第49話

長かったミックスダブルス大会もいよいよ最終局面。勝負を賭けた第3ゲーム、これまで優位に進めていた『オペーレーション・ゼロ』を解除し、正攻法で挑み始めた『天城・いすずペア』。それに対しこれまでの『ストリーム』を軸に状況に応じた返球で得点を重ねていく『稲毛屋・本田ペア』。息抜きとしてたまたま会場に居合わせたプロ卓球プレーヤー西谷進は試合を観戦して「どちらのペアも中学生のプレイじゃない。コンビの特色を活かした戦型の選択、コンビ間での息の良さ。プロの卓球と比べても遜色なく感じられた」と後に専門誌・卓球帝国のインタビューで回答している。


さあ、試合は大詰め。ぼくの新技『ジョルト・チキータ』がアマギさんの守備網を飛び越えると得点版には10が灯り、いよいよマッチポイント。熱い決戦の幕引きに花を添えるようにして観客の手拍子と地面を踏み鳴らす音が響いている。ぼくは審判からボールを受け取ると振り返り、パートナーであるくらげを頭のてっぺんから靴のつま先まで見下ろした。透き通るような白い肌に競技者とは思えない華奢な腕と脚。感慨深い気持ちになったのは彼女も同じだったようで見つめあるような形になったぼくに苛立つようにして田中が罵声を浴びせてきた。


「ああもう!この場において何イチャコラしてんですかっ!このリア充気取りっ!すずとアマギさんが本気を出せばこんな点差、簡単にひっくりかえせるんですからねっ!余裕かましていられるのなんて今のうちになんですからねっ!スケベ眼鏡部長っ!」


虚弱体質ながらも一日に三試合を戦い抜こうとしている田中の声は枯れ、だれの目から見ても息も絶え絶えである。するとくらげがぼくの手からピン球を取ってテーブルに向き直った。


「貴女のなりふり構わない泥臭いまでのその努力、認めます。愛憎のせめてもの手向けとして私が介錯つかまりますわ」


くらげはテーブルの下に潜るように体を屈ませるとそこからゆっくりと背筋を起こし、長い腕を優雅に伸ばしてピン球をトス。その美しさに誰もが目を奪われた瞬間、タイミングを外した横回転サーブが右手に持ったラケットから繰り出された。


天使羽根エンジェル・ウィング


今大会に舞い降りた魅惑の天使、稲毛屋くらげが最後に体現したのはゲーム序盤に田中が使った『フロールサーブ』。フランス出身の名サーバーが編み出した美と機能性を追求したその技術が今、ネットを横切って相手のコートに跳ぶ。ミドルに打たれたピン球に田中とアマギさんが「あっ」と声を出して互いの目を見る。


迷いのない進路で弾かれたピン球に相手ペアのどちらも触ることが出来ず、テーブルの向こう側でぽん、ぽーんと白い球が跳ね返りステージから落ちていく。2球目のきわどい打球処理分担を決めていなかったのか、田中はがっくりと膝を着き、アマギさんはしてやられたな、という風に白い歯を見せて首を横に振った。


――ぼくらを苦しめた『オペーレーション・ゼロ』の最大の弱点を突きくらげがサービスエースでマッチポイント。立ち上がって拍手と歓声を挙げる観客達に感情をぶつけるように両腕でガッツポーズを決めると向き直ってくらげに握手を求める。


ぼくは試合のプレッシャーから解放されたくらげが思わず抱き着いてくるのではないか、と身構えていたがくらげは大胆不敵にミドルに緩球を打ち込んだプレーヤーとは思えないほど落ち着いていた。後になって思い出したのだけど、くらげの今大会の出場理由は想い人である山破ショージに見初められるためだった。テレビカメラの入った一番注目の集まる場面でそんな愛情表現をみせたら尾ひれがついて何を言われるか分かったもんじゃない。


「ありがとうございました。本田さん」


くらげはぼくにそう言うと汗を拭うために顔に当てた清潔なタオルを口に咥えて力強く噛んだ。ここまで闘ってきた彼女にも吐き出せない感情があったに違いない。ぼくはテーブルに向き直るとそそくさと上着を羽織り、帰り支度を始めた田中に声を張った。


「ナイスゲーム!俺と組んでた時より良いプレーをするようになったじゃないか。明日から選手として現場復帰だな!」


ぼくがこういう口調で話しかける時、いつもならノリよく返してくる田中だったが、彼女は俯いたままぼくと目を合わせようとしない。憎々しい態度でこちらをちらり見ると田中は小さく声を振り絞った。


「…お世辞ならよしてくださいよ。すずはモリアさんを部に取り戻すために甘いものも制限してこの大会に挑んだんです。なのにそれが実現できず、横の女にモリアさんが取られてしまうなんて…」

「全部お前の勘違いだ。俺は隣の稲毛屋くらげ嬢にダブルスのパートナーを頼まれてこの大会に出場しただけだ。部は活動休止してしまったしこういう形でしか真剣勝負の場はないと思った」

「だったら!ダブルスのペアは誰でも良かったんですかっ!?」

「お前が選手として再起するとは思ってもみなかったからだ。お前の方が先に『俺と組んでくれ』と頼んでいたらくらげじゃなくてお前と組んで出場していた。…知らない仲でもないしな」

「モリアさん……」


田中が潤んだ瞳でぼくを見つめ返した。ぼくは視線を外して頭を掻いた。恥ずかしいが本心だった。「明日から部活に戻るよ。大会優勝という目的を果たしたし、いちマネージャーにそんな思いを抱かせてしまうなんて俺もまだまだ部長として未熟だってこった」

「も、モリアさん。良かった……うわぁーん!!」


すれ違いの気持ちが晴れ、その場にうずくまって泣きじゃくる田中。こうしてダブルスペア大会の幕は閉じた。程なくしてささやかな表彰式が催され、ステージの一段高い台に立ったぼくとくらげに4、5歳くらいの男女の子供がとてとてと歩いてぼく達に特製のメダルを手渡した。


「おにーちゃん、おねーちゃん。ゆうしょうおめれとー」


ぼくとくらげが体を屈めて首に布テープを通すと会場に暖かい拍手が響く。後で教えてもらったがふたりは1回戦で戦った梅崎さんのお子さんだったそうだ。ねじれて裏返った段ボールの下地が見えている金メダル。これがぼく、本田モリアが卓球選手として初めて獲得したタイトルになった。ぼくはその勲章をポケットにねじ込むと、体中に湧き上がる達成感に身震いしながら拳を強く握りしめるのだった。










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