寮というなの城

 日が空高く上り、賑わう城下町を通り抜けていく。

 そして、予め教えられていた寮に辿り着くことができたのだが。


「……寮?」


 目の前にある建物を見てボクはなんとも言えない声を出してしまった。

 スラム地域にも格安の宿があって冒険者が泊まりに来る。その建物ですらすごいという価値観で少し前まで生きてきた。

 フィオラさんにお世話になっていた時も、貴族の屋敷だからと住んでいる場所に疑問は持たなかったが。

 寮は学園に通う人たちが集団生活を送る少し大きめの宿程度のイメージを持っていた。

 ただ、目の前にある建物をボクは宿という言葉で表したくない。これはもはや小さな城だ。

 ボクはそうやって呆けてしまっていた時、後ろから肩を叩かれて我に返る。


「人違いだったらごめんなさい。もしかしてノアさんですか?」

「は、はいっ!」


 その言葉を聞いて若干上ずった声で返事しながら後ろを振り向くと物腰が柔らかそうな大人の女性がいた。


「よかった。フィオラ様から話は聞いています。はじめまして。この寮の寮母……管理人みたいなことをしています。アリアともうします」

「ノ、ノアと申します」

「髪の色と雰囲気くらいしか教えてもらってなかったから。合流できてよかったわ~」


 なんというか本当に柔らかく温かい人って感じだ。

 ふわっとした長い茶髪で、全てを受け入れてくれさえしそうな雰囲気というか。

 こういうのを母性っていうのかな。わからない。


「荷物もあるみたいだし、早速部屋へ案内するわね。ついてきて~」

「あ、ありがとうございます」


 ボクは緊張で少し硬くなりつつもアリアさんの後を追って寮に入った。

 部屋にたどり着くまでの間に、寮に住む他の人達ともすれ違う。それぞれに個性はあれど、ほぼすべての人に共通して気品や麗しさみたいなものがある気がする。貴族だけではないというものの、大多数はそうだから仕方ないか。

 あと、ボクの中での気品とか麗しさのハードルがかなり低いというのもありそうだ。

 女になるまでに関わった女性の大多数は肌に傷がつこうか荒れようが生きていければ問題ないと言わんばかりの、逞しい人ばかりだったからな。


「ふふっ、みんなすごいわよね~」

「へっ?」


 ボクが周りを見ているのに気づいたのかアリアさんがそう話しかけてくる。


「す、すみません」

「いいのよ。貴族じゃない子達は最初はだいたいそんな感じよ。わたしもそうだったから」

「アリアさんも?」

「そう。わたしも聖都からはかなり離れた小さい村の出身でね。今でこそこうやって過ごしているけど、最初はなんにも知らない平民だったから」

「そうだったんですね」


 全然そんな印象はなかった。たしかに他の貴族の子達とは違うけど、年齢もあってのことだと思っていたが、育ちも影響してるのかな。

 ただ、それを認めるとボクのスラム育ちも表に出ているんじゃないかと心配になる。実際に背格好とか歩きかたまで矯正されて現在にいたるわけだし。


「でも、よほどじゃない限りは差別とかも最低限しかないから安心して」

「最低限はあるんですね」

「まあそこはね。なんだかんだで今日まで過ごしてきた日をなくすことはできないから考え方の違いとかでどうしてもってことは避けられないのよ。でも少なくとも出ていかざるを得ないレベルのひどい差別は数十年起きてないから大丈夫。そういうことをしそうな可能性が見えてたりする子は入学させない方針なの。フィオラ様は人を見る目は確かだから」

「それはたしかにそうですね」


 あの人の目については肯定せざるを得ない。


「さて、ついたわ」


 話しているうちに部屋にたどり着いたらしい。1階の結構奥の部屋になる。


「大きな荷物とかはもうお部屋の中に入れて。先に指示があった家具については設置してあるから。後は何か入用のものがあれば言って頂戴。少なくとも夜は寮の食堂かわたしの部屋にいるから」

「わかりました」

「あと、余裕があればだけど。この通路の……そうね3個となりくらいまでと向かい側の数部屋くらいの人に機会があれば挨拶しておくといいかも。一緒に生活していく仲間だからね。まあ、まだ向かいと右の人は来てないから今日するなら左隣とその向かいの部屋の子くらいね」

