カラス

 行ったばかりのバスを待つ午前11時半。田舎と言うほど田舎ではないが都心でもない町のバス停で、中途半端な夏の暑さにうだっている。気分転換に散歩に出掛けたのはよかったが、己の体力のなさを甘く見積もっていたようだ。へえへえと犬のように息をしていると、突然背後から声が聞こえた。

「もし、そこのお嬢さん」

振り返るとそこには一羽のカラスがいた。あたりを見回しても人の気配はない。ここは車通りばかりが多く、そもそも誰かと行き合う事自体が少ないのだ。


「カラス?」

「ええ」

カァ、という鳴き声に重なるように、老紳士のような声が鳴る。

「ここいら一帯の、まあ、町内会のようなものの、おさであります」

「それで、何か?」

私はもう一度辺りを見回してから小声で訊ねる。カラスと話しているところを見られるのは躊躇われたのだ。

「ここ数日の雨についてでございます。季節は夏、梅雨などとうに明けて然るべきなのに、近頃は雨ばかりが続いており、こちらとしても、羽繕いが億劫で仕方なくあります」

「布団も干せませんしね」

「そこで、お嬢さんの手を少しお借りしたい。見たところ貴方には雨雲が取り憑いて離れない様子。ですからに、その、恐らくご兄弟には、太陽が取り憑いている子もあろうかて、こうしてお願いに参りました。雲と太陽は兄弟故に、ヒトの兄弟に付き纏うのです。どうにかこの梅雨を、エイヤと何処かへやってはいただけないものかと」

「雨雲が取り憑いてるんですか」

「少しは自覚もあるでしょう?」

「ええまあ」


 確かにカラスの言う通り、私は雨女だった。屋根から出るとそれまで降っていなかった雨が降り、雨の中歩くとバケツ雨へと変わるような。そして妹は、少し雨が降りそうな日に外に出るとたちまちに晴れ渡り、全く対策をしなかった日光で真っ赤に日焼けするほどの晴れ女だった。

「どうかよろしく、それから、これは決して、お嬢さん、あなたのとがではありません。雨雲というものは人懐っこいものでして、単にそれだけなのです。気に病まないよう」

「お気遣いどうも」

「では、どうか頼みましたよ」

カラスは羽ばたき空高くへと帰っていく。それから少ししてバスが来た。引き受けたのはいいものの、妹に頼むにしろ自力でなんとかするにしろ、どう伝えればいいのかわからない。まさかカラスに言われてなど言えるわけもなく、まあそのうち梅雨も明けるだろうとタカを括っていた。


 それから2週間ほど梅雨は続いたが、どうにか梅雨明けはしたようだった。が、雨はまだ続いている。会社に向かう道中。今度は都心の真ん中の、カラスを祀る神社から声が聞こえた。

「おい」

それなりに人がいる道端である。どうにか人通りの少ない場所まで行けないかと細い路地に入る。

「なぁ、コラ、無視すんな」

「はい……」

「お前、本当に妹に言ったんか?」

都心のカラスまであのカラスが知らせたのだろうか。ガラの悪いカラスはちょんちょんと足元を歩き回り、ガッ、ガッと威圧してくる。

「あの、そもそも人間は、基本的にカラスと話さないもので……」

「言い訳は聞いてねーんだよ、ア?」

「ごめんなさい……」

なぜ私はカラスに詰め寄られているのだろう。少し泣きそうになる。

「お前、今日こそ妹に言えよ。言わないなら、ア?わかってんだろーな、ア?」

「はい……」

「ったくよー」

そう言ってカラスは飛び立ち、近くの信号機へ留まった。私は頭上からの落とし物なんかに当たらないようカラスの下を通り抜けて帰路についた。


 家に着き、妹に事情を説明すると、妹は深刻そうな顔で、夢の話?、と聞き返した。夢だと思うよね、と答えると妹は少し考えた後、言葉を選びながら言った。

「お姉ちゃん、疲れてるんじゃないの」

「わかる……」

「まあ、晴れるようには祈っておくよ。お布団干せないし」

「ありがとう……よろしく」

これで何か事態は良くなるだろうか。私はガラの悪いカラスに会うのが嫌で通勤路を少し変えた。


 土日を挟んで、月曜日。雲ひとつない青空になった。妹が祈ったからだろうか。以来、カラスは話しかけてくる事はなかった。礼くらいは言って欲しい、と思いながら過ごし帰宅すると、出迎えた妹がやや複雑そうな顔で口を開いた。

「朝、コンビニ行ったらカラスがめちゃくちゃ並んでてヤバかった。写真撮ったけど、見る?」

「お礼言われた?」

「カラスは喋んないよ」

スマホの画面を見ると20羽ほどのカラスが一列に並んでいた。あの2匹のカラスが写真に写っていたのかはわからなかった。

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