第59話

近隣県代表選手による奇跡のバトルマッチ。試合は中盤戦を迎え、地衣太が2ゲームを取り勝利に王手を掛けた。強者同士の戦いからフルセットによる接戦が予想されたが蓋を開けてみれば体重急増化によるコンディション不良のショージを強者との試合に飢えた地衣太が良いように手玉に取り、場の空気を鎮圧させていた。


「確かに地衣太は強い。でも」


言いかけてぼくは口をつぐんだ。おそらくみんなこの試合のここまでの感想は同じだろう。


――地衣太の実力は認める。でも相手のショージがまだ力を出し切っていない。


審判がピっとフエを吹き、第3ゲームが始まる。最初のサーブ権はこのゲームもショージに渡った。ショージはフッとボールを宙に浮かべるとクロスに長いサーブを放ってみせた。


「切れるか?」

「いや、収まりますわ!」


オボキタとくらげの声が両脇から飛び、ぼくはボールの着地点を見定める。するとピン球は台の手前を擦りその下に沈み込んだ。地衣太が顔を上げると審判がショージの得点をコールした。


「アイツ、前のゲームで地衣太にやられた事をやり返すつもりか?」

「良いですわ、山破さま!ざまあみろですわ!ハチマキ少年!…少し調子を取り戻してきたんじゃないかしら?本田さん」


くらげの輝いた目を受けてぼくは「ああ」と生返事を返す。これまでのゲームを見た限り、少し休んだくらいでショージの身体に本来のチカラが戻るとは思えない。するとショージが一球目とまったく同じ打球を同じコースに放り込んだ。地衣太が貝谷監督を振り返って「お手上げ」という風に首を傾げると会場の空気がワッと沸いた。


「まるでこれから自分のサーブは全部アレで決めるとでも言いたげだな」


オボキタがそう呟くと審判がふたりを呼び出して注意を与えた。警告の内容としては「キミ達狙ってエッジボールを打っていないかね?健全な卓球少年同士、相手と正面から打ち合いなさい」。審判の口の動きからそういうニュアンスを感じ取ると当事者の地衣太とショージが頷きながら卓に戻った。地衣太はいたずらっぽくちいさく舌を出すとショージはフン、と鼻で笑いながら腰に手を当ててかぶりを振った。


「これでエッジボール合戦は終了だな」

「そんな!せっかく山破さまに勝ち筋が見えたのに!だったらさっきのゲームは無効にすべきですわ!」


くらげが抗議の声をあげるが試合はそのまま続行。反則スレスレとはいえ、2点のリードがショージに余裕をもたらしたのか、ドライブの応酬になっても引かずに全身の肉を揺らしながら地衣太に喰らいついて得点を積み重ねていった。お互い自分のサーブ時に得点を加算していた両者だったが遂にその調和が崩された。


3球目、ショージがミドルに高速のドライブを放つ。すると地衣太が上体を動かさず、腰の抜きだけでラケットを振るうとクロスの逆をついたストレートの球種が目にもとまらぬ速度でコートに線を引いた。


「あれは…パッシングショット…!」


夏の団体戦での地衣太のショットを思い出してぼくはその場を立ち上がる。あの試合、兄である大河さんから精神的に追い込まれ、最後の場面で彼に芽生えた最速の居合抜き。ぼくらが受けた時はまだ打球が安定していなかったが、おそらく地衣太は今日までこのショットを磨き続けてきたのだろう。サービスブレイクを受け、ショージは相手に点る得点を見てハン、と鼻で笑い飛ばす。


「この状況でもまだ余裕か。接戦には慣れているようだな」

「あの程度の速球なら問題ありませんわ。まだ1点リード。山破さまが突き放しますわ」


くらげの期待をよそにショージは次のラリーで地衣太が放ったパッシングショットをリターンできずに同点に追いつかれてしまう。あのショットを受けた経験のあるぼくは呻きながら席に沈み込んだ。


「パッシングショットはいわゆる視線誘導の技術のひとつだ。相手に『ここに打つ!』と目で主張して瞬時に別方向へ超スピードショットの打ち込み。それにショージが気づいているかどうか」

