26.陰の支配者が放つ鶴の一声

 昼過ぎになって起きてきたリッピア男爵家の面々は、庭につながる扉を大きく開いて寛いでいた。旅から戻って数日は、こうして庭を見ながらのんびり過ごすのが男爵家の恒例だ。小さな窓がついた壁は引き戸になっており、雨戸のように3枚をすべて開けると庭が一望できた。


 裏を返すと、そのくらいコンパクトな敷地なのだが、手入れの行き届いた庭はトマトの実や南瓜の花が咲き誇る。根元には虫除けを兼ねて菊やハーブが植えられていた。紫や黄色の小花を揺らすハーブをいくつか手折り、果実水に香りをつける。


 氷を作った次男ニームが冷やしたハーブ果実水を飲みながら、一家はソファに集まって家族会議を始めた。


「まず、分かっている話を確認するぞ」


 前提条件の確認は、一番大切だ。全員が共有することで、それぞれの知識や経験が生かせる。この家で家族会議は、よく行われてきた日常の一コマだった。


「一昨日の教会で、可愛いティアが聖女に選定された。その後神官による拘束などの不当な扱いがあり、王家が保護に乗り出したと思われる」


 ルドベキアが淡々と語る内容に、兄達が渋い顔で頷いた。前提の確認に、どうして可愛いの形容詞が必要なのかしらね。母リナリアは、相変わらずの親バカぶりを示す夫に苦笑する。


 クナウティアは飲み干した父のグラスに、果実水を足していた。話の内容はきちんと聞いているし、今のところ間違いはなさそうだ。


「聖女に選ばれた以上、役目を辞退は出来ない。愛らしいティアは、聖女としてこれから苦労するだろう。可哀想に」


 セージが深刻そうに呟く。都度、不要な形容詞が冠として付くことに、クナウティアは疑問を抱かなかった。普段からそうなのだ。


 一族から聖女が出れば、貴族家は名誉だと大喜びするものだ。それを哀れと嘆く家も珍しい。だが彼らにとって、一家の中心である大切な末っ子が、魔王討伐に駆り出される危険性は無視できなかった。


「聖女なんて、なりたくないわ」


 クナウティアは溜め息をついて、果実水の満たされたグラスを覗き込む。少し唇を尖らせ、気が進まないと示した。聖女はお嫁にいけなくなるかも知れない、恥ずかしい役目だというし……勘違いは口に出されず、そのため誰も気づかない。


「聖女になれば贅沢できるわよ」


 なんとかやる気を引き出そうとする母リナリアへ、クナウティアは首を横に振った。どんな贅沢が出来たとしても、彼女にとって家族が一緒の食卓以上の幸せは想像できない。豪華な髪飾りやドレスは憧れるけど、畑仕事には向かなかった。


 いつもの生活を守りたいだけなのだ。唇を尖らせたままの妹に、ニームは覚悟を決めた。


「仕方ない。魔法が使えるし、僕が騎士に立候補するよ」


「いや、お前にはセレアがいる。俺が行く」


 幼馴染みである少女に恋をしている弟は、家に残したかった。長男として妹を守るのは俺だと、セージが名乗りを上げる。しかしここで予想外の名乗りがあった。


「俺が行こう」


「「「ないわ(ね)」」」


 一家の大黒柱は、妻と2人の息子に反対されてがくりと項垂れる。ぶつぶつ文句を言う拗ねた中年を放り出し、母が司会を始める。


「一番いいのはセージかも知れないわ。ニームはセレアちゃんを守りなさい。先日の強盗団を倒したのはセージだったわよね? あの時の功績を利用して、聖女の護衛騎士に潜り込みなさい」


 母の命令に、長男は素直に頷いた。少し複雑そうな次男を他所に、復活できない父。この城塞都市リキマシアで名の知れた一家の会議は、陰の支配者が放つ鶴の一声で結論がでた。


 尊敬の眼差しを向けた部隊長の思いも知らず、彼らは末っ子を守るために動き出す。賢者となる王太子が待つ王宮へ向かうため、リッピア男爵家は準備を始めた。

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