52.隠れ里の出迎えで混乱

 鎮守の森と呼ばれる広大な土地は、手付かずの自然が残されている。森の向こうの隣国まで続く街道は、森を避けて回り込んだ。この森は神が眠ると伝えられるため、人が踏み込んではならない禁忌の土地とされたのだ。その理由が、ある一族が流した嘘だったと知る者は少ない。


 街道沿いに走り、途中で人目が途切れた隙に黒馬は森に入った。怯える馬を宥めながら、妻を支えて走るルドベキアの前に、突然草原が現れる。結界を越えた証拠だった。


 この森の中央部は草原や湖が広がる。しかし空を飛ぶ種族や、迷い込んだ民から守るために結界により風景を偽装していた。何も知らずに突っ込んでも、森の別の場所に飛ばされるだけだ。


 ここに結界があると確証を持ち、一族の血を持つ者が同行しなくては結界が破られることはない。草原を少し走らせると、向こうから数頭の騎馬が現れた。


「ルドベキア! リナリアも一緒か」


「おう、久しぶりだな」


「スティパ、後から息子が来るのだけれど」


 駆けてきた集団の先頭をきった男は、顔に大きな傷を負っている。かつて他国の戦に巻き込まれた彼が、この一族の女性に救われて結婚した経緯いきさつを知る2人はにこやかに応対した。知らなければ、山賊のカシラのようである。


 筋肉自慢の彼は歳を経ても鍛えているらしい。女性の細い腰ほどもある腕で、ガッチリとルドベキアと握手を交わした。


 リナリアの呼びかけに、スティパは後ろにいる息子達に指示を出す。


「迎えに行ってやれ、ああっと、どっちの息子だ?」


 長男と次男がいることを思い出したスティパへ、ルドベキアが「次男のニームだ」と返す。承知したと走っていく息子達は全部で3人。全員が一族の立派な守り手だった。


「里は久しぶりだろう。そういや長男はどうした。セージだったか? 結婚したのか」


 同行しなかったことに首をかしげるスティパは、遠慮がない。親族に取り繕う仮面は不要だと笑い飛ばす豪傑に、ルドベキアは一族の長に会いたいと要望した。


 深刻な夫婦の様子に、何かあったと理解したスティパは大きく頷く。胸元から取り出した紙に息を吹きかけ、鳥の形に変形させた。


「伝言を頼む。ミューレンベルギアへ、ルドベキアが会いにきた」


 伝言はできるだけ短く。長くなれば伝える内容に不備が生じやすい。鳥はふわりと舞い上がり、空を飛ぶことなく消えた。一瞬で目的地へ到達する魔法の一種だ。


「これでよし」


「悪いな。実は娘が聖女になり、魔王に拐われたんだ」


 短すぎる説明に大量の重要な単語と、不吉な動詞が続く。思わぬ言葉に、スティパは黒い目を見開いた。日に焼けた小麦色の腕で己の頬を叩き、現実だと確認する。頬に真っ赤な手の跡がついた。


「……娘? そんなの、いたか?」


 記憶にない娘がいつの間にか生まれ、女神が選ぶ聖女になった。そこまででも情報が多いのに、魔王に拐われたとは……。


 混乱する男へ、リナリアとルドベキアは眉を寄せる。そう、すべてを一から説明する必要があった。

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