第54話

国体の予選大会にも選ばれた事のある総合体育館。すり鉢型になっている円状の観客席から中央の卓球台がよく見える席を選び、座る。するとぼくの右隣にくらげが座り、左隣に小保北が座った。ぼく達3人を見て周りにいたジャージ姿の他校の卓球部員がざわざわ話し始めた。


「おい、アレ。双峰中のロボ北じゃね?」

「穀山中のチキ王もいるじゃん」


彼らの声が届いたのか、小保北が隣で「ふっ」とメガネを指で押し上げた。夏の全中予選では苦渋を舐めたが彼は小学生の時、地方大会で優勝した経緯があり、当時から卓球を続けていたプレーヤーからは名が知れているらしい。


「それにしてもなんでアイツ他校の部員と一緒に観てるんだ?」

「さぁ?双峰に友達居ないんじゃね?」

「ふっ、ふふふ。…クソ共が」


小保北の悪態が彼らに聞こえたのか、彼らはぼくらから目線を逸らした。


「てか、チキ王、また別の女連れて試合観に来てねぇ?」

「…んな?」

「絶倫疑惑は本当らしいぜ。夏の団体決勝観ただろ?女だろうが男だろうが気に入った相手はすぐに手を出しちまうらしい」

「おいおい、英雄色を好むって言ってもヤリすぎだろ~」


彼らの噂話を聞いて小保北がぼくと少し距離を取るように左側に重心を傾けて足を組み直した。


「おいおい、俺はそんなつもりじゃ…」


立ち上がって抗議の声を挙げたかったが、彼らの目にそう映ってしまったのならしょうがない。確かに今の自分は話題先行の色モノ選手。世代別強化委員の芦沢さんの言葉を思い出してぐっと拳を握り締める。評価は実戦で塗り替えるしかない。ぼくの態度に気づいたのか小保北がハン、と鼻を鳴らして茶化すように言った。


「いいぞ、本田。体育館の隅で壁打ちを繰り返すより、女学生とスポーツ観戦でもしていた方が楽しかろう。早く最強を争う闘いから脱落してしまえ」

「まあ、私と本田さんはそういう関係ではありませんわ」


抗議の声を挙げたのはくらげだった。彼女はこの場に想い人のショージを観に来ているのだからぼくとの恋人疑惑を晴らすのは当然の事なのだが、ぼくの胸には少しもやもやした気持ちが残った。


くらげは本当にショージの事を好きなんだろうか?くらげの言葉からはショージとの直接的なやりとりは見られない。ぼくとくらげは一緒にミックスダブルスの死線を潜り抜けてきた仲だ。ぼくが強気なリードで彼女に想いを伝えれば、あるいは……。


「みんなー☆今日はこのイベントを観に集まってくれてありがとぅー♪私たちも精一杯応援しちゃうから盛り上げっていこーなー☆観客席のおまえらー★☆」


マイク越しに聞き覚えのある声がふいに届いた。重低音の効いたBGMが響くと観客席に向ってアイドルを思わしき女子3人組が駆け出してきた。


「ミックスダブルス大会1回戦で対戦した『えなP☆』さんですわ!」


くらげの声でぼくはチアリーダー姿の地域密着型アイドルのえなP☆の姿に気づく。両手に持ったポンポンをかざしながら音楽に合わせてダンスを踊る彼女たちを見てファンだと思わしき連中の集まっている一角が熱を持って騒ぎ出す。場にそぐわない即興のライブイベントに「見苦しいな。早く撤収して決闘者を出してくれ」と焦れた様子で小保北が背もたれに体重を預けた。「イイよイイよ~。最高だよ~えなピーちゃ~ん」下卑たおっさんの声が近くから聞こえてぼくはその声の主に目を向ける。


フェンスで囲われた体育館の脇からショージのセコンドに選ばれている茸村監督が望遠レンズの付いたカメラで脚をあげて踊るアイドル達を撮影している。「何やってんだ、あのおっさん!」ぼくの声よりもそのエロレンズに気づいたえなP☆が駆け寄って「接写禁止!」と言い放つと強烈なかかと落としをその円筒に決めた。


「夏のボーナスで買ったキヤノン製が…」


がっくりと膝を落とす茸村監督が壊れた望遠レンズを涙で濡らす。そんな彼を脇目も振らず3人で決めポーズを合わせるとえなP☆達はポンポンをしゃんしゃん鳴らしながらぼくらに手を振って撤収した。



幕間まくあいだが、そろそろ試合開始時間だ」


次第に近くに着席する観客の姿が増えるとぼくは深く息を吐き出して手の汗をシャツの裾で拭った。江草地衣太とショージの戦いが始まる。夏の大会で対戦した地衣太の異次元の走力と秋の新人戦で観たショージのマジックサービスが脳裏によみがえる。


「地衣太…兄の緊縛があったといえ、世代最強クラスの凄いプレーヤーだった」

「ふっ、一度アイツに勝ちかけたぐらいで好敵手ライバル面するなよ。アイツとの対戦経験ならオレの方が上だ」


元双峰中卓球部の小保北が自慢げに眼鏡のつるを押し上げた。膝の上で手を組んだくらげが視線を真っすぐに卓球台に落とした。


「山破さま…剛健で優しくて皆の模範となる素晴らしい卓球青年。新人戦決勝のあとに勝ち名乗りを挙げたあのラケットはきっと私に向けられていたものに違いありませんわ」

「いや、それは違う!」


うっとりと回想を始めるくらげにぼくは声を張る。ぼくとの対戦を想定して研鑽したマジックサービス。それを目の前でアイツが魅せてくれた事に、感謝の気持ちが止まらなかった。あの手の振りはきっとライバルであるぼくに向けられたものだ。


「くだらん言い争いはよせ。始まるぞ。正面を見ろ」


小保北がぼくとくらげに促すと会場の照明が明減し、ハーフライトに切り替わっていく。いよいよ始まるのだ。ぼくとくらげははやる気持ちを押し込めるようにして口に水を飲み込んだ。

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