飛空艇

第53話

現役プロチャンピオン、トガリ・ロンがぼくらの学校に襲来してから1週間後の週末。ぼくは単身、隣町の総合体育館に足を運んでいた。今日ここに来たのは試合に出る訳でもなく、練習に来たわけでもない。


本日この場で地区最強校双峰中の新キャプテン、江草地衣太と秋の新人戦全国4位入賞を果たした山破ショージが対戦する運びとなった。


隣県出身、有力選手同士の異例のマッチメイク。我が県に遠征してくる北の有力校との連携合宿権を懸けて世代最強を争う二人の雄が激突する。熱戦必死のこのカードを見逃す事は出来ず、ぼくらを中心とした卓球部員や詰めかけた卓球ファンが会場の外に集まり始めている。そろそろ時間だ。普段はしない左腕にはめられた時計に目を落とすと肩を指でとんとん、と二度叩かれた。


「お待たせしましたわ。本田さん」

「ああ、俺も今来たところ…ってオイ」


振り返るとそこにはモデルのような薄い生地のロングドレスを着た稲毛屋くらげがにこやかな笑みを浮かべて立っていた。中学生らしくない背伸びしたファッションやメイクに戸惑っているとくらげが先を歩くようにしてぼくに言った。


「今日はあの方の晴れ舞台ですわね。私も負けないように張り切ってドレスを選びましたわ」


歩く度に上下に揺れるくらげの胸を見て通行人の視線を感じる。さきのハロウィン大会でのパットの件を思い出してぼくは少しげんなりする。やれやれ、今日も彼女の『騎士』兼、保護者役か。「おい、そこのおまえ」横から男の声が降りかかるがくらげへのナンパだと思い、やり過ごすと「待て!無視するなよ!貴重な他校の卓球部の知り合いだろ!」と中学生らしい声が響いてくらげと一緒に立ち止まる。声を掛けてきた男はフー、と長い息を吐くと眼鏡を押し上げて自己紹介をした。


「こうして会うのは初めてだな本田モリア。迷走気味の卓球部部長のおまえに度々、助言を与えている小保北広貴おぼきたひろきだ。無謀にもあのトガリ・ロンに喧嘩を売ったそうだな」


度の強いレンズの向こうから濁った瞳を向ける小保北を見て「この方、本田さんのお知り合い?」とくらげがぼくに訊ねる。彼も退部したとはいえ、元双峰中卓球部員。同じ体育館で汗を流した江草地衣太を応援するためにこの場に来ていても不思議ではない。


「生憎、この俺が江草地衣太の観戦に訪れたものだとシャロい事を考えているのだろうが」


小保北はこちらが聞いてもいないのに見透かしたような発言をし始めて顔を見合わせるぼくとくらげ。ぼくらの態度を気に掛けずに小保北は話を続けた。


「俺はもう双峰中の卓球部を辞めた身だ。江草とはかつてはレギュラーを争ってしのぎを削った関係だが今はもうフラットな関係性だ。アイツよりも今は本田、オマエに興味がある」


くらげが「まあ」と口元に手を当てると耳元に顔を近づけて小保北はぼくに訊いた。


「トガリのサイン、持ってるか?」

「持ってない。必要ないからな」

「チッ、使えんな。青臭いライバル関係を意識して同世代の相手から貰う事を恥じたのか?後悔する事になるぞ」


その後も小保北はぼく達の後をブツブツ言いながら背後霊のように付いてくる。


「ねぇ、あの方も今日は一緒ですの?」


くらげが小保北を警戒するように尋ねるがこの場に一人で訪れた卓球少年を邪険に扱う事も出来ず、ぼく達は広い総合体育館の入口で靴を履き替えた。廊下を少し歩くと「お、穀山中の本田くんじゃないかー!」と声を掛けられた。


「この間は試合観に来てくれてありがとー。あ、キミはヤマハ信者だったかー」


やや高い明るい声が廊下に響くとぼくは彼にどうも、と頭を下げる。彼はぼくが観戦した秋の新人戦天ヶ崎地区ブロック決勝戦に出場した右曲中うまがりちゅうの藤原君だ。彼もぼくと同じチキータを武器として戦う選手のひとりで初対面だというのにフレンドリーな態度でぼくの肩を叩いてきた。


「本田クンの事はあの芦沢あしざわハゲからよく聞いてるよ~。今日はヤマハと江草弟の対戦だけど、次はオレとキミでろう!どっちが本当の『チキータ王子』か決めようじゃないか!」


肩をたたき続ける彼の腕をさりげなく解くとぼくは「ああ」と確信の持てない声を出した。ウェーブのかかった目が隠れるくらいの前髪と腕の長い痩身。某国民的ミュージシャンに似ている外見からぼくは勝手に彼が『無口な求道者タイプ』だと思い込んでいたが実際は『パーティーピープル』のような明るい性格の男だった。


「それにしても頭にくんなぁ、あの芦沢ハゲ」


藤原君は思い出したように腕を組んで悪態をつき始めた。


「あのヤマハに負けた試合の後、『キミには勝者としての資質がない』とか言われて強豪校の推薦、切られたんだぜ。ま、越境までして強い高校行く必要はないと思うけど。オレ、自らが弱小校を全国に導いていくというフロンティア精神!本田クン、キミもそういうクチだろ?それじゃ、次は卓球台の前で会おうぜ」


藤原君は結びの句を告げると一方的に会話を打ち切った。「あ、それと」振り返って小保北を眺めると藤原君は言った。


「本田クンの友達も卓球頑張って」


手をひらひらさせながら別方向に歩いて行った藤原君が角を曲がると突然小保北が消火器の扉を拳骨で殴りつけた。


「あの野郎!オレの事を本田のついで扱いしやがった!去年練習試合で負かした事、根に持ってんのか!少しレシーブが上手くなったくらいで調子づきやがって!あの野郎、絶対許さねえ…」

「モノに当たるのはやめてくださいまし。見苦しいですわよ」


怒りで荒い呼吸を繰り返す小保北をくらげが冷静な口調でいさめた。やれやれ、どうしてこうもぼくの周りには問題児が集まってくるのか。


「そろそろウォームアップが始まるぞ」ふたりを呼びつけてぼくらは体育館の観客席に向った。


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