第47話

ミックスダブルス大会決勝戦、1ゲーム目で向こうのペアが見せた戦術『オペレーション0』は画期的なアイデアだった。卓球経験豊富なアマギさんがミドルでフロントマンとして構え、後方の田中がフットワークを活かしてボールを拾いまくる戦型は得点を重ねていくには非常に効率的で、それを身をもって体験したぼくから言わせれば彼らの戦術は難攻不落の不沈艦のように思えてきた。まずいな、どうやってこの壁を打ち崩す?口元に手を当てて考えて込んでいるとパートナーのくらげがしゃんと背筋を伸ばして台に向って歩みを進めた。


「あのさ、相手の戦術の事だけど」考えがまとまらず、くらげを呼び止めた事を少し後悔する。「心配ありませんわ、本田さん」くらげが審判からボールを受け取り、振り返らずぼくに応える。


「私が突破口を開きます。見たところあの戦術は未完成。それもすぐにでも瓦解しそうな程とても脆く」

「…っな!解決策があるのか?」

「ヘェ、言ってくれるじゃねぇか。おねぇちゃん」


ネット越しに長い手足をこちらに向けるようにして構えたアマギさんが口を横にして笑い飛ばす。くらげの視線の先はその奥の田中に向けられていた。


「えっ?わたしですかっ?確かにモリアさんの正妻を争うライバルではありますね!その挑戦、受けて立ちます!」

「オイ、オマエラ。もう交際関係にあんのかよ」


ぐっと、気合の拳を握り締める田中に対しアマギさんが冷やかすように笑う。


「わざわざこの俺様にミックスダブルスの相方とコーチを頼むくらいだもんなぁ。もうチューぐらいはしたか?」

「はにゃ!?そ、それはまだですけど!こ、言葉のあやですよ!からかわないでくださいっ!」

「…とんでもない風評被害だ」


呆れてぼくはくらげにやってしまいなさい、という風にかぶりを振る。するとくらげはぼくにピン球を手渡してきた。相手の立ち位置を確認して3球目に仕掛ける様子らしい。それを受け取ると審判の合図を待ってから、ボールを宙に浮かべた。


「投げ上げサーブ、っていうのはこうやって打つんだ!」


長い滞空時間の間に田中に向けたセリフだったが、これをアマギさんがリターン。この大会のルールだと最初のリターン者が決められていないため、2球目をアマギさんと田中どちらが打つかわからない、というも『オペレーション0』の強みである。


ミドル側に短く返されたピン球にくらげが振り上げるようにしてラケットを合わせる。感覚的にボールを捉え、その視線は相手テーブルの隅に向けられていた。


精密射撃エンジェルスナイプ


くらげの正確無比なコーナーを突くドライブが相手コートを横切っていく。田中のラケット弾いたその打球を見て「凄いな」とぼくは小学生並みの感想を呟く。今の技は二回戦が始まる前に所沢キミ子さんがぼく達に見せた超絶技巧だ。『人の技を許可なく使うんじゃないよ、まったく』厚手のコートを羽織り、オレンジの色眼鏡で観客席から試合を見届けるキミ子さんの口唇がそう動いたように見えた。


「す、すいません!次は必ずリターンしますからっ!」


失点し、ぼくらの得点になったことから自分のミスを田中がアマギさんに謝った。


「気にすんなヨ。チャンスをやる。3球以内に確実にリターンしろ」

「はいっ!すず彦、承知しましたっ!」


ガッツあふれる田中の返答に観客が賑わいをみせる。…こいつ、こんなに真面目に卓球に向き合う感じのキャラだったか?隣町の卓球大会までぼくを追いかけてきて何がしたいんだ?


「本田さん、私、貴方が少し羨ましいですわ」


くらげがぼくの問いの答えを知っているような口ぶりで温かいまなざしを向けてきた。とにかく今の一球で突破の糸口は見えた。相手の片割れである田中を先に攻略

するというのがこちらが出した解答だ。試合が再開するとさっきのリプレイのようにまたしてもくらげが3球目を相手のコート隅に差し込んだ。


「確かにコースは難しいですが…とうっ!」


田中が軽やかなフットワークで打球に追いつくとロビングでこの打球を処理。チャンスボールに詰めるようにしてアマギさんがぼくにプレッシャーをかける。ネット越しだというのにこの圧はなんなんだ!悪態をつきたくなる気持ちを抑えてぼくは冷静にクロス方向にボールを流し込む。これが決まり、ぼく達の連続得点。


「ほう、3球チャンスをやったのに2球目で返しやがったか」


アマギさんが田中を褒めると奴は尻尾を振る柴犬のように彼の下に駆け寄った。その姿を見てぼくの中に絡まった糸の塊のような感情が胸に去来する。


「次のステップだ。相手のドライブに対してカウンターをキメてみろ。ロビングよりそれの方が次にオレが動きやすくなる」

「はいっ!わかりました教官殿!」

「ちっ、卓球教室じゃないんだから」


返事だけは良い田中を見て苦虫をかみつぶしたような気分で捕球態勢を取る。すると田中は有言実行、と言わんばかりにくらげのスナイプショットをカウンタードライブで返してきた。まじかよ、と驚く暇もなく、ぼくはこの打球を得意のチキータで合わせる。ワッと沸き立った観客の尻が持ち上がったそのタイミングで球の行き先はアマギさんのラケットで終着駅を迎えた。


「得点!2-2の同点!」

「へへっ、打ち頃のカーブだったぜ。お得意さん毎度あり、だ」

「…くそっ」


ラケットで顔を仰ぐアマギさんを見てぼくは口唇をかみしめる。くらげのショットで田中の包囲網を剥がす事に成功しかけてる。後はこの人を超えるだけなのに。俺が頑張らなくてどうする!異質反転型のラケットでセコい戦い方をする上級生を相手にぼくは闘志がわき上がってきた。絶対にこの壁を越えて見せる!


