60.聖女とは所有物らしい
静まった場で、シオンは目を伏せた。
「決断の時間をくれ」
決断する上での覚悟を決めたい。そう告げられ、ネリネを含めた側近達は一斉に頭をさげた。人一倍優しい魔王は常に魔族を優先し、自分の感情は後回しにしてきた。今回もそうだろう。殺したくない人間を殺す決断を強いることを、ネリネは申し訳なく思う。
それでも……もう他に手は残されていない。
「あの、魔王様!」
突然開いたドアに、全員がびくりと肩を揺らした。重要な政策を決める円卓がある部屋に、1人の少女が顔を覗かせる。全員が顔を見合わせた。……誰か、鍵かけなかったのか?
会議中にこの部屋に入ってくる魔族はいないため、全員が首を横に振り……この部屋の無防備さを露呈した。一番早く我に返ったのは、ネリネだった。
「どうしました、聖女クナウティア嬢」
銀に薔薇色を溶かした髪色の少女は、黄色に黄緑の模様が入ったワンピースで、そっと入ってくる。呆然としている魔王シオンまで駆け寄り、彼の白い手をとった。
「やっぱり手が冷たい。一緒に外へ散歩にいきましょう」
突然の誘いに、魔族の幹部達がざわめく。会議中に邪魔したことより、勝手に魔王の身に触れる無礼が問題だった。
「無礼な」
「我が君、この者に罰を……」
「よい。この物は我の――所有物だ」
いきりたつ部下に言い放ち、手首に触れた小柄な手を逆に掴んだ。人扱いはしない。数代前の聖女が行った非道は忘れられなかった。魔狼の母親から奪った子狼を、親の前で殺させた。腹を裂かれて鳴き叫ぶ子狼を助けようと戦う母狼をみて、彼女は笑ったのだ。
怒りに彼女ごと、その場の人間をすべて引き裂いたのを覚えている。両手を血に濡らし、失った魔族の親子の前で立ち尽くす魔王に寄り添ったのは、妻と子を奪われた魔狼だった。それ以降、人間に情けをかけることをやめたのだ。
思い出した苦々しい感情と記憶が、シオンの紺色の瞳を濁らせた。目の前にある無力な物を引き裂いたら、どれだけすっきりするか。
賢者や勇者に対する切り札になると思い生かしたが、切り裂いて殺した死体を送りつけてやろうか。目を背けたくなる哀れな姿を晒す聖女を前に、人間どもはどう反応する?
縦に広がる獣の瞳孔を見上げるクナウティアに危機感はない。綺麗な目の色だと感心していた。瞳孔が割けると黄金色が混じる。魅入られるように眺めた後、にっこり笑った。
私、魔王様の所有物らしいけど……それって聖女の役目なのかしら。御伽噺で、聖女が選ばれると魔王が蘇ると聞いたことあるわ。聞きかじった言葉を継ぎ接ぎするクナウティアの知識は、どこまでも偏っていた。
「目の色が綺麗ね。今日はバーベナさんがチーズケーキをくれたの、魔王様も食べる?」
そこで言葉を止め、少女は作為なく笑う。話し合いの内容が、己の家族を含む人間を殺す相談だと知ったら、クナウティアはどうするだろう。その疑問に答えは出ないまま、ぐるりと室内を眺めて彼女は強面の魔族を数えた。
「ケーキ、足りないわね。追加を頼めるのかしら」
思いがけない言葉に全員が思考停止し、少しして長老格のフェニックスが笑い出した。
「これはよい愛玩物を手に入れられた。攻撃は我らに任せ、王はゆっくり過ごされるがよかろう」
「そうだな」
数人が同意し、シオンは複雑そうな表情を浮かべた。無理に嫌な決断をしなくていいと逃げ道を用意する彼らの優しさに甘え、引っ張るクナウティアについて庭へ向かう。
「ネリネ、我らの議決のみで行うぞ」
「……そうしましょう」
魔王不在の場で、人間への侵攻が決まった瞬間だった。
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