第39話

ぼくらの前に姿を現した『地上最強系女子』岸田トモエ。彼女は歓声とどよめきが収まるまで無言で腕組をして精神を集中させていた。その姿はまるでブカレスト公演のマイケルジャクソン。次第に観客が空気を読み始め、口を慎むと司会から手渡されたマイクに向けられる彼女の言葉を待った。


「えー、この会場にお集まりの皆さん、TVの向こうの皆さん。改めまして、岸田トモエです。今日は卓球の大会に出場と言う事で、皆さん宜しくお願い致します」


「(コメントは普通だ……)」


大きな拍手が彼女を包み込みぼくはマイクを返してラケットを握る彼女の体を眺めた。公式プロフィールによれば身長は155cm。確かに腕周りは大きいが体系は普通の女子と大差はない。ぼくがじろじろ眺めているのをくらげに目で咎められると咳ばらいをして視線を逸らした。ステージの手前に歩き出した岸田トモエがカメラの前でパンプアップのポーズを取っている。


「それじゃー、皆さん、いつものいきますよー。…絶対勝つぞ!ファイテン!ファイテン!ファイテーーン!!…ご協力ありがとうございましたー」

「凄い…『生ファイテン』ですわ・・・」

「俺、アレ暑苦しくて苦手。てかなんでこの場に『地上最強系女子』が居るんだよ」

「フフ、超意外な奇跡の出会いこそ、ナンパの醍醐味。相手が岸田トモエだからってさっき一度言ったバトル承認のセリフは取り消せませんよ。モリセン」


戸越がぼくの焦燥を嘲る様にしてラケットを差し向けた。


「ちょっと卓球上手いからっていい女はべらしてる陰キャをしつけてやるのは俺の方っすよパイセン。俺のパートナーは世界を制した最強クイーン。マジで負ける気がしねェ。アンタの快進撃もここでジ・エンドだ」

「アナタたちが私の相手ね!よろしく!」

「あっ!ええ、はい。よろしくお願いします」


世界を知る強者の圧が近寄ってくるとぼくとくらげは深く頭を下げた。まさかこの場で別競技とはいえ、オリンピックを勝ち抜いた大人と対戦する事になるなんて。「ああ、大丈夫。緊張しないで」トモエさんがぼく達を見てアメリカ映画に出てくる猛獣を宥める演者のような仕草を向けた。


「私こう見えてレスリング一筋!卓球は一切やった事ないから!恋もオシャレも封印して引退までレスリングに身を捧げた戦乙女ワルキューレよ」

「だからって中坊のナンパに引っ掛かるかよ普通…」


悪態をつきながらもぼくの頭は彼女との対戦に切り替わってる。どんな相手でも卓球台の前でラケットを構えたらやるしかない。それに…ぼくはいつかのすばると柔道部顧問、辰巳の対戦を思い出した。


――別競技とはいえ、対戦において勝ち方を知っている超人アスリートとの対決。目の前の壁は最高峰だが、いつかは乗り越えなければならない。同世代のライバル達は皆、ぼくが最強を競う闘いから脱落したと思っている。でもこの道を選ばなければ岸田トモエと対戦する事はあり得なかった。これはぼくがこれまで以上に成長するチャンス。彼女を『教材』にしてのし上がってやる。


「戦いの準備は良い?それじゃ私のサーブからいくわね!」


体育系特有のよく通る高い声でぼく達に声を掛けるとトモエさんが台に着いてピン球を宙に浮かべた。「まずは軽ーく」くらげがぼくの前に立ち、リターンに備える。瞬きの次の展開、とんでもない光景にぼくは声を失った。


「破ァ!!」


短く深く息を吸い込むとトモエさんの身体が瞬時に二回り以上膨らみ、一般OL並みだった二の腕が胴回りと同じ太さまで爆裂し、ラケットがグリップから千切れそうなサービスがこっちに向って飛び込んできた。「危ない!」身の危険を感じ、くらげをその場から突き飛ばしてこの打球を交わす。目の前を横切ったピン球が物凄い勢いで前髪を捲ってステージの向こう袖に消えていく。審判があんぐりと口を開けて液晶の得点板のボタンを押す。


「いえーい。殺ったね戸越クン☆」

「お、おう。ナイスエース、姐御」

「やだもぅーこの子ったら。あねごだなんてー」

「…マジかよ。なんだよあの倍化の術は」


浮かれる対戦相手の反応を見ながらぼくはこめかみの脂汗を拭う。昔、自転車競技の選手が呼吸により体を膨らませて風除けになったり、功夫カンフーの達人が同じように体を膨らませて大岩を砕く漫画を読んだことがある。しかし、ぼくの現実はコミックを超えていた。出来るのだ。血の滲む修練を重ねれば。審判から手渡された新しいピン球を握るとネット越しにトモエさんがぼくに話しかけてきた。


「チキータ王子の本田クン。アナタが知り合いの柔道家から世代最強を目指してるって聞いたわ!キミのモットーは何?」

「えっ、モットーすか?」


突然の問いに動揺を堪えながら思考を整える。おそらくトモエさんに大会出場を唆したのはあの辰巳だろう。そんな事を考えていると「反応と決断が遅い!」と目の前の猛獣に突っぱねられてしまう。


「私、岸田トモエのモットーはね!」


さっきと同じように体を倍加させた逞しい右腕からフルスイングのサーブが飛び込んでくる。


「攻めて、攻めて、攻めまくることよッ!」


ミドルに猛スピードに飛んだ打球にくらげが手を出せずに連続失点。…このサービスを返すのはくらげには無理だ。次のラリーからぼくがリターンに周るしかない。サーブ権が替わり、ピン球をくらげに握らせる。「おっ、くらげちゃんがサーブだぜ」掌の上でピン球を構えるくらげの姿を見て親衛隊が色めきたつ。


ふんわりと横髪を揺らしながらくらげのロングサーブ。リターンにトモエさんが立ち、この打球をリターン。よし、特別な回転は掛かっていない。ツッツキで手前にボールを落とせば得点する事は容易い。そう考えて打球を放つと目の前に長い影が姿を見せた。


「『聖剣』、だったよなァ。モリアパイセン♪」

「んなっ!?」


台の前に飛び出してきた戸越がラケットで払うようにしてピン球をコートに沈めた。すばる発案の『聖剣』は元はといえばテニスのハーフボレー。これにおいてはテニス部の戸越の方が本職だ。


「あんた、キシトモにばっか気を取られ過ぎ。点取屋ストライカーは俺の方だっての。つか、テニスも卓球も基本的なルールは同じ。甘く見てもらっちゃ困るぜェ、モリセン」

「へぇ、見た目によらず、しっかり練習してきたんじゃないか?」


戸越のプレーを受けてぼくは少し心を動かされた。しかし得点差は3。相手が『本当の卓球』を覚える前に早く手だてを打たなくてはならない。


「本田さん、アレを使いますわ」


声を挙げたのはくらげの方だった。ぼくは「よっし」と頷き目の前の難敵を見上げる。金メダリストがなんぼのモンだ。逆襲の始まりだ。





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