38.紐が解けてきちゃった
麗しき兄妹愛だが……ドレスの紐は徐々に緩んでいく。滑り落ちそうなドレスを必死で掴んだクナウティアを見かねて、後ろから侍女が声を掛ける。
「あの……お着替えを」
「自分で出来ます」
クナウティアが恥ずかしがり、侍女の言葉を遮って被り気味に拒否する。その意味を、セージは勘違いした。不本意にも王太子の前に肌をさらけ出しそうになり、クナウティアは傷ついているのだ、と。
「あなたは一度離れていただけますか。俺も室内にいるけど、後ろを向いているから。そこのバスルームで着替えておいで」
ドレスを一人で着付けるのは無理だが、脱ぐだけなら可能だろう。ましてや背の紐が解けているのだ。後は苦しいコルセットも外すだけのはず。兄の言葉に目を輝かせたクナウティアに、侍女は仕方ないと妥協した。
国にとって大切な『聖女』様なのだ。機嫌を損ねたら、叱られるのは間違いない。先ほど兄セージが離れた途端、王太子リアトリスが入室した。本来なら入り口で止めるべき男性が、未婚女性の着替えの場に入ることを止められなかった侍女は、彼女なりに責任を感じている。
聖女が兄を連れてきたのは、身内がいる安心感だけではなく、護衛もかねているのだろう。もっとも信頼できる強者を側に置くのは、今後の厳しい旅に於いても役立つ。近衛騎士を一瞬で倒した腕前は見事だった。
侍女は、セージの提案にクナウティアが納得したのならそれでいいと、着替えるために必要な手を貸すことにした。
「失礼します。コルセットの紐も解きます」
貴族令嬢は貞淑を証明するため、一人で脱ぎ着できない服を纏う。未婚女性がどこかで脱がされたら、それは貴族女性としての死を意味していた。また常に侍女を連れ歩ける財力の証明でもある。
コルセットは締め付けて美しさを競うだけでなく、それ以外の価値や意味もあった。結婚相手に対し、己が純潔である証明をしスタイルをよく見せる鎧なのだ。社交界は、貴族令嬢にとって戦場そのものだった。
そんな事情に関係なく育った城塞都市の男爵令嬢は、駆け込んだバスルームでようやく窮屈なドレスを脱ぎ捨てる。緩めてもらった拷問具コルセットの紐を必死に外し、足元にごとんと落とした。
こんなに重くて固くて苦しいもの、知らないわ。外から見て綺麗でも最低ね。
絹のシンプルなワンピースに袖を通し、少しきつい腰回りと緩い胸元に唇を尖らせた。それでも先ほどのドレスよりマシだと深呼吸して、バスルームから顔を出す。
「お兄様、着替えたわ」
「おいで」
振り返って両手を広げる兄の腕に飛び込むと、ほっとする。旅から戻った兄達や父を出迎えて、こうして抱きしめてもらうのが大好きだ。
「うん、少し背が伸びたかな」
くすくす笑う兄セージから、欲しかった言葉が聞こえた。成長期で大きくなる兄達に置いていかれる気がして、彼らが帰るたび「大きくなったでしょ」と言い続けた妹の気持ちを、彼らは汲んでくれた。
「お食事は、こちらの部屋にまとめてお運びします。ゆっくりなさってください」
一礼して出ていく侍女に「ありがとう」とクナウティアが礼を言った。その一言で、セージは侍女に対する暗い怒りが解ける。
「世話をかけますが、よろしくお願いします」
微笑んで出ていく侍女を見送り、兄妹は並んでソファに腰を落ち着けた。
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