第46話


「フフフ…モリアさんが驚くのも無理はありませんね。何故すずが敵として今、貴方の前に立っているのか」


彼女を見たまま、ぼくの口から言葉が出ずにいると田中はさらに続けた。


「毎日放課後に自宅と反対側のバスにふらふらと乗っていると思えば、他校の女の下へ足繁く通っているとは。母校での活動を放っぽいてどこの馬の骨との知らない女と逢引きしてるとは許せません!元ミックスダブルスペアのパートナーであるこのすずが貴方の浮ついた不純な心を矯正するためにこの大会にはせ参じたんですよっ!」


田中によるぼくの『元ミックスダブルスペアのパートナー』という言葉を受けて観客達が大いに盛り上がりを見せる。「本田さん」くらげがぼくのウェアの袖を控えめに引っ張る。


「あの方、ひょっとして本田さんの以前のダブルスペアですの…?」

「その通りですよ!この泥棒猫っ!」


明らかな敵意をくらげにむき出しにして田中はオタク特有のうるさい早口でまくし立てた。


「モリアさん…あなたがすず以外の他の女とペアを組んだって聞いて、子供みたいにワンワン泣いちゃったんですよ!モリアさんが女とペアを組むなんてない。ものぐさで、髪も寝癖がついたまんまで、女と話したこともないし、男以外と恋をしたこともない、童貞だし、ホモのモリアさんが女とダブルスペアを組むなんて。解釈、違い過ぎて、鳴き声止まりませんでしたっ!」

「どうどうどう、その辺にしとけ。会場ほぼほぼドン引きだぜ」


場の空気を読んでアマギさんがいきり立つ田中をなだめた。「愛情表現は歪んでいるけどな」アマギさんが長い首に着いた顔の顎をしゃくるようにしてぼくに言った。


「要はオマエを自分の卓球部に取り戻したいだと。それで先週、フリーだったオレの下に頼み込んできたってワケだ」

「そんな事が…ご迷惑をお掛けしてます」

「いや良いんだ。オレもちょうど退屈してたしな」

「良いですかっ、モリアさんっ!」


一歩前に踏み出して田中がぼくに強い口調をぶつけた。


「すずと天城さんがこの大会で優勝して貴方がその女とペアを組んで出場した事が失敗だったと証明してみせますっ!それに…バラバラになってしまった我がホモ卓を取り返すにはモリアさん、部長である貴方の力が必要なんですっ!」

「ねぇ、本田さん」


くらげが再びぼくの袖を掴んで聞いてきた。

「ホモ卓ってなんですの?」

「一生知らなくていい。もはや黒歴史だ」


うつむいて台について構えるとぼくは目を合わせずに田中に言った。


「俺が他校の生徒と一緒に卓球してんのが面白くない、とお前が茶々を入れたくなる気持ちは分からないでもないが、選手を引退して一年以上経つんだ。お前の卓球のウデマエはダブルスを組んでいた俺が一番知っている。田中、この場においておまえはおよびじゃないよ」

「フー、相変わらず鈍感ですねぇ~。すずがこの大会に向けてどれだけ努力してきたかも知らずに」


やれやれ、という風に手を掲げる田中の手にはピン球が握られていた。


「モリアさん、確かに貴方のいう通り、あの日の放課後に卓球選手としてのすずは一度死にました。ですがこの機に一から鍛え直したのですよ!はっ!」


田中は左腕を頭の上に伸ばすと、ピン球を空に掲げるようにトス。背中をピンと伸ばして球の落下のタイミングを計ると「フロールサーブだ!」と舞台袖の梅崎さんの弾んだ声が飛ぶ。着台スレスレのタイミングでラケットを払うと低いバウンドでミドルにボールが飛んできた。さすがにこれには手が出ずぼくがネットに引っ掛けると田中が大喜びで相方のアマギさんと肘タッチを交わした。


