第8話 三時間前~友の目覚めと姫の知らせ

森の木々が辺りを暗闇で覆う中、一人の人物が一頭の黒一角獣ダークホースに跨りながら疾走していた。


 灰色の外套に身を包み、顔にはまるで何かを隠すかのようにぐるぐると包帯が巻かれていて異様さが目立ったが、その下に纏った質素ながらも高級感溢れる民族衣装のせいか不思議と気品に溢れていた。また、背中に担いだ小弓は銀色の装飾が施されており、この人物が高貴の身分であろうことを物語っていた。


 やがて辿り着いたのは岩石が幾層にも重なる断崖の果て。黒一角獣から降りて先を見渡すと眼下には華やかな城下町、そしてその中央には聳え立つ巨大な王城が見える。


顕霊解除ぺルクリア


 心の中でそう唱えると、先ほどまで跨っていた黒一角獣の姿が一瞬輝いたかと思うと、瞬く間に掌に収まるほどの大きさの牛角を模した簪へと姿を変えた。


 「――果たして間に合うかしら――」


 何か焦るように呟いたその音色は、凛として少し大人びてはいるが、何処か幼さを感じるものであり、この人物が女性――それもおそらくは年端もいかない少女――であることを証明していた。


 「全ての真実に気が付いた時、『彼』は一体何を想うのでしょうね――」


 その時、彼女の言葉を掻き消す様に一陣の風が吹いた。彼女の羽織っていた外套がめくれると、青み掛かった神秘的な黒髪の長髪が波を打った。


 そして、彼女の手の中にあった簪は再び輝き出すと、巨大な水色の翼竜の姿に変わり彼女を包みこむと、何処かへと誘って行った。




***




 「――して下さい……覚ましてください――ラルス様――!」


 脳裏に女の声が響く。その声に導かれるかのように青年――ラルスはゆっくりと瞼を開く。

 

 「――お願いします。勇者様を――リィード様を――」


 聖女の様に透き通った声がラルスの耳元で反響する。だが、どこかその音色は悲痛に満ちていた。それになんだか先ほどから後頭部がジンジンと鈍い痛みに襲われている。ラルスは気になって頭を擦った。


 「いたたた、なんだこりゃ!?コブできてんじゃねぇか!」


 凹っとコブが出来ていた。幸い出血はしていないようだが、明らかに何かで殴られたような痕跡がそこにはあった。


 「……!大丈夫ですか!? 今、傷治癒術クラーチェを――」


 彼がふと隣を見ると先ほどの声の主――姫がラルスの頭を心配そうに覗き込んでいた。


 「うん?君は……って姫様じゃないか!どうしてここに? というか此処は何処だ?オレは祝賀会に参加していたはず。そういや変な燕尾服のおっさんに絡まれたような気がするが……その後は……駄目だ思い出せない」


 ラルスが周りを見渡すと、真っ先に薄汚れた鉄の檻が目に入った。どうやら此処は独房の様だが、驚いたのは他の牢屋とは一線を画すほどの広さだった。


(なんだ。この部屋は。 独房……なのか?いやそれにしては広すぎる。それとこれだけ広い部屋を何故今まで誰も知らなかったんだ)


ラルスは心中に確かな違和感を抱いた。王宮内で秘匿されていた大室。それも行儀が良くない場所ときた。何か嫌な予感がラルスの脳裏を貫いた。


 「何も……覚えていないのですか。いえ無理はありません。あなたはリィード様の御友人。彼の身に何かあれば必ずあなたは助けに行くでしょう。それを見越してあの人は……」


 「いや少し落ち着いてくれ姫様。さっきから何を言ってるのかさっぱり分からん。一体あいつに何が起きたっていうんだ?」


  後ろ髪を掻きながらばつが悪い表情でラルスが問いかけると、彼女は下唇をきつく噛むとそのまま俯き、惨劇を目にしたかの様な仄暗い表情で彼に向き直った。


 「落ち着いて聞いて下さい。リィード様は……王家に対し謀反の罪を犯しました。あろうことか他でもない我が父、ケイネス王を殺害しようとしたのです……!」 


 「何!?リィードがか?……そんな馬鹿なことが――」


 「私も信じたくはありませんでした。私のお慕いするリィード様がそんな凶行を犯すなんて。ああ……どうしてこのようなことに……」


 「いや、あいつががそんなことするはずねぇ!何かの間違いだろう!」


 姫の口から零れた予想だにしない言葉にラルスは思わず前のめりになった。


 これまで苦楽を共にしてきた親友があの王様を殺そうとしている?そんなことあるはずがない……

 ラルスの全身に激しい動揺と激情が奔った。


「姫様、君は何か知っているんだろ?教えてくれよ――なぁ……頼む!」


 気が付けば、知らぬうちに姫の肩を掴む手に力が籠っていた。


「い、いたいです……やめて――下さい」


 姫の悲痛な叫びでラルスは我に返った。何をやっているんだオレは。彼女に当たっても何も変わりはしないのに。

 ほろ苦い罪悪感が彼の心を蝕んだ。


「……すまない。柄にもなく焦っていたようだ。だけど、どうしても信じられないんだ」


 ラルスが頭を下げると、姫は俯きながら続けた。


「……ごめんなさい。私が知っていることは、選定式の後に勇者――リィード様がお父様を殺そうとした……それだけなんです。どうしてその様なことになったかは私にも分かりません。でも……それでもいかなる理由があっても彼が裏切り過ち犯したことは事実なんです。私はそれが許せない……!」


 姫は目の淵に大粒の涙を貯めて震える声を徐々に大きくしながらラルスを見返し叫んだ。  


「姫様。あんたはリィードあいつを信じないんだな――悪いがオレはまだ完全には受け入れちゃいねぇ。あいつのことはこの王宮の誰よりも一番オレが知っているんだ。だからオレは……オレ自身の目であいつを見るまで認めない」


 ラルスはボソリと呟き、気合を入魂するかのように自身の頬を二回叩いた。


「とりあえずややこしい事態を起こしたリィードの奴を見つけ出すことが先決だ。一刻も早くこっから出ないとな。姫様、オレの装備はどこだ?——姫様……?」


ラルスが姫の方を振り返った時——そこに姫の姿はなく、辺りを静寂が包み込んでいた。



――謀反の勇者、リドラスタの処刑まで後3時間——



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