第26話

郊外にある静かな河川敷。ぼくがいつかタクと友情を交わし合った特別な場所。そこにぼくは呼び出されていた。遠くで鳴るローカル線の汽笛の音が止むと目の前のタクが顔の前に手を合わせてぼくに謝り始めた。


「ワリィ!モリア、みんなにも心配かけちまって!オレの家の事はもう片付いた。明日から部活に復帰してもう一度お前らと全国を目指そうと思ってた、んだけどさ」


タクがぼくを気遣って視線を流れる川に移した。ぼくは腫れた目を隠すように目元を掻くとタクが控えめに本題を切り出した。


「聞いたよ。ケンジの事。あいつオレらを裏切って柔道部に行ったんだって?ホント恩知らずな後輩だよなぁ。3年の先輩らが目をかけてせっかく団体戦で使ってやったてのにサァ」


悪びれるタクに対してケンジのフォローを入れるべきだろうか。悩んでいるとタクは目線をさらに遠くの方に移した。


「ウチ、お袋が再婚したんだけど、離婚ってなんだか悪い事ばかりじゃないって事に気がついてさ」


驚いてタクの顔を見つめる。ぼくも親の離婚に巻き込まれた経験がある。タクからそういう言葉が出るのは意外だった。向き直るとタクは続けた。


「元々親父とお袋は仲が悪くてさ、家に帰るとしょっちゅう喧嘩だし、ガキの頃は親父がまともに働いてなかったから小遣いなんてもらった事もなかったんだ。今更あいつを悪く言うつもりもないけどさ。あ、新しい親父は商社マンでオレと年もそんなに離れてなくて。ちょっと姉ちゃんが距離置きたがってるけどお袋は幸せそうだ。来月は新車も納品されるみたいだし、ってモリア!なんでお前オレの話で泣いてんだよっ!」

「いや、泣いてなんか」


否定しながらぼくは込み上げる涙を拭う。親が離婚したというのにタクはその事を前向きに考えている。親友の精神的な成長に驚いたし、彼の明るい家庭環境に自分の境遇とは違う羨ましさを感じていた。ようやく涙が止まるとタクはぼくに言った。


「新しい家族が出来てオレ、思ったんだ。オレもこの家族のために何かしてやりてぇ。中学二年のオレに何ができるかって考えた時にやっぱり卓球だと思ってさ。月並みな感想で申し訳ないんだけど、やっぱプロ目指して頑張っていきたい、みたいな」


照れ隠しで頬を掻くタクを見てぼくは強くうなづく。子として親に見せられるのは何か。それはやっぱり部活や勉強を元気に頑張っている姿を見せる事だと思う。結果は二の次、三の次。完全復活を果たしたタクと抱擁を交わすと何かに気がついたようにタクが声を上げた。


「プロを目指すんだったら部活の練習だけじゃ足りないよな。どこかで練習できる場所を探さないと」

「練習場所をお探しかな?」

「んな!…誰だ貴様ッ!」


ぼくらの前に突然顎鬚を生やした坊主頭の妖しい雰囲気の男が割って現れた。


「待て待て。私は怪しい者ではない。夏にキミたちを指導したゲッツェの知り合いだ」

「ゲッツェコーチの知り合いだって?」


男の言葉を聞き返してぼくらはお互いの腕を振りほどいて男に向き直る。ヘビ柄のトンガリ靴が足元の砂利を踏みしめるとその男はぼくらに洋式の挨拶をした。


「私の名はバンクーガンナ芳雄。新設された駅前の卓球道場にてコーチを勤めているものだ。店の宣伝も兼ねて悪いがプロを目指しているのなら私もキミに協力しないでもないのだがね」

「気をつけろ、タク」

「なんだ、このおっさん。て、うひゃぁ!」

「ふむ、悪くない筋肉だ」


驚くタクの足を掴み、男が品定めするような鋭い視線を落としてひとつずつ確認するような仕草でくるぶしから上の方に指を落としていく。その様子を見てぼくはおもわず息を呑む。


「ヒラメ筋、腓腹筋、腓骨金…ハムストリングにも故障歴なし。素晴らしい。ややバランスが悪いが矯正すれば充分すぎるほどモノになる。私が求めていた素材だ。…いいぞ!ヴァンダバー!!キミの未来は私が預かろう。キミは今から私の道場の門下生だ。私の事はヴァンコーチを呼ぶといい」

「ちょ、あんたも人さらいか。そんな事、急に決めんな!」

「いいぜ、モリア。面白そうだ。それに道場なら練習相手が大勢居るだろうしそいつら相手に自分のスタイルを追求していくのも悪くねぇ」

「タク……」


うつむいて握手を交わす二人を憎らしい目で見つめる。また引き止める事が出来なかった。今の卓球部ではタクの『プロを目指す』という要望を叶えるのは難しい。でも、ぼくはタクにある条件を出した。タクはそれに承諾した。ヴァンコーチが腰に手を当てて鬨の声を上げた。


「話はついたようだな。では私の道場へ赴こう。今日から私を新しい父と思ってピンポンのプロリーガーを目指すと良い!」

「新しい親父、ってややこしいな。今のオレからしたら。モリア、今日はありがとうな。それじゃ、これからよろしくな芳雄」

「ヴァンコーチと呼びたまえ!このハネっかえりめ!ははは、ヴァンダバー!」


肩を組むようにして去っていく二人を見てぼくは前を見据える。日曜日の夕陽が沈むような憂鬱と明日への期待を込めたような足取りを浮かべてぼくは彼らとは別の道を歩き出す。


どれほどの練習を積めばタクはその夢を叶えられるのだろうか


あとどれだけの別れを繰り返せばぼくは正解にたどり着けるのだろうか


友よ、その答えは風に吹かれてるんだ



そう答えは風に吹かれている。

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