「分かっていても瞬時に反応できる打球ではあるまい」


地衣太の勝ちを確信したようにせせら笑うオボキタをよそにくらげはいたいけな瞳で卓に着くショージを見下ろした。


「あの打球に追いつく方法ならありますわ」


ぼくの頭にくらげと同じようにアイデアが閃くと当事者のショージは視線を宙に浮かべてちいさく「ワリ。使わせてもらうわ」と呟いた。すると地衣太のサーブから4球目にそのアイデアはハッキリと具現化された。


地衣太が腰を落として放ったパッシングショットにショージが体の重心を傾ける。ラケットからの着地点を逆算してその場からぐん、と飛び跳ねる。ショージが繰り出したのは後輩のガッツが得意技とする琉球古武術『縮地』。自分の放ったショットにショージが上乗せしたパワーが加わり、リターンショットが地衣太のラケットを勢いよく弾く。得点が点り、歓声が沸くとショージはこの日初めて拳を握り締めた。


「素晴らしいですわ山破さま!そのまま……って、なんで止めるのよっ!」


くらげの歓声が瞬時に怒声に代わった。

何故なら再びショージがリードを奪ったのにセコンドの茸村監督がタイムアウトを取り、試合を止めたからだ。ブースのふちに戻るショージを見てオボキタが冷静な仕草で眼鏡を指で押し上げる。


「この場面でタイムとは。あのオヤジ、やり手だな」

「ああ、俺もあの人には苦しめられた」

「何を言ってますの?せっかく畳みかけられるチャンスでしたのに!」


むっくり膨れるくらげをよそにぼくはフェンス越しに会話をするショージと茸村監督に目を向ける。お互いに口元に手を当てて次の展開について話をしている。


「嫌なモンなんだ。相手が優勢になった途端、タイムアウトで作戦を練っているところを見せられるのは」

「??どういう事ですの?」

「地衣太の目にはさっきのドライブの残像が焼き付いている。アイツの力量なら次に同じ打球が来たら返せるかもしれない。でもその思いから試合が中断され、流れが途切れると地衣太の思考には迷いが生まれる」


憎々し気にオボキタが息を吐くと試合が再開された。ラリーが展開されると地衣太はミドルに陣取ってショージのドライブに備える。バック側への密集打オーバードライブ?それともクロスへの離打アイソレート?この心の揺らぎをアイツが見逃すハズがない。


中央通貫打ペネトレイトーー!!」


腕と脇の間を縫うような狙いすました打球が抜けるとショージ側の得点板に10が点る。ゲームポイントだ。するとサーブ権を得たショージが矢継ぎ早に腕を回した。


「ここでアレを打つつもりか!?」

「いや、今のアイツの状態なら決められるかもしれない!」


会場の期待をはらんだ一打がショージのラケットから放たれる。天ヶ崎のサーブ王が決め球に選んだのは第1ゲームで外した『サークルジャイロ』。低い位置でネットを飛び越えた打球がテーブルに着地するとぼくらは思わずその先の進路に息を呑んだ。


「沈まない!跳ねた!」

「地衣太が周りこんでいる!」


観客が言い終わるより先に地衣太のドライブが打ち込まれ、これが地衣太の得点に。これは名手ショージ、少し勝機を焦ったか。仕切り直しでクロスに長いドライブを打ち返すショージ。すると衝撃のショットが4球目に放たれた。


「あの構えはッ!」


思わず立ち上がったオボキタが地衣太を見て息を吐き出した。ラリーの途中、ラケットとピン球のインパクトの瞬間、遠目からでも地衣太の腕が脱力したのが確認できた。すると打球はふわっと宙に浮いてネットを飛び越えるとショージのコートの真ん中辺りでとん、と軽く跳ねた。ショージのラケットが届かず地衣太の得点になると「ああ、もうっ!」とセコンドの貝谷さんが長い髪をかき上げた。


「新技だ。地衣太が春先から取り組んでいた必殺ショット。名を釣鐘打カンパネルラという」

「カンパネルラ…」

「カンパネラ?」

「カンパニュラ?」

「ハンパねぇるら?」


オボキタが放った一言が体育館の客席に広まり、みんなが口々にその名詞を口にする。どこか牧歌的で幻想的なそのフレーズを噛みしめると地衣太と対面するショージが大きく口を開いて「はっはっはっ!」と笑った。ぼくはその意味を理解して地衣太を眺めた。


