第5話 裏切りの鐘

――選定式の少し前。謁見の間に一人の少女が訪れていた。


「お父様! どうかお考え直しください!」


聖王ケイネスの御前、娘である王女レティシアは必死に訴えていた。一方で、娘の声など聞こえていないかのように、聖王ケイネスは険しい顔つきを崩すことなく組まれた両腕を解こうとはしない。


今思えば朝から城の中は落ち着きがなく、何かおかしいと感じていた。その違和感が本格的に浮き出てきたのは、リィードの口から零れた選定式という単語。まさかそれがこんなことだなんて。あまりにも現実離れしていて彼女には受け入れることなど到底できなかった。


「どうして彼――リィードがそんな目に遭わなければいけないのですか!? 私には理解できませんっ! こんなこと!今すぐ中止して下さい!」


拳を握りしめ、精一杯の声で父に呼びかける。その声は、生まれたての子鹿のように弱々しく震えていた。


「『リィード』か。そうか其方は――」


ケイネスは、娘の口から出た聞きなれた青年の名前に一瞬苦虫を噛みつぶしたような顔をするも、すぐに感情を失ったかのような冷徹な感情の仮面を被ると謁見の間に近衛騎士を収集した。近衛騎士たちが集まると全員を一瞥し、何かの合図をするかのように静かに片腕を掲げた。その動作とほぼ同時に耳を劈く雷鳴が轟く。レティシアがふと窓の方へ視線を送ると空は曇り、ポツポツと雨が降り始めていた。


「聖王様、『舞台』は一たび整いました。」


「――うむ。ご苦労。万が一の事態に備え城外にも兵を配備せよ」


馬で城の外から戻ってきた騎士隊長が跪き報告する。それを聞いたケイネスは一度頷くと淡々と号令を出した。それを合図に、衛兵たちも改めて姿勢を正す。


その後方では、もはやどうにもならないと悟ったレティシアが地面に泣き崩れていた。御付きの侍女が、心配そうにレティシアの背中に手を添えている。玉座の間には彼女の嗚咽だけが聞こえていた。そんな彼女の元に聖王が近寄ると伏目がちに声をかける。


「――我が娘よ。分かってくれとは言わない。恐ろしい悪魔だと軽蔑しても構わん。余とて勿論本位ではない。……だが、余はこの国の王。国や民を第一に守らなければならない存在なのだ。そのためならいかなる犠牲を払うことになっても厭わない。例えそれがお前の愛する男だったとしても……だ」


ケイネスはなおも泣きじゃくる娘を強く抱きしめる。すまない、すまないと呪詛めいた謝罪の言葉を吐きながら。


束の間レティシアを抱きしめた後、ケイネスは静かに宣言する。先ほど娘に向けていた顔とは打って変わって、その表情はどこまでも険しく気力に満ち溢れている。残酷な結末に向けたケイネスの強い覚悟が現れていた。


「全ての状況が整った。選定式の後、『勇者リドラスタ』を拘束し――抹殺する。全てが片付くまで王女は軟禁しておけ」





***





「悪いラルス。祝賀会なんだけど、ほんの少し遅れそうだ。先に行っていてくれないか?」


「ん?どうした一体。何かあったのか?」


ラルスの問いかけにリィードは首を捻る。


「いや。なんか、王様がおれに用事があるんだとさ。内容はおれにも分からない」


選定式が終わり、ラルスを含むほかの者共が次に祝賀会に向かう道すがら、リィードは一人、話があると王様に呼ばれていた。


場所は王宮の上層部にある、広い応接間の様なところだ。


初めて入る部屋だった。何処か独特の雰囲気を覚えるも、なるべく平静に務めた。




「――其方に説こうリドラスタよ。お前に何かを犠牲にしてでも国を――世界を救う覚悟はあるか?」


部屋に足を踏み入れるなり突然王様から言葉を投げかけられたリィードは一瞬ビクッと体を引き攣すが、すぐに何事もなかったかのようにキリッとした表情を浮かべるとすぐに切り返した。


「そうですね。きっと魔王討伐の旅の途中で、幾つかの犠牲は出ることでしょう。だけど、おれはそれをなるべく最小限に抑えたい。もう目の前で誰かが咽び泣くのを見たくない。そう思っています」


胸を張ってそう答える。本心からだった。可能な限り救済の手を伸ばすのだ。だっておれは勇者なのだから。リィードは固く握りしめられた手を見つめながら、誰に言われるのでもなく一人頷く。


「そうか。其方ならきっとそう言うと思っていたぞ。――ガラフ卿、例の物を」


一しきりリィードの話を聞くとケイネスは、力強く組まれていた両腕を解くと、彼からから見て左隣に立っていた魔導師風の初老の男――ガラフに声を掛けた。ガラフは王の顔を見て一瞥するとそのまま席を外し、しばらくしてから後方より何やら杯の様な物を抱えたまま再び姿を現した。


差し出された代物に思わずリィ―ドが中を覗き込むと、濃い紫色をしたよく分からない液体が波打っているのが見えた。――何故だか分からないがひどく嫌な予感がした。


「王様。一体何なんですこれ?やけに禍々しい色をしていますが」


「それは――毒だ。どんな者でも一瞬で死に至らしめる極めて強力なな」


「あっははは。冗談ですよね王様。これじゃまるで、おれに死ねと言っているようなもんじゃないですか。やだなぁ」


リィードは引き攣った笑みを貼りつけて大量の冷や汗を流しながら恐る恐るケイネスの顔色を伺う。


「……余がその様な下らぬ戯言を吐くと思うか。分からぬようなら今一度言う。この国の――世界の為に其方は此処で死ね、勇者よ」


何かを堪えるように険しい表情で静かに宣告するケイネスに、リィードはこれが王の戯言ではないことを思い知った。そして振り絞る様にその口から否定の言葉が零れた。


「――嫌だ」


杯を投げ捨ててリィードが発したその言葉に、ケイネスはそれも最早予定調和だと云わんばかりにわざとらしく首を横に振った。


「……そうか、残念だ。せめて勇者のまま死を迎えさせてやりたかったがな。仕方あるまい。ならばお前にはこの国を脅かす逆賊として死んでもらうことになるな」


そう言うとケイネスは突然立ち上がり、部屋中に響き渡る声で号令を出した。


「者共出会え!この者は勇者でありながら魔族と繋がっていた悪しき裏切り者だ!ただちにこの男を拘束しろ!」


王の号令がかかるや否や、四方八方から衛兵が飛び出してくる。その中には先ほどの式典に参加していた見慣れない勇者候補の姿もあった。あまりに出来過ぎているこの状況にリィードは思った。ああこれは最初から仕組まれていたのだと。

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