第1幕 勇者剥奪

第1話 門出の前

「いやあ、全くめでてぇ! 今日は俺様のおごりだ! じゃんじゃん呑みやがれぇーっ!!」


 酒場『黒鉄の錨亭ダークロン・アンカー』のマスター、ゴードンは年季ものの酒樽を惜しみなく開けていく。中には、並々と高級そうな名酒が波打ち、鼻を引く豊潤な香りを辺り一面に充満させていた。

 陽気な鼻歌を歌いながら、彼は機嫌よくどんどんとグラスに酒を注いでゆく。


 この大盤振る舞いには理由があった。


 明日は酒場の常連客の青年の晴れ舞台である選定式があるのだ。しかも、ただの選定式ではない。聖国レーリアス随一の英雄――つまり『聖剣の勇者』として認められる、そのための式が王宮で催され、青年はそこへ主賓として出席することになっている。


 「俺様は信じてたぜ。リィード、お前なら絶対に聖剣の勇者になれるってな。この俺の慧眼に狂いはなかったな! がっはっは!」


 「おいおいおやっさん、飲み過ぎだよ。いや、嬉しいけどさ」


 ゴードンに肩を叩かれながら、逆立った灰色の癖毛と琥珀色の瞳が目を引く青年リィード――リドラスタ・ソーナバインは照れを隠すように頬を掻く。


 「ハッハー!これでこの国も安泰だな。さて、ジャンジャン酒を持ってくるぜ――お……っとと……」


 「おっと……大丈夫かよ、おやっさん」


 ぐでんぐでんに酔っぱらったゴードンが立ち上がろうとしてふらふらと倒れそうになるのを見て、慌てて駆け寄り肩を貸す。

 これほど酔いつぶれたゴードンを、リィードは見たことがなかった。これ程にも、自分のことで喜んでくれる人がいる。そう思うと、自然と目頭も熱くなる。


 「おやっさん、ありがとな。おれがここまで来れたのも、あんたのおかげだよ。本当に感謝してる。」


 そう呟くとリィードは、自慢の黒ひげを撫でながらいびきをかき始めたゴードンを壁際のソファーにそっと寝かせた。

 

 店内は、ゴードンの計らいでリィード、それと親友のラルス2人で貸切だ。

 金管楽器で奏でられた、ゆったりとした楽曲が蓄音機レコードから流れ、穏やかな時間が流れている。席に戻ったリィードに逆立った赤髪が特徴の精悍なラルスが小さな声で話しかける。


「おやっさんは寝たみてぇだな。リィード」


 ラルスは感慨深げに、手にもっていたグラスをカウンターに置いた。大柄なラルスが持っていると、グラスが小さく見える。


「珍しいよな。おやっさんが潰れちまうなんて。お前が聖剣に選ばれたことがよっぽど嬉しかったんだな。」


「よせよ……。皆はおれが聖剣の勇者なんていうけど、おれはまだ聖剣自身に選ばれたわけじゃない。大体、本当におれなんかが選ばれていいのかよ。 剣の実力ならラルスの方が断然上だし、本来なら――」


「何いってんだよ? あ、まさかお前、オレに気を使ってんのか? らしくねぇぞ」


 ラルスは、口元を少し歪めるとグラスを手に取り、中に葡萄酒を注ぎ込んだ後、いつも浮かべている悪戯小僧の様なやんちゃな笑みを湛えて続きを話す。


「あのなぁ、皆がお前を真の勇者だと認めてんだから聖剣にだって選ばれるだろ。寧ろお前意外に適役がいるかよ。心配すんな。お前のこれまでの戦いが証明してくれる。だからよ、明日は胸張って王宮に行くぞ。オレも隣に居てやっからさ」


「そう……かもな。その、ありがとなラルス」



リィードはラルスを一瞥すると、火照った顔を誤魔化すようにグラスに残っていた蜂蜜酒を一気に飲み干した。


ラルスも同じように葡萄酒を飲み干すと、両手をリィードの肩に置き、真剣な面持ちで軽く頷いてみせた。


「いいか、リィード。お前は英雄になるんだ。実力も、民からの人気も申し分ない。――大丈夫だ。この先何か困ったことがあってもオレがいる。それに――」


 そこまで言うとラルスは伏し目がちに目線をカウンターの奥へ向ける。


 ラルスの視線の先には、小さな額縁に飾られ、壁に掛けられた一枚の写真があった。そこにはラルス、リィード、そして栗色の髪の少女が、王城の前で笑いながら肩を寄せ合う様子が写っていた。


