86.勇者と賢者の仲違い

「貴様らには関係ないことだ」


 聖女に絡む話であれば、関係ないでは済まない。しかし反応した魔族の様子から、聖女クナウティアが城から逃げ出した可能性が確定した。セージは後ろの深い森を探るように視線をめぐらせる。


 もし妹がこの森に逃げたなら、危険だった。魔獣や魔物は襲わなくても、彼女は安全な街で育った世間知らずだ。下生えで足を切るかも知れず、毒のある植物を知らずに口にする危険性が高い。足を踏み外して崖から落ちる妹が想像できて、すぐにでも探しに行きたいセージは、ちらりとリアトリスに視線を送った。


 俺は自由に動きたい。魔王城へはお前と騎士で行け。そんな意味合いの眼差しを受け止め、賢者リアトリスはしっかり頷いた。


「わかっている。同行してくれるんだな」


「俺は抜ける」


 2人の声は重なった。そのため、一瞬お互いの言葉の意味が聞き取れず、首を傾げる。それからゆっくり記憶を辿り、セージは舌打ちした。リアトリスは驚愕の表情で睨みつける。


 世界を守る使命を負う勇者が、魔王との対決を放り出して妹を追いかけるのはおかしい。そう告げる賢者の眼差しに、セージは言い放った。


「俺はティアを優先する。勝手に勇者にしたのはそちらだ。もう降りる」


 勝手に降りられる肩書ではないが、セージは名誉や肩書に固執しない。


「そんな勝手が許されるわけないだろう。セージ殿は世界と妹のどちらが大切なのだ!」


「妹に決まってる!!」


 即答だった。ここは譲れない。きっぱり言い返され、リアトリスは絶句した。責任感も面倒見のよさもあり、勇者として選んだことを誇らしく思っていたのに……ここにきて裏切るのか。


 魔王軍のドラゴンや鳥人が興味深そうに目を輝かせる。人間同士のケンカは珍しい。互いに不満があっても、目の前に魔族がいれば討伐を優先させる人間ばかりだった。人間同士のケンカを見たことがないのだ。言い争い程度ならよくあるが、それも魔族にとって娯楽なのだ。


 自分達が知らない妬みや嫉み、他者を貶めて成り上がろうとし、同族すら手に掛ける。そんな人間の有り様は魔族にない感情ばかりだった。未知の生物を見物するような、心高鳴る見せ物だ。よく聞こえるよう兎の獣人は長い耳を立て、ドラゴンも伏せて身を低くした。鳥人は気配を殺してじわじわと近づく。


「……高潔な人物だと思ったが」


「崇高な使命とやらか? 俺はティアを守ることだけ考える。当然だろう」


 家族を優先するのは勇者らしからぬ行いだが、非道だと罵られるのはお門違いだ。セージにしたら、家族も守れない奴が世界を救えるわけないだろうと鼻を鳴らす。ふんと馬鹿にした態度で、世間知らずの王子と貴族出身の騎士を眺めた。


「青い血の義務だっけ? 悪いが俺はそんな仕来りに従う気はない」


「セージ殿もリッピア男爵家の……」


「嫡男だが、俺が継ぐのはセントランサス国の男爵家じゃなく……リク、っとヤバイ。母上に殺される」


 言い争いの途中で青ざめたセージは、大急ぎで言葉を飲み込んだ。

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