――非公式戦とはいえ、隣県同士の卓球プレーヤーの戦い。今後ライバルとして戦う可能性の高い相手に対し隠していた新技をこの大観衆の前で披露してしまったのだ。周りを見渡してみるとさっきぼくらに絡んできた連中がラケットを手に取りその場で素振りを繰り返している。もう、この瞬間から『打倒・江草地衣太』計画が始まっているとでもいう風に。


「フー、分かっていないな。どいつもこいつも」


オボキタが席にどかっと腰かけるとずれた眼鏡を押し上げて言った。


「カンパネルラはスイングの緊張からインパクトへの瞬時の脱力。いわば抜け球だ。アレ単体で得点するだけの力はない。さきに見せたヘアピンと深いドライブと共に使い分ける事によってはじめて得点という成果を挙げられる」

「山破さまの密集打と離打、中央通貫打と同じですわね」


くらげが顎に指を当ててうんうんと頷くと闘技者ふたりが卓につく。ショージがまた『サークルジャイロ』を失敗するとデュースの状態から地衣太が試合に王手を掛けた。必殺のサービスをミスしたばかりだというのにショージに気落ちは見られない。どこまでもこの試合を試金石に自分の体と技術を磨く腹づもりだ。


地衣太の深いサーブ。2球目が台の手前に落ちるとこれを狙いすましたように、釣鐘打ち。打球は天に向かって伸び、ネットを飛び越えるとそこから急速に勢力を失い花弁が散るようにして台の中央に舞い落ちる。しかしこれを読んでいたのか、これが逆にショージのチャンスボールに。パワードライブをストレートに打ち返されると地衣太は体制を崩しながらこの打球をリターン。これには得点を確信したのか、ショージがクロスにやや緩いドライブを放つ。


「駄目だ!あの打球ならアイツなら追いつける!」


ぼくが声を発するのと同時に地衣太は顔を上げると斜め後方に走りながらこの打球を処理。サッカーで言うところのダイアゴナル・ランにてショージを欺く事に成功。すると長く大きい影が卓に伸びる。ショージが羽根つきの要領で思い切りピン球を台に弾ませるとクロス方向に勢いよくピン球が跳ねていく。それを見据えると地衣太は力いっぱいに地面を蹴り、逆方向に向って全力で走り始めた。



「危ないっ!」

「フェンスに当たりますわ!」


腕を伸ばしダイビングキャッチのような形で地衣太が宙に浮かぶピン球にラケットを持った右腕を伸ばす。ラケットに張られた反発ラバーとプラ球によるスカイ・ラブ。微かに触れたラケットがピン球に新たな回転を付加すると地衣太の体はそのまま腰の高さのフェンスに激突した。緩い球が卓に返すとこれを容赦なくショージが強打で跳ね返す。


さすがにこれはショージの得点。誰もが思ったその時だった。崩れたフェンスから鋭い影が伸び、その影が獲物を捕らえるような目にもとまらぬ俊敏な動作でピン球を打ち返した。ピン球はネットを少し飛び越えるとその場で1度、2度と跳ねた。


その瞬間、制御を失ったその体を打ち付けるようにテーブルに地衣太が激突した。


轟くような打音が響き、会場は言葉を失う。獲物を屠りつくした肉食獣の額からバンダナがするり落ちるとその勝者はこちらにまで聞こえるような声で唸った。


「なーんか揺れたと思ったらさ」


ショージの目が支柱が折れ、傾いたテーブルに落ちると地衣太はその左胸を指で突いた。


「オレの心臓、だったわ」

「…くそが」

「勝者!双峰中、江草地衣太!ゲームカウント3-0!」


審判が地衣太の勝利を告げると一拍遅れて会場に大きなどよめきと歓声が巻き起こる。この闘いを最後まで己を磨く調整の場として活かした山破ショージ。そしてウォームアップから最後まで全力で闘い抜いた江草地衣太。その両者の戦いは大方の予想を裏切り地衣太の圧勝で幕を閉じた。


「フッ、思った通りの地衣太の圧勝だったな。さて、出口が込み合う前に早く退席を…ってお前たち!俺を置いてどこへ行く!?」


試合の感想を語り始めるオボキタを横目にぼくはくらげに手を引かれ、その場から動き始めていた。


「一体どうしたんだ?」

「伝えたい事がありますの」


くらげの澄んだ大きな瞳がぼくに向けられる。熱戦の後の急展開にぼくは自分の考えをまとめる事ができなかった。


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