作者の気持ちを答えなさい、という問題がある。あれはつまるところ、読解能力を問われるものであり、答えるべきは作者の気持ちではなく書き手が何を伝えたいか、どの登場人物の、どのような感情を語りたいのかという内容である。『あの女が、私からあの人を奪ったのだ。』と泣き叫ぶユダの気持ちを答えるならば、それはユダの、キリストの純潔が奪われた瞬間の、絶望だろう。青葉の滝が、黄色い汚水へ変わる瞬間だ。そう書いて、大きなバツを付けられた。


 目の前で猿に犯されるキリストを見た事があるだろうか。聖母マリアでも構わない。目の前でなくとも、映像や写真で、議事録で、己が尊いと思う者に泥を塗り付け愉しむ肉塊を見た時、他の人ならばどう思うのか。私は、背筋が凍り、燃え狂い、炎の渦が目から溢れるようだった。内臓が裏返るほどに嘔吐し、しかし、何よりも許し難いのは、その汚泥に塗れた肢体は相も変わらず美しく、汚れていない事への安堵、というあまりにも恥知らずの感情だった。その人が一度たりとも私のものであった事実はない。にも関わらず、勝手に名前を書いたつもりでいて、否、その人が自らの身体へ、私ごときの名前を書いてくれたものと信じて疑わずに、けだものの下で呻いていると思い込んでいるのだ。いつまでも。その凄惨な光景を、何度目の前に見ても、真に愛しているのは自分であると思い続ける醜いけだもの。正気の沙汰ではない。


 けだものの結論は単純明快である。私が、清廉なあの人のまま、私の手で殺してあげる。その恐ろしい考えが脳にこびり付いて離れない。あの人が手を伸ばす、視線の先にあるのは私ではないと心のどこかで気付いているジレンマに、ぎゅうぎゅうに伸され、身体の水分という水分が目から流れ出てしまった。もう長らくあの人に仕えたのだから、報われてこそ人の生なのだと、期待し続けるのももうやめた。けだものは何処までいってもけだものである。


 静かな夜に、あの人は尚も美しく、たといその身体に醜いけだものの痕跡があろうとも、清廉なまま私に話した事がある。随分と世話をかける、と。鈴虫の鳴く夏の夜のことである。つい数刻前までは騒がしかった部屋の中は暗く、月明かりばかりが窓から差し込んでいた。その微笑みは、救世主、聖母のものあった。慈愛に満ちた眼で私を見つめ、しかし、やはり、そこに映るのは醜いけだものであった。あの人は私がそうである事など、とうに気付いていたのだろう。あの人の身体に触れる手に重ねた薄紅の指先は猛獣使いのそれである。そんな事など私だって気付いていたのだ。あの人に言われずとも。しかし淺ましいけだものは、必死に、よだれを垂らして耐えていたのだと言えば、あの人は信じてくれるだろうか。

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