「やった!すずがモリアさんからサービスエースを獲りましたよ!フッフー♪」

「くそっ!あんな奴から一本取られるなんて!一生の不覚!」


強めに台で手汗を拭うと後ろに立つくらげがぼくに声を発した。


「本田さん、少し痴話喧嘩が過ぎるんじゃなくて?」


くらげの毅然とした声でぼくはハッと気持ちを取り戻す。この勝負にぼくと田中の因縁は関係ない。くらげも想い人である山破ショージに卓球で見初められたいという気持ちでこの試合に挑んでいるのだ。ぼくだけの勝手な気持ちでこの試合を進める訳にはいかない。台の上でぐっと拳を握るとぼくはくらげを振り返って言った。


「少し早いけど、行くか!『ストリーム』!」

「ええ、この会場に嵐を巻き起こして見せますわ」


2球続いた田中のフロールサーブを冷静に捌き、アマギさんのリターンにくらげがマジェスティックドライブ。鋭い打球に返すだけになった田中のリターンを冷静にぼくがストレートに流し込んでこれがぼくらの初得点。その後も前に出る卓球で得点を重ね、序盤に許していたリードをまくり、8-8の同点に持ち込んだ。デジタルの得点板を睨んだアマギさんが憎々しく細い息を吐いた。


「なんだオマエラ、二人とも縦回転ドライブ打てんのかよ。これは少し面倒くせーな、おいすず彦!」

「はい!すずヒコです!」


元気よく返事を返した田中に「すず彦って呼ばれてるのか…」と相槌を打つ。後ろを振り返りアマギさんは男性にしては高い声で田中に指示を出した。


「少し早ぇけどアレやっぞ!オペレーション0だッ!」

「はい!抹殺謀殺ゼロシステムですねっ!」


名称の統制は取れていないが二人はアマギさんをミドル正面、田中をやや左斜めに陣取った体形でくらげのサーブを待つ。ぼくはくらげの少し後方で相手の出方を予測する。2球目をアマギさんで戻して田中のカウンタードライブを狙っているのか?試合が再開し、くらげがクロスに長いドライブを放つ。するとこの打球を前衛のアマギさんがスルー。後ろにいた田中がドライブを放ってきた。


「んなっ!?まじかよ!?」


予想外の一撃に一瞬たじろいだがミドルの打球を見定めてバックハンドでこの打球をフリック。するとすぐ目の前に居るアマギさんがノータイムでのツッツキを見せてこれが相手の得点に。真っ暗な空を仰いでいるとくらげが「問題ありませんわ。次いきましょう」とあっけらかんとした声を出す。


――いや、思ったほど簡単に敗れる包囲網じゃないんだ、アレは。その後も長いボールは田中のフットワークによって拾われ、ショートの台上に返した打球はアマギさんの異質反転ラケットに弾かれる。そのままリードを許した展開でゲームポイントを賭けたラリー。くらげが入れ違いのタイミングでぼくの背をぽん、と叩いた。『強気で攻めろ』のサイン。ぼくはアマギさんの位置を感覚で把握しミドルにスマッシュを放った。いくら器用なこの人でも至近距離でのスマッシュは捌けないだろう。


「そうくると思ったぜ。ホッ、っと!」

「はいっ!」

「んなっ!?」


アマギさんがひょいと膝を屈めるとその後ろからタイミングを計ったように田中がジャンプスマッシュを合わせた。アマギさんの頭の上の打球をラケットではじき返すとこれが相手の得点になり、第一ゲームは『アマギ・田中ペア』がゲットした。


「さぁ、サァ、サーッ!またまたすずがやってやりましたよっ!不死鳥フェニックスのように現場復帰したすずが卓球界を席巻する日も遠くありませんねぇ!」

「くそっ、調子乗んなよ。女眼鏡…お前が活躍出来てんのはアマギさんのお陰だっつの」


歓声に乗せるように悪態をつくのが精一杯だった。どういう形であれ相手にゲームを取られたのは間違いない。「心配ありませんわ本田さん」ぼくの気落ちを察したようにくらげがぼくに視線を向けた。


「私が貴方の下鞘から得点を奪って魅せますわ。本田さんは自分の仕事に集中してくださいまし」

「…ああ!」


鼻先を蛇香のにおいがくすぐる。なんだか『もとさや』って言い方、ちょっとエロイな。いやいや、そんな事を考える暇があったら相手の陣形を崩す事を考えろ。揺らいだ気持ちを振り払うようにぼくは自分の頬を強くぱん、ぱんと二度叩いた。


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