「よ、余裕があったらやってみます!」

「うん。仲良くね~。それじゃあ、また夕食の頃に呼びにくるわ……あ、あと部屋の机の上に置いておいた寮でのルールは読んでおいてね」

「はい」


 アリアさんは全て伝えたかと、小声で呟きつつ改めて確認すると小さく手を振りながら寮の入口の方へ戻っていった。

 ボクも自分の部屋だと言われた扉を開いて中にはいる。


「……すごい」


 誰でも言えそうな感想だけど、ボクからしたら全てにおいてすごいと思ってその言葉しかでない。


 一人部屋であることはさておいて、スラムの宿だったら3部屋分くらいの広さがある気がする。

 先に送られてきたというよりは、ボクに私物はないからフィオラさんが用意したであろう荷物も部屋の隅に3つの木箱があるのを確認できた。

 その他に一人用……とはいえそこそこ大きめのベッドやタンスもありつつ元から部屋にあるクローゼット。それと全身鏡に机があった。

 自分の手で持ってきた荷物を一旦部屋の隅に置いて先に机の上を確認する。

 そこには数枚の紙を纏められた束があった。


「『聖フィオラ女学園 寮規則』か」


 ボクは椅子に座って机の上で先にそれを読むことにした。

 基本的にはフィオラさんから習った一般的なルールと同じみたいだ。

 違う部分としては共同生活だからこその部分だけど……。

 これも別に問題はない気がする。一点を除いては。


「ご飯とかは食堂があって用意されるってあたりは貴族だなと思うけど。風呂掃除は当番制でやるのか……」


 女になってすでに数ヶ月が経っている。それなのにも関わらず、未だに自分の裸も凝視するのは恥ずかったりして風呂は苦手だったりする。

 清潔になることは好きだから掃除は別にいいんだけどな。なんか、女の共同生活の風呂を掃除するっていうことに罪悪感みたいなものを感じてしまう。


「まあでも仕方ないか。あとは……泊まりがけで外に出る場合に、寮母または学園の指導者に許可を得ること。これも実家とかないし、泊まるような友人もいないから関係ないかな」


 あっという間に規則は読み終わって、気をつけなければならないことはなさそうだという結論に至った。

 いや、寮に限らず普段から気をつけるべきことを気をつけておけばいいというほうが正しいか。

 そしてボクはそれを、本来であれば自然に覚えるべきところを印象強く教育されたので人一倍普段から気をつけている。

 つまり、改まって気をつけるべきことではない。これまで通りに過ごせばいい。

 机の引き出しにその紙束は閉まって椅子から立ち上がる。

 そして次は改めて木箱に手を付ける。

 ボクの私物は0だ。あえて言うなら元々男の時に着ていた服くらいだけど。拉致られた時にすでに消え去っていた。多分フィオラさまが処分したんだと思うけど。

 だから、何が入っているか知らない。木箱を恐る恐るあける。


 1つ目の箱には本が詰め込まれていた。そのほとんどは試験の時やその後含めて教育された時に使った本だった。正直、これはありがたい。全部をすぐに思い返せるかと聞かれたら怪しい部分もまだ多いからな。

 そして2つ目だが。こちらには着替えと1つの手紙が入っていた。内容を確認するとボクの生活の知恵を一番教えてくれたメイド長からだった。


『女性にとって身だしなみは命と同等です。普段からより一層気をつけること。それと髪のケアも忘れずに。あなたの髪は綺麗な色で整えていれば、貴族の方々にも負けない物を持っております。少し多いかもしれませんが、暑い時期と寒い時期でもしっかりと服装を整えて健康に過ごしてください』


 なんか泣けてきた。すごい何度も何度も。特にドレスの着付けの時には怒られた記憶ばかりだけど、優しい人だった部分もあって素直に受け入れられてたけど。

 この手紙を見るとやっぱり優しい人だ。

 なんというか。女にされたのはフィオラさんの勢いな部分があるし、いきなりの変化が多すぎて抵抗してた部分もあったけど。数カ月間を乗り切れたのは、本当に色んな人に支えられたからだったんだな。

 そう思いながら、手紙は無くさないようにしまう。そして最後の箱を開けるとそこにも服だった。

 中身を出して確認すると、いくつかの種類が入っていたということと暑い時期と寒い時期用という形で分けられていたようだ。

 本当にありがたい限りだな。


「あれ、でもこの学園って規定の服が渡される……いや、でも仮に城下町くらいまで出るときは普通に着替える場合も多いか」


 どちらにしてもないよりはあったほうがいい。

 ボクはその後に服を収納へ移動したり、本も机の上に移動して整理しはじめて、終わったころには外は夕方になっていた。

 そして一息ついた頃に、扉がノックされる。

 アリアさんかと思って「はい」と声を返しつつ扉を開けると――。


「はじめまして、向かいの部屋になりました……あなたは!」


 見覚えのある赤髪の女子が立っていた。

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