36.遠ざけられた兄の焦り

 兄セージがどうしてここまで王太子にきつく当たるのか。原因が自分の態度にあると知らないクナウティアは内心で首をかしげる。思ったより遠い部屋まで廊下を歩く間、ずっとセージは眉を寄せていた。機嫌が悪そうで、話しかけづらいわ。もう着替えたいのだけど。


 大きく息を吸い込みたい。縛り付ける拷問具のようなコルセットを外したい。普段着ているような、気楽な綿のワンピースに着替えたい。希望は幼い胸の中で膨らむが、不機嫌な兄を前に口に出せなかった。


「こちらになります」


 与えられた豪華な居室は続き部屋だった。それぞれにトイレやバスルームが完備された部屋の間が、扉ひとつで行き来できるようになっている。兄妹ということで、特別待遇なのだろう。


「ありがとう」


 客間を急遽改造した豪華な内装を見回し、クナウティアは兄に支えられてソファに落ち着く。入り口近くの壁に侍女が3人も控えており、気を抜いて倒れ込むことも出来なかった。ずっと小刻みに震え続けるクナウティアを、気の毒そうにセージは見守るしかできない。


 よほどあの王太子が怖かったのだろう。16歳は結婚可能な年齢だが、可愛いクナウティアはまだ12歳前後にしか見えない。よくも手をだしてくれたものだ。我らが妹に遊び半分で……いや、もしかしたら聖女に選ばれたクナウティアを抱けば、王位が確定するとでも思ったか。


 どちらにしろ下種のやり口だ。決めつけてセージは溜め息をついた。他人がいる部屋は落ち着かない。ソファに座らせた妹の小さな手が、そっと袖を引いた。


「っ、くる、し」


 兄に助けを求めるクナウティアの顔は青ざめ、額に脂汗が滲んでいる。よほど苦しいのだろう、楽にしたやりたいが……大量の紐が締め付けるドレスを人前で解くのは気が引けた。


「着替えをお手伝いいたしましょうか」


「そうだな、楽な服に着替えさせてやってくれ」


 侍女達に声をかけ、クナウティアに説明する。謁見はもう終わったのだし、正装する理由もないだろう。王宮内とは言っても与えられた私室だ。私室でラフな恰好で過ごすのは、マナー上も何ら問題なかった。


「今から着替えさせてもらえるから……俺は隣の部屋にいるよ」


「……に、さま。やだ」


 青ざめた妹に縋られても、さすがに未婚女性の着替えに同席するわけに行かない。いくら家族で兄妹であっても、咎められる状況だろう。一瞬考え、セージは妥協案を出した。


「着替える間だけだ。着替え終えたらノックしておくれ」


「うん」


 小さく頷いて納得したのを確かめ、セージは隣室へ移動した。ほとんど同じつくりの部屋を見回し、ひとつ溜め息をつく。直後、寄り掛かったままの続き扉がガチャリと施錠音を響かせた。


 振り返りノブに触れるが、鍵がかかっている。着替えたら呼びに来るように妹に告げた。彼女が鍵をかける理由はない。ならば、侍女の仕業か。女性の着替えだから気を使ったのか? だが……疑問が膨らみ、疑惑へと向かう声が聞こえた。


「失礼するよ、聖女クナウティア様。おや、兄君はご一緒ではないのか」


 別のドアが開く音がして、王太子の声が聞こえる。しまった! 侍女もグルか!? 焦るセージの耳に、妹の細い声が届いた。


「にぃ様……助けて」

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