰り道。交通量が多い道路脇に植えられた汚いツツジと、一歩踏み出すたびに全身が裂けるような苦痛。二度と動かせないんじゃないか、と思うほどに重い両腕。暗い夜道に吐かれたゲロ。何もかもが嫌いになってしまった。あの世界も、ツツジも、私自身も。それに気付いて、私は辞めることを決意した。


 数日で辞めたが、傷は思ったよりも深かったようだ。好きなものを仕事にしないほうがいい、ということを突き付けられた。もう二度と、あの世界には行かないだろう。あの世界の綺麗なところだけを凝縮したものを、その晩までに観たことがあったのは救いだった。不幸中の幸いだ。汚い部分はいつか、おしべやめしべやアリのように吐き出せばいい。そう思って1年が経った。


 ツツジの花は今年も至る所で咲いていた。あの世界も、思い出にする時期が来たのかもしれない。花の蜜を吸うように。綺麗なところを拾い集めるように。

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