第42話

「あのスマッシュに対して策があるだって?」


勝負は第三ゲームの終盤戦、ぼくは腰を低く構えたキシトモさんをちらり見てパートナーのくらげに訊き返した。「ええ、確率は100%ではありませんけど」くらげが相手のペアにバレないように小声でぼくに続けて言った。


「それよりも相手にあのスマッシュを打たせない方法があるんじゃなくて?」


くらげがキシトモさんの足のあたりに視線を向けるとぼくは「ああ」と合点がいった。今までなんで気づかなかったんだろう。頭を掻きむしりたくなる気持ちを堪えてぼくはサーブ体制に入った。


「次の打球、お願いしますよ姐御!」


戸越がリターンしてくらげが卓の前に出る。ぼくとの答え合わせが済んだ彼女はネットぎりぎりにピン球をドロップ。するとキシトモさんもこれまでのような爆裂スマッシュが打てずに台上プレーを選択。よし、それでいい。あのスマッシュは打つ前に全身に力を籠めた助走が必要になる。絶えず台の前に張り付かせられる事が出来れば『地上最強女王』からの不可避の一撃は回避できるはずだ。


「マッチポイント!10-8!本田・稲毛屋ペアリード!」


ふたりの入れ替わりの隙をついたドライブが炸裂するとぼくはくらげとラケットのエッジを合わせて今のラリーの得点を祝った。相手に自由にプレーさせないための低いドライブと状況に合わせたネットプレイ。コンビを組んでまだ数週間だというのにくらげはぼくの高い要求に何の問題もなく応えてくれている。ダブルスペアとして練習、そして実戦を重ねたフィット感。なんなんだこの感覚は。今まで女性に対してこんな気持ちを持ったことがあるだろうか?


「なーに勝ち確気分でわらってんだ。まだ勝負は終わってねェだろ」


相手ペアの片割れ、学校の後輩である戸越が膝に手を当てて荒い呼吸を繰り返しながら乱れた前髪の奥の瞳からぼくを射抜いている…戦う前と比べていい顔をするようになったものだ。「そうよ!まだ決着はついていないわ!」キシトモさんが声を張る。


「プロにとって試合においてもっとも必要な能力は土壇場での底力!まだ2点差だし、卓球にはデュースがある!最後まで試合を諦めない根性こそがアスリートにとって必要な気持ちなのよ!」


顔では白い歯を見せて笑顔を作っているが、全身には汗が光っている。キシトモさんは自分を鼓舞するように力強く胸元を2回拳で叩いた。レスリングで世界を制した情熱のドラミングが会場に響くと相手ペアのサーブで試合が始まった。


「姐御、三球目お願いします!」


戸越はキシトモさんにそう告げるとテーブルのふちでボールを弾ませながら神経を尖らせるように口から細い息を吐いた。勝負が決まるかもしれないこの展開でヤツはふっと観客席の方を振り向いた。


「あっ、『ジャックスポーツ』のはまちょんさんじゃないっすか」

「なに!?芸人で番組MCのはまちょんがキシトモついでに観に来てるのか!?」

「…隙あり!」


戸越がぼくの顔が観客席に向けられたのを確認して短いサーブを打ち込んできた……一日にそうなんどもだましうちサーブを受けてたまるかってんだ。なめんなよ!ぼくはキシトモさんが両足に力を籠め始めた圧を感じ取り、ラケットを持ち帰ると羽根つきの要領で思い切りピン球をテーブルに叩きつけた。打球は立ち幅跳びで前に出たキシトモさんの頭を超えてこれがぼく達に決勝点になると思われた。


「甘いわね。世界を獲った王者の実力を魅せてあげる!」


キシトモさんはダァン!と台の前で着地すると倍化した両足でその場から一気に垂直飛び。予備動作無しだというのに60cmは飛んでいただろうか。伸ばした腕の延長線上にあるラケットが打球を捉えるとそのまま急角度のジャンプスマッシュをテーブルに向って叩きつけた。


「片脚タックルと首取りの二段構え。これがレスリングから卓球にアレンジした『猛虎強襲タイガーランページ』よ!!」


素早い腕の振りから全身の筋力と加速を足した超高速の爆裂スマッシュがネットを飛び越える。「くらげ!危ない!」振り返るとくらげは台のかなり後方に立ち、落ち着いた様子で膝を落として捕球態勢を取っていた。まさかこの規格外のスマッシュを打ち返すつもりなのか!?するとくらげは体の横に飛んできたピン球をまるで朝食のフランスパンをナイフで切るみたいにエレガントな手さばきでラケットを振り下ろした。


麺麭厚切エンジェル・カット


真っすぐに飛び込んできた打球に斜めにラケットが当てられるとピン球が大きな打音を立てて相手のクロス方向に弧を描いて向っていく。「やばっ、マジかよ!?」「大仕事だ、くらげ!」動揺する戸越に対面するように台について次の打球に構える。くらげは恐らく今までキシトモさんのスマッシュへの対応をサボっていたわけじゃない。ずっとこの対局を見通して力を温存し、対策を考えてくれていたのだった。シンプルに力を持って直進する物質に対して別方向から少しだけ力を加え、柳のようにしなやかにこの強撃を打ち返す。詳しい理屈は分からないがこれで卓上はぼくと戸越との1対1。卓球部部長としての力量をこのテニス部の1年に見せつけてやる。


「こうなったら俺が決めてやらァ!前に出たなモリセン!くらえオラァ!」

「んなっ!?」


戸越が台に張り付いたぼくの動作を見逃さずに腕を下から上に大きく振るようにしてラケットでピン球をさばいた。打球はバックスピンで緩く弧を描くようにしてこっちのテーブルに飛び込んでくる。「これは…『スネイク』か!」戸越が勝負球に選んだのはテニスで使われるバギーホイップショット。最後に頼れるのは自前のテニスのプレーだったという訳だ。


