第44話

急角度で沈んでいく太陽の代わりにあちこちの外壁に灯された壁掛けランプ。盛況をみせたこの天ヶ崎ハロウィン祭りもそろそろフィナーレが近づき始め、行き交う人たちはそわそわとその衝動をぶつけられる場所を探すように卓球ステージに向けて歩き出す。午前中から始まったこのミックスダブルス大会も決勝戦。怪獣の口のように大きく開いたフェンスから飲み込まれていく観客達。夜のとばりが開くと会場はいよいよ始まるメーンイベントを迎える瞬間を今か今かと待ちかねていた。


ステージ上の卓球台を前にした舞台袖。ぼくはこれまでと同じように深呼吸を繰り返し試合への意識を集中させていた。短パンにシャツ一枚といった肌寒さと込み上がる武者震いをかき消すようにその場で足踏みを始めると見慣れた顔の大人がぼくに話しかけてきた。


「すまないね、モリアくん。二回戦の相手だけどあちら側が勝手にバックレをかましたとう言う話を聞いてね。俺が推薦して代替の相手を選出させてもらったんだ」


ぼくらの一回戦の相手、『元・松二の紅い豚』を自称する梅崎さんがぼくに顔の前で手を合わせて謝った。「いいですよ、もう終わったことですから」素っ気なく返すと梅崎さんが口を開いて笑い「それにこの拘束時間の長さはカップルからしたら耐え難いですし」とぼくが付け足すと彼は突き出た腹に手を当ててはにかむように視線を落とした。


「しっかし、まさかこの会場にあのレスリング女王の岸田トモエが来ているとはなぁ。番組の反響も大きくてこちらとしては大助かりだってスタッフのみんなが話してた」

「こちらとしてもいい経験になりましたよ…そういえば決勝の相手は所沢ペアじゃないんですか?」


これから始まる闘いを意識して向こう側の重幕に目をやる。今大会最年長である所沢キミ子さん。彼女は二回戦を迎える前にこう言った。『決勝であいましょうぞ』と。


現実主義者リアリストのキミが二試合終えて息も絶え絶えの老人ペアと戦いたいという希望を打ち砕くようだけど彼女たちは敗れた。今から現れる対戦相手にね」


観客の歓声がステージに向けられて振り返る。するとマントを羽織って仮装した男が下々に優雅に手を振って応えている。オペラ座の怪人のような白いマスクから口元に笑みをたたえて英式の挨拶を済ますと後ろから同じような服装の女性が男に合わせるように観客に頭を下げた。まさか、あのカッコのまま一回戦から戦い抜いてきたのか?梅崎さんを振り返るとぼくの心境を汲み取ったように頷いた。


「気を付けた方が良い。ふたりともかなりの手練れだ」

「レスリング女王の次は…まさか『卓球侍』水谷隼と『国民的卓球少女』福原愛ペアじゃないでしょうね?」

「さぁ?真実はキミがステージの上で確かめてくれ!」


手抜きのゲーム攻略本みたいな事を言い出した梅崎さんをあしらうように番組スタッフが開始1分前を伝えに来た。そういえば相方が来ていない。振り返るタイミングで新鮮なムスクの香りとすれ違った。


「うおー!くらげちゃーん!可愛いすぎるぜー!!」

「ここまで来たら絶対優勝してくれよなー!」


野太い大歓声でステージに目線を向けてぼくはハッと息を呑む。くらげはこの決勝戦のために合わせた純白の卓球ウェアに身を包み体の正面で手を合わせて観客に小さく頭を下げた。体のラインに張り付くような薄生地の衣装を身に纏った彼女はきっ、と口を一文字に結び、その容貌は諸手で迎えられるアイドルというよりも厳しい競争に挑むプリマドンナのように見えた。促されるようにぼくもステージに上がるとまばらな拍手と「チキータ王子ー」と冷やかすような女子の声が飛ぶ。…彼女の備え付けである自分はこれでいい。苦笑いを堪えながらぼくはくらげの隣に並んで口を開く。


「新衣装、似合ってるじゃないか。この大会の女王に相応しい品格だ」

「…まだ決勝戦は始まっていませんわ。今は全力でこの闘いに勝つことに集中していただけないこと?」


強気な言葉が返ってきてぼくは「大丈夫そうだな」と取り出したラケットを構える。どうやら相手ペアは仮装姿のままこの試合を迎えるらしい。確かにハロウィンにマッチした服装ではあるが、王者のドレスコードは守ってもらおう。いつもの卓球スタイルのぼくと着飾ったくらげが相手とボール回しを済ませると遂にミックスダブルスチャンピオンを決める試合が始まった。









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