第41話

世界を知るレスリングメダリスト、キシトモさんの妙技が炸裂し、白熱する第2ゲーム。ぼくらはキシトモさんに『タイガーブレイク』を打たせないように低いドライブで試合を組み立てていく。1ゲーム目ではラリーを長引かせれるとミスを重ねていた『岸田・戸越』ペアだったが、ふたりは試合の流れと卓球という競技の特色を掴み始め、次第に鋭いドライブをこちらにリターンするようになってきた。


「次で決めろ、くらげ!」

「承知ですわよ、本田さん!」


『ストリーム』の入れ替わりで前に出たくらげが毅然とした態度でラケットを振るう。回転数の少ないスピードボールがネットすれすれを超えて相手のコートに戻ると観客が喉を引き上げる。試合の中で成長しているのは彼女も同じだ。得点を確信した次の瞬間だった。


「オラァ!」

「!?」


勇敢に前に出た戸越が気合の声とは逆の柔らかいボールタッチでこの打球をネット間際にドロップ。気の緩みが出てしまったぼくが追いつけずに相手の得点に。「もう!最後まで気を抜いてはいけませんことよ」会心の一打がフイのなったくらげが珍しくぼくに怒気をぶつけた。


「すまん、くらげの言う通りだ。それよりもだ」


ぼくはネット越しにキシトモさんとハイタッチを交わす戸越に声を向けた。


「おまえがここまでこのゲームに熱中するとは思わなかったよ。すっかり卓球にハマってるんじゃないのか?」


ぼくの煽りに反応するように戸越はチャラけた態度を取り戻すと素早く補給態勢に戻るキシトモさんを尻目に言った。


「ハァ?何言ってんすか。『最強系女子』の五輪メダリストに恥かかせる訳にはいかないっしょ。俺が足引っ張る訳にはいかないっすから」

「よく言ったわ!戸越君!それでこそ私が認めたパートナーよ!」


キシトモさんが声を張ると観客から冷やかしのような口笛が飛ぶ。違うな。照れ隠しだ。ぼくは戸越の心境を見透かしていった。


「学校のテニス部には学年序列で試合に出られないんだろ?ウチの卓球部だったら先輩後輩の垣根は無いぞ。やる気と実力があれが誰でも公式戦に出られる」

「…本田さん、アンタ、何が言いたいんだ?」


訝しがる戸越にぼくは本音と冗談をミックスさせた口調で告げた。


「おまえも卓球部に入らないか?」

「ハ、ハァぁあ!?なんで俺がピチピチキノコパンツ履いて木べら片手に公衆の面前に立たなきゃいけねーんだよ!?卓球なんてやっても女にもてねーじゃんかよ!?」

「あら、それは良い提案ね!卓球がモテないなんて古い時代の話よ。一生懸命頑張る男の子はどんな姿でも輝いているものだもの!」

「恋愛未経験の姐御は黙ってて!」


騒がしく言い合いをする相手ペアを見て審判とDJが「あのー」と恐る恐る声を掛けている。「いい揺さぶりですわ」別の学校でこの件に無関係であるくらげがぼくに柔らかな笑みを向ける。後で振り返ると正直ぼくもなぜこんな事を言ったのかわからない。戸越の能力を認めたのか。それともこの試合にどうしても勝ちたかったのか。それとも…


試合はその後、相手にゲームを許し最終ゲーム。流れの中で時間を掛けて相手を研究しているうちに分かった事がある。


➀キシトモさんの『倍化』は連続して使えない。体に負担がかかるのか使用頻度は試合が長引くと減っていった。おそらくこの後の終盤戦に向けて使いどころを見極めているところだろう。


②戸越が思ったよりしぶとい。最初はチャラチャラしたテニス部の後輩だと思っていたが、意外にしっかりと練習に励んでいたのか、基礎は出来ている。比較的長身で小学時代からスポーツ経験があるとしても苦手な事、嫌いな事はなかなか努力できない。その点でぼくは彼を買っていたのかもしれない。


そして③。くらげが『倍化』のリターンを諦めている。本来キシトモさんのパワーショットはぼくがリターンしているのだが(成功率20%)、ラリーの入れ替わりやサーブ順などで『女→女』になった際、キシトモさんがくらげに『倍化』を使う確率が高く、そのショットが相手の得点源になっている。自分の身を案ずるのはなによりだが、この見切りの速さが終盤に穴になってしまうんじゃないか、とぼくはやや危惧している。


「破ァ!!」


ラリーの途中で『倍化』したキシトモさんの爆裂スマッシュが飛び込んできてくらげがその打球から飛びのく。このショットは確かに危険だ。長いラリーで得点出来なかった気落ちを現さないように顔の前にラケットをかざすと一部の観客からヤジが飛んだ。


「汚ねーぞ、メダリストー!」

「相手はうら若き中学生の乙女じゃねーか!」

「大人が子供相手に全力でスマッシュ打ってんじゃねーよ!」


ひとりの声が響くとそれに呼応するようにキシトモさんへのヤジが大きくなっていく。くらげを振り返ると「そうよ、もっと言ってあげなさい」という風に観衆にしたたかに微笑んでいた。まさに卓球サークルの王女たる所作である。


一方、キシトモさんは浴びせられるヤジに煽るように、耳を澄ますように顔の横側に手をかざすパフォーマンス。「思い出すわ。国際大会、陸上競技場で行われた国旗と発煙筒で赤く染まるバーレーンの空を」若き日を回想し、浸るようにキシトモさんは感慨深く呟いた。


「あれは10年と少し前。五輪の内定キップを賭けた中東戦線。収容人数5万人を超えるサッカーグラウンドに特設された野外リングでの試合。相手は地元国の18歳、シルビア・スタローン。あの時の野次と怒号に比べたらこんなもの朝食前の登山ロッククライミングの途中で出会った1匹の鈴虫の羽音ぐらい造作もない事よ!」

「そろそろいい男と見つけて結婚しろー」

「いい加減、スキャンダルのひとつくらい起こせねーのかー」


「…ちょっと。私個人の事は関係ないでしょ!」


語気を荒げたキシトモさんが足をダン!と踏んで地鳴らすと野次がピタリと止まった。「失礼しちゃうわね。真剣勝負に私情を持ち込むなんて」憤るキシトモさんを眺めているとくらげがぼくの耳に囁いた。


「心配なさらずとも結構。私に策がありますわ」


くらげが妖しい笑みでぼくを死線に誘う。五輪メダリストとの熱戦はいよいよ終盤戦に突入した。








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