「くそっ」裏をかかれた形になったぼくは半歩下がって打球の弾みどころを見極める。ドライブで打ち返すか。それとももう一歩横に動いてチキータで流し込むか・・・頭の中で展開を組み立てていると体がぐん、と後ろに引かれた。


「打たないで!本田さん!」


声が出ず喉が引きあがったまま打球の行き先を見届ける。ピン球はテーブルのエッジを飛び越え、ノーバウンドで床に着地。コーン、コーンとプラスチックの球体が弾む音が響くと歓声がわぁっとぼく達を取り囲んだ。


「マッチポイント!勝者『稲毛屋・本田ペア』!!」


ぼくのウェアの背を掴んで制止したくらげがほっとしたように息を吐くとそのまま力が抜けたようにその場にへたり込んだ。「アウトボールかよ。肝を冷やした」ぼくも同じようにその場に転がり込むように座ると依然、腰に手を当てて悔しがる戸越に問いただした。


「最後になったあの打球、なぜ自分で決めようと思ったんだ?繋いでキシトモさんが打った方が勝率は高かったはずだ」

「…それは...」

「私が膝を故障していたせいよ!」

「なにっ!?」


キシトモさんの声に振り返ると彼女は仁王立ちしたまま腰に手を当てて荒い呼吸を整えていた。両ひざに巻かれたテーピングからはうっすらと血が滲んでいる。


「いやー、私も衰えたものね。現役を引退するくらいだから当たり前か」


うつむいて悔しがる戸越を見てぼくは合点がいった。限界だったのだ。あれだけ余裕を見せていたキシトモさんだったとしても。この試合だって引退の原因となった古傷をかばっての戦いだったに違いない。そこまでして彼女がぼく達に見せたかったモノとは……それよりもぼくはずっと気に掛けている事をとうとう本人に訊いた。


「くらげ、キミは一体何者なんだ?」


首を捻って振り返るとすぐ後ろに吸い込まれそうな瞳がわずかに湿って豊かな輝きを放っている。卓球初心者である彼女が何故ここまでの猛者を相手に五分以上に戦えるのか。くらげはぼくの問いの意味を汲み取ったように答えた。


「おけいこ事ですわ。勉学も芸術も。卓球だってそれと大差ありませんわ」

「えっ、どういう意味だ?」

「成果を成す為に必要なのは良き指導者と良き生徒。師の教えを守れば必ず正しい結果がついてきますの」

「俺が良い先生ってことか。よくわからんけど。ははっ」


ぼくらが顔を見合わせて笑うとステージ上ではキシトモさんがマイクを手渡されインタビューの準備を始めている。敗者となってしまったが観客達はひとりもその場を動かず国民的英雄の言葉を待っている。キシトモさんは潤んだ目を荒々しく拭うと会場を見渡して声を張った。


「この闘いを見届けてくれたみなさん。残念ながら私達は勝つことができませんでした!卓球は私がこれまでいち生涯を懸けたレスリングとは異なり、独特の奥深さをもつ球技だという事がはっきりわかりました。負けてしまいましたが、最後は笑顔で締めくくりましょう…それでは、ファイティン、ファイティン、ファイティーーン!…ありがとうございました!」


本日二度目の『生ファイティン』が披露されるとレスリングの世界王者に惜しみの無い拍手が贈られた。「たく、試合に勝ったのは俺たちの方だっつの」先に立ち上がりくらげの手を取って引き起こすとキシトモさんが番組DJの質問に答えていた。ぼくらは舞台袖に戻りながらマイクが拾うその声に耳を澄ませる。


「いやー、良い戦いだったけど後一歩、追いつけなかったねー。あのレスリングのキシトモがここまで卓球上手いとは誰しも思わなかった訳で。相方次第では優勝も狙えたのでは?」

「いえ。一緒に戦ってくれた彼、戸越クンが居てくれなければここまで相手に食らいつくことは出来ませんでした。それに彼は常に素人である私への気遣いを見せていた。レスリングを辞め、卓球でも負け…こんな辛い夜は若い彼に慰めてもらうのもいいのかも知れないわね!」

「ちょ、姐御何を言って…」

「元はと言えばアナタが仕掛けたナンパよ。覚悟を決めなさい。ほっ、と」


ステージを振り返ると戸越がキシトモさんにお姫様のように担ぎ込まれ、観客からは冷やかすような歓声が響いている。キシトモさんはその場から予備動作0でステージを飛び降りると現役さながらの物凄い速さでその場から走り出した。


「うわー、止めてくれー!ほんの出来心だったんだ!許してくれ姐御!」

「このハロウィンで出会ったのも何かの縁!二回り以上の年の差なんてこのレスリング王者には関係ないわ!ピン球を介して培った愛を確かめるために熱い夜を過ごしましょう!」

「た、助けてくれッ!モリセン!いや、本田モリア先輩!!」


必死の形相で助けを乞う戸越とヤツを担ぐキシトモさんの姿が遠くなるとぼくは呆れてため息をついた。


「何もそんな汚い形で捌けなくてもいいのに」

「お二人とも、今夜はお楽しみですわね。ぽっ」


ぼくらの前に突如現れたレスリング女王、岸田トモエ。彼女からは試合を通してアスリートの生きざまを学んだ。彼女がこの大会に飛び入り参加した理由、裏で糸を引いている人物は誰なのか。邪推は止めて、今はこの歓喜に打ち震えよう。何はともあれ、『稲毛屋・本田ペア』、決勝進出である。

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