しかし、その思いも空しく試合は取って、取られての展開に。このラリーでくらげのショットを返球できなかった田中が腰に手を当てて荒い呼吸を繰り返している。


「…はぁ、あの方もやりますわね。素直に認めます。あの頑張りを」


このゲーム、ずっと田中とやり合っているくらげも疲労が溜まっている口ぶりでその場で軽くステップを踏んだ。くらげのスナイプショットもゲーム開始時と比べて精度が落ち始め、ラケットの芯で捕えられたカウンタードライブがそのまま失点に繋がるケースもあった。田中の体力、くらげの精神力。試合はグラスに水を注ぎ合い、どちらが先に決壊するかを見届けるような持久戦に展開は移り変わっていく。


「まだまだっ!こんな所で諦めませんよっ!とりゃ!」


くらげのショットに対しての田中のカウンター。これがネットに吸い込まれると審判が得点のコール。深い呼吸を繰り返す田中を見てアマギさんがしびれを切らしたように言った。


「オイオイ、大丈夫かよ。この戦型で、素人にしちゃよく頑張った方だ。オレもそろそろ動くかァ」

「ま、待ってくださいっ!」


体を揺らしながら小さくステップを踏んだアマギさんを田中が呼び止めた。


「すずっ!まだまだやれますからっ!戦術を変えないで、このままでお願いしますっ!」

「オイオイオイオイオイ、のオイ」


呆れた態度でため息交じりにアマギさんが田中を振り返る。


「ただの非公式の遊びの大会じゃねーか。どうしてそこまでこの闘いに固執する?」

「わたしがっ!わたしがバラバラになった卓球部をひとつに戻さなきゃいけないからっ!モリアさんが、みんなが帰ってこれる場所を作らなきゃいけないからっ!」

「……田中」


軽蔑していた彼女の言葉に胸を撃ち抜かれる。上級生が居なくなり、あたるが転校。ケンジが退部して大きく様変わりした卓球部を彼女は憂いていた。ぼくも部長を引き継いだ身としてその気持ちは痛いほどわかる。でも…


「悩んでいても仕方ありませんことよ」


試合再開を急かすようにくらげがピン球をテーブルで弾ませる。


「私には貴方たちの事情に介入する権利はありません。答えはこの闘いの後にある。読者である私たちは頁をめくるよりほかありませんことよ」

「ほぅ、良い事言うじゃねーか、ねぇちゃん」


明朗なアマギさんの声が発せられるとピン球を手渡されたぼくのサーブで再開。打ってみろ、と言わんばかりにアマギさんから絶好球が返ってくるとくらげは両足を踏みしめてスナイプショットを放つ。


「絶対に返す!とりゃ!って、あっ!!」


ラケットがボールをはじく音に混じるびりっ!と布が破れる音。「あああ……」と力なくしゃがみ込む田中を見て「ノーカン!今のラリーはノーカンだ!」とアマギさんが卓上のピン球を掴む。両腕で体を隠すように座る田中が顔を赤らめて小さな声で言った。


「すず、去年と比べて体が大きくなったのに、ウェアのサイズ、新調するの、忘れてました。た、たはは」


貴重である田中のいじらしい態度から察するに、どうやら着ているウェアが破れてしまったらしい。さすがにこれでは試合続行は不可能だ。するとくらげが田中に駆け寄ってこう告げた。


「私のポーチに裁縫針がありますわ。この程度の裂傷であれば数分で縫えますわ」

「あ、ありがとうございます。さすがはお嬢様」


脇腹の辺りが破れた田中の身体を隠すようにして女性ふたりがステージから降りるとぼくら男性陣はその場に残される形になった。「どうする?」「テレビの尺、押してるよ!」慌てだすスタッフを見てアマギさんがある提案を出した。


「俺とアイツがこの場に残ってんだ。このゲームの続きはシングルスで決めんのはどうよ?どうせすぐにはあいつらは帰ってこないぜ」

「し、しかしそれではミックスダブルス大会の意味が…」

「時間、大分押してんだろ?それにこのゲームだけだ。それともこの番組スポンサーの息子の提案が聞けないとでも?」

「き、キミは『ウェイダッシュ』ご子息の天城雪太くんだったね。どうする本田君?キミの返答しだいだけど」


番組スタッフのひとりがぼくを振り返る。真夏の地方団体戦、敵としてぼく達穀山中卓球部を苦しめたアマギさんをこの場で見たときに心に芽生えていたある感情。ぼくはそれを包み隠さず彼に伝えた。


「ええ。喜んでその提案を受けますよ。俺もひとりの卓球プレーヤーとして天城さん、アナタを超えてみたかった」

「ハッ、口だけは達者じゃねーか。俺もオマエとサシでケリをつけたかったんだヨ。あのゴリラに負けた経緯もあるしなァ」


二人だけになった卓を挟んでお互いに睨み合う。第2ゲームの終盤は異質な形で改めて幕が開かれた。



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