44.王太子は聖女奪還を決断した

 セントランサス国の王宮は大騒ぎだった。


 過去に魔族が先制攻撃を仕掛けた事例はなく、突然の襲撃に対応は出来なかった。空を飛ぶ種族が大挙して訪れ、大切に保護した聖女が攫われるなど、想定外以外の何物でもない。国中でもっとも警備が行き届き、安全なはずの王宮を魔族が襲ったことはなかった。


 聖女に関する文献にも、魔族が自ら乗り出して襲ったのは辺境の村や隣国であり、セントランサス国は女神ネメシアの加護が厚い土地と認識されてきたのだ。


「こんな事件は過去になかった」


「何があった」


「勇者様の召喚も終えていないのに」


 口々に叫ぶ神官や騎士の騒ぎに、王宮内はパニックだった。王太子リアトリスが駆け付けて指揮を執るが、混乱はそう簡単に収まらない。賢者の選定は勇者召喚後と決まっているため、まだ王太子の肩書を使って事態を収拾するしかなかった。


「落ち着け。現場にいた者は謁見の間へ集まれ。セージ殿の具合は?」


 よく通る声が発せられるたび、徐々に騎士は落ち着きを取り戻す。教会から派遣された神官達も、ケガをした騎士や侍女を見つけて手当てを始めた。治癒魔法が使える者は限られており、一般的な傷の手当てを終えてから順番を待つことになる。


 散らかった部屋を片付ける侍従や侍女が忙しく立ち回る中、セージはまだ意識が戻らなかった。致命傷となる傷は見当たらないが、吐しゃ物と血に塗れた身体は拭き清められ、右手の切り傷は消毒され包帯に包まれる。ある程度整えた彼をベッドに横たえた侍従達だが、目が覚めないセージの前でおろおろしていた。


「ご苦労、具合は?」


「傷は手当てしましたが、吐いておられましたので腹部に攻撃を受けたかもしれません。どうしたら……医師の方々はまだでしょうか」


 自分達で可能な範囲の動きは責任をもって行うが、それ以上の手当ては出来ない。吐いていたなら強い衝撃を受けたか、または体内を傷つける攻撃にあったのではないか。急ぎ医師を回すよう指示を出したリアトリスは、青ざめたセージの枕元にあった椅子に腰を下ろす。


「聖女の兄セージ殿の強さは本物だ。その彼をして、ここまで容易に退けられるとは」


「魔族は何らかの強化を行ったのでしょうか」


 騎士ガウナが心配そうに呟く。互いに口には出さないが、聖女クナウティアの身を案じていた。彼女の命はもちろん、まだ幼い外見の彼女が襲われていないか。今頃泣いているのでは? そう考えるといてもたってもいられない。


 女神ネメシアに聖女クナウティアへの加護と安全を祈り、リアトリスは溜め息をついた。


「召喚できない勇者の代わりを選び、僕が賢者として立つ。聖女様奪還の指揮を執るぞ」


「「おう」」


 騎士がざわめき、侍従達も目を輝かせる。王太子は決意を父王に伝えるべく、急ぎ足で廊下を歩いた。王太子としての地位を返上し、王位継承権を放棄する。国王になるための勉強に費やした時間を捨て、命懸けで聖女クナウティアを救う――それこそがセントランサス国の生き残る唯一の道だと信じて。

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