「――メリィもお前をきっと見守ってくれるさ」


「……ッ!そう……だな。おれもそう願っている……」


「まだ、気にしてるのか? メリィーのことを……。あれはお前のせいじゃない。やったのは下劣極まりねぇ魔族ヴァースのクソ野郎だ」


ラルスの言葉に不意をつかれたリィードの表情に苦痛と悔恨の色が浮かぶ。


「そうかもな。だけどさ、ふと気がつくと考えてしまうんだ。メリィがもし生きてたらって。……あの時――おれが間に合っていればって……!」


「……メリィはもういない。いないんだよ。それに今のリィードを見たらあいつはきっと怒るだろうな。そんな顔をさせるためにあいつは犠牲になったんじゃない。そうだろ?」


「分かってるさ! 言われなくてもそんなことは分かってるんだ……。ただ、おれは!お前がメリィーのことを――」


「言うな!!」


ラルスの大きな声に、リィードはハッとして顔を上げる。怒りに満ちた眼、そして肩を掴む大きな手の彼の大柄な容貌に相応しくないほど震えが、その先については喋るなと強く警告していた。


「……悪い。だけどな、もういいんだよ。そんな昔のことは……」


 ラルスは思った。自分は演技をしていると。リィードがこのような反応になるのは容易に想像できていた。オレは、悲しいふりをしている……いや、本当に悲しいのだ。メリィーがこの世からいなくなったことが。

 でも、自分のしていることはリィード――新友をただ苦しめているだけだ。こんなことをして一体何の意味がある?


 気が付くとリィードは血が滲むほど強く拳を握っていた。2人の間で今まで避けてきた話題。大切な仲間であるメリィーの死。そのことには、お互い触れないようにして今まで過ごしてきた。

 それが、明日の選定式を控えた高揚感と飲みすぎた酒のせいで心が緩んだのか、一線を踏み越えてしまった。


 訪れる長い沈黙。この陰鬱とした雰囲気に、リィードは押し潰されそうになっていた。彼らにはどうしようもなかった。今となっては、彼女を語る言葉など持ち合わせてはいないのだから。


「ああんー? どうしたんだ一体? 急に大声なんか出しやがって。」


 先ほどまで寝ていたゴードンが、欠伸をしながら気だるげに立ち上がる。


「いくら明日がめでてぇからって、羽目外しすぎんなよ? 今日はこれくらいでお開きにしとくか。明日の分まで飲んじまう訳にもいかねぇ。なんつったって明日が本当の宴なんだからな」


 ぐーっと伸びをしてから、2人にのそのそと歩み寄る。それぞれの肩を軽く叩き、穏やかな笑みを浮かべながら2人に語りかける。


「リィード、ラルス。お前たち2人は俺様の自慢だ。これからも高めあっていけよ。そして、いつか魔族ヴァースを滅ぼしてこの国に平和を齎しやがれ」


 ゴードンの言葉に、2人は顔を見合わせると思わず破顔する。かなわないな。この人はいつも必要な時に正しい言葉をかけてくれる。


「はは、おやっさん、間違ってるよ。」


「あん? 俺様何か変なこと言ったか?」


リィードの答えに、不思議そうな顔をするゴードンに対し、ラルスがニヤリと笑いながら右手を三本立てる。


「メリィも入れて、3人だ。」


ゴードンはすぐに気づいた顔をして軽く頷く。


「カハハ!そうだったな、悪い悪い! お前らなんかよりも可愛い可愛い天使様を抜いちまうとは! あの世であいつに殴られちまうところだったぜ。 頼むぜ天下無双の3人組よう!」


 楽しそうに大声で笑うゴードンを見て、自然とリィードとラルスにも笑みが零れる。メリィの死について、今は答えを出せない。

 だけど、きっといつか分かり合える日が来る。ラルスも同じことを考えているはずだ。だから、今はこれでいい。これからも変わらぬ明日が続く限り。


 肩を組んで笑いあう二人を見てリィードは一人そう考えるのだった。

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