第58話

2ゲーム目。夏の団体戦でぼくらとの対戦でも使用したリターン不可能のドロップショット『ヘアピン』を繰り出した地衣太の勢いは留まる所を知らず、その後もドライブを中心に攻め立て、体重の増えたショージをテーブルの左右に揺さぶった。スタミナを削ろうとする相手の企みを阻むようにショージは台から外れ、宙を泳ぐようなパワードライブを放った。


「…キャノンボールか。使用許可を出した覚えはないぞ。パクリやがって」


オボキタがショージのプレーを観て悪態をついた。中距離からの深いショットはオボキタの代名詞。ぼくも決勝戦で見よう見まねで使わせてもらったが、前陣でボールを弾く相手にとっては有効な作戦だ。すると地衣太はドライブの着地点を見極め、クロスに緩いドライブを放った。ボールはテーブルの端に当たり、真横に跳ね返って液晶の得点板の数字が地衣太の方に加算された。


「ワリ。エッジボールになっちまったわ」


地衣太が笑みを見せながらショージに手を上げて謝った。意に介せずショージがサーブを打ち込む。…何かがおかしい。その違和感はすぐに実現化された。


「またエッジボール!」


短いラリーの途中で地衣太のショットが再びテーブルの端を擦り、真下にピン球が沈んでいく。「驚いた!こんな事もあるもんなんだな!」という顔をして口を縦に開く地衣太を見てオボキタが足を組み替えて言った。


「地衣太はゲームの序盤、遊ぶからな」

「…おい、もしかしてアイツ、狙ってエッジに打ってるのか?そんな事出来る訳…」


言いかけてぼくは彼との対戦を思い出した。天性の足の早さからフットワークが話題に上がる事の多い地衣太だが、技巧派の兄、大河さんと磨き上げた台上技術は折り紙付きだ。あの試合でも『ヘアピン』に苦戦し、反則までして防ごうとしたぼくとタクに対し地衣太は正確無比なショットを繰り返し最後までぼく達を苦しめた。そんな彼が狙ってエッジボールを繰り出せたとしてもあり得ない話じゃない。


「また台にぶつかったー!」

「これで江草、3球続けてエッジボールだー!」


観客の反応を受けて「ごめんね」という風に地衣太がラケットを手で挟んでショージに謝っている。卓球のルール的には台の側面に跳ね返ったショットはその後の動きが読めないためリターンは不可能とされている。そのため、エッジに当たってしまった場合、打った本人の得点になるが相手に謝らなければならないのが卓球の試合の決まりである。


「あの少年、先程から舐めたプレーをしてくれますわね」


くらげが地衣太を見て憎々しく胸の下から腕を組んだ。もし、地衣太が狙ってエッジボールにできるのであれば、それはショージからすればとんでもない舐めプだろう。


――スポーツの世界では相手への挑発と取られ、タブーとされるプレイが存在する。

格闘技での頬への軽い平手打ち、サッカーのリフティングでの相手の抜き去り、そして今ここに誕生した卓球の意図的なエッジボール。以前ぼくと戦った闘志むき出しのショージだったら今すぐこのテーブルをちゃぶ台返しして地衣太にリアルファイトを仕掛けただろう。しかし今の彼にその予兆はなく、体を屈め、意識は次のプレーに集中させている。


「いや、地衣太はショージを舐めてるんじゃない」


ぼくはふたりの動きを見てそう実感した。地衣太は待っている。ショージの中の燃えさかるような情熱がその内から吹き出して自分の前に立ちはだかる瞬間を。しかし、ショージの中でギアが上手く噛みあわない。ラリーの途中でテンポが変わるとショージはその場でがくっと膝を突き、地衣太の放ったエッジボールが台の真横に消えていく。得点板が地衣太側に光ると観客達のため息がショージの背中を取り囲んだ。


「やっぱりダメだー。山破ショージ」

「あの江草を調整に使おうなんて考えが甘すぎるだろー」

「もう見てらんねーよ。誰かほかに港内中でプレーできる奴いねーのかよ」


野次のひとつが気になってぼくは体育館の隅を見渡した。例の感染症予防で今回は試合をする二人以外の部員は体育館内に入場していない。そういえばアイツは今、どうしてる?ぼくはスマホに目を落としSNSのアプリを開いた。するとハンバーガーに喰らいついたショージの後輩、小笠原達臣おがさわらたつおみの投稿が目に留まり『最高記録更新!』という本文と共に空になったビックマックの箱が6つほど積まれた画像も添付されていた。ぼくがため息をついてスマホから目を落とすと、同じようなリアクションのくらげと目が合った。


「港内中はデブ養成校かよ…」


相変わらず『うちなー時間』のガッツの事を忘れるべく視線をテーブルに戻す。地衣太がゲームポイントにリーチを掛け、ショージからすれば苦しい展開。ラリーの途中、ミドルに来た打球をショージがクロス方向に打ち放つ。快音を徒競走のスタートを知らせるピストル替わりに地衣太がその場を駆け出す。物凄い走力でネット際に周りこんだ地衣太が体を捻って放ったのは角度の付いたクロスファイアードライブ。それも憎たらしくネットを数センチ飛び越えたうえでその着地点はテーブルの縁を踏んでいた。


「そこまでするなんて!」

「待て!ショージは諦めていない!」


この打球を読んでいたかのように待ち伏せていたショージが台に跳ね返り真横に飛んだ打球にドライブを合わせる。ぼくの後輩、赤星すばるが得意技としているセイバーショット。スーパープレイの応酬に思わず沸き立った観客達だったがその声は次のプレイで体を雷鳴で撃たれたような獣の呻きに変わった。


「まさか決め球にそれ、とはな」


かつて同じ体育館でしのぎを削ったオボキタが椅子の背もたれに深く体を持たれた。地衣太がここで繰り出したのはこのゲーム序盤で放ったヘアピンショット。ミドルに放たれた打球に対して瞬時に周りこみ、逆手でラケットを被せるようにして放ったショットがネットに跳ね返りショージのコートを転がった。


これでゲームカウント2-0。再起を誓う江草地衣太が王手を掛け、全国3位の実力者、山破ショージがいよいよ土壇場まで追い込まれた。


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