第12話

よくサッカーの国際大会で『自分たちのプレー』という言葉を耳にする機会があると思う。連勝を続け、結果を残し続けているチームにとっては非常に力強い、選手やファンにとって指標となる言葉だが、その逆に結果を残せていないチームにとってなんとも漠然とした、言い訳のような言葉になってしまう、あの言葉だ。


選手がいう『自分たちのプレー』をすればファンは試合で負けても納得できるのか。それはその戦い方に明確な未来に向けてのビジョンがあるかによる。相手に合わせたその場限りの取り繕いのプレーでは次の相手に勝つのは難しくなってくる。そういう場面に拠り所として現れるのが『自分たちのプレー』なのである。


それに選手としては『自分たちのプレー』をして敗北しても、やらなかった後悔より、納得のできる敗北を選べる。出たとこ勝負、あとは野となれ山となれではファンは納得できないが、それが未来に繋がる事を信じて競技者は今日も舞台へ上がるのである。


さて、前置きが長くなった。サッカーと同じように卓球にも『自分たちのプレー』というものが存在し、相手に絶対に敗北しない事をモットーとした超守備的卓球を標榜する川崎ヨシムネに対してのすばるの回答は提出されたのだろうか。それはゲームの後半に思わぬ形として現れた。



「双峰の川崎、またフリックをミスしたぞ!」

「どうしたんだ!?完全にフツーの動きじゃねーぞアレ!」


決戦の5ゲーム目。勝利にリーチを掛けた川崎ヨシムネだったがここで続けざまにミスが出た。それも勝ちを焦ったケアレスミスではなく、あきらかに不調によるプレーミス、それを4回続けて、である。もしこの失態が彼の双峰中の部内試合であったなら貝谷監督に大目玉を食らう所だろう。このプレーによりセーフティと思われたヨシムネのリードはなくなり、すばるに大逆転の目が出てきた。この展開には会場も沸かざるを得ない。


「すばるくん、ワンチャンあるって感じですねっ!」

「ああ、序盤に見せ球として使ってきた必殺技がここにきて相手を追い詰めてる」

「すごい。でもどうしてあの川崎がここまで来て足踏みを続けてるのかしら?」


不思議がる里奈の顔を見てぼくは確信をもってこう答えた。


「川崎ヨシムネにはもう打つべくコースがないんだ」

「えっ!?どういうこと!?むしろ川崎は相手に打たせる側じゃない!?その川崎がリターンできる場所がないって事…?」


自分で言いながら里奈は気づいたようだ。この試合の中盤を思い出してみる。すばるには独自に開発した必殺技が多数あり、相手のツッツキには序盤で見せた『スピア』で対抗し、ロビングには上から振り下ろす『トマホーク』をたたきつけ、チャンスボールと見れば切れ味鋭い『ジャックナイフ』が飛んでくる。まさに技のデパート『武器屋アカホシ』の名に恥じない大盛況ぶりである。


「このっ!」


素の感情をあらわにし始めたヨシムネが長いリターンを返す。前のラリーで荒くなった呼吸を整えようという算段だ。すばるはこの打球に冷静に腰を落としてラケットを構えた。


(さぁ、次はどんな球で勝負する?)


観客たちの期待に応えるようにすばるはピン球に大きな横回転を掛けて自分のコートから弾いて見せる。それは最初のゲームでみせた『ブーメラン』。これにはヨシムネもほっとしたように打球から目を切った。しかし『持っている男』は外さない。緩やかに弧を描いたピン球はポールの脇スレスレを通ると相手のコートをほとんど弾まず着地した。このショットに会場の大歓声が体育館の中央に一台だけになった卓球台を取り囲む。


「得点!穀山中、赤星!デュース!11-11!」


サーブ権が移ると声援をかき消すように双峰中の足踏みを使った応援が腹に響いてくる。ヨシムネは今のプレーを忘れるようにゆっくりと、静かに、ピン球をテーブルの上で弾ませた後、腕を大きく振って得意のYGサーブを放ってきた。すばるがミドルにちいさく跳ねたこの打球を処理、するとヨシムネは思いもよらない行動をとった。


フォアに来た打球に対してヨシムネがスマッシュを放ったのだ。いや、何も驚くことではない。3球目に強打を打つのは卓球の定跡として初歩の一手。しかし守備の鬼である川崎ヨシムネにとっては別の話。意表を突かれたすばるが一歩も反応できずにいたが、この打球は無情にもテーブルで弾まずにそのまま体育館の奥へと消えていった。


「アヒャァァアイッ!!!」


南米の鳥のような鳴き声を彷彿させる川崎の咆哮が壁や床に反響する。このミスショットによりこの試合初めてすばるがリード。さぁ、歓喜の瞬間が近づいてきている。ヨシムネはそんな雰囲気を消し飛ばすように鋭い動作でYGサーブを放つ。すばる、この打球を冷静にロビングで処理。『さっきのスマッシュ、また打ってきてくださいよ』と勝者の余裕を漂わせながら。


売られた喧嘩はきっと買うタイプなのだろう。遠めでもわかるほどこめかみに青筋を浮かせたヨシムネが理想的なピン球の跳ね位置で力いっぱいラケットを振って腕を横に抜いた。この男、スマッシュを打ちなれている。過去にも勝負所で攻撃的な戦型に変えた経験があるのだろう。しかし皮肉にも完ぺきなコースに飛んだスマッシュというものは対策するのも容易で、すばるが読み切ってカウンタードライブでコートからはじき出す。つむじ風のような衝撃が彼の前髪を後ろへと流していく。これに対しヨシムネ、同じようにカウンタードライブの構え。


誰もがその打球を強打で弾き出すと思った瞬間、ヨシムネはさらにその場から一歩『加速』し、長い右腕をグンと前に突き出した。体の勢いとは真逆の柔らかい、まるでピン球とキスをするような最小限の接地によるリターンがすばるのネット際に落下する。音もなく回転を失ったピン球がテーブルの脇に転がるとそのプレーに驚きの喚声が飛んだ。


「キルストップ…!」


思わず息を呑んでいた。ヨシムネが繰り出したのは相手のドライブのパワーを吸収して回転を殺す、試合の流れを『切るストップ』ショット。あと一点で勝てる場面から再びデュースに追い込まれたすばるはさすがにショックが大きいか、うつむいて両ひざに両手を置いて深くため息をついた。


「勝てると思ったか?一年坊主。このショットがある限りオレが負けるなんてありえない。おまえの快進撃もこの準決勝でおしまい、Death!!!」


親指で喉をかっきる仕草をみせたヨシムネに対してすばるは冷ややかな笑みを浮かべている。まだ大丈夫だ。サーブ権がすばるに移り、台から距離を取る。何か仕掛けるつもりだ。前進回転のかかったロングサーブがコートに跳ねるとヨシムネの目がカッと光ったのが見えた。


「やばい、くるぞ!」


全身に伝わる不吉な予感。瞬時に前に出たヨシムネがぼくにとって見慣れたフォームでこの打球をバックハンドでさばいて口を横に開く。


(さァ、オマエを殺すのはオマエの先輩のこの技だ)


ヨシムネの狙いすましたチキータがすばるのミドルに飛ぶ。コースは甘い。落ち着けばリターンできるボール。だが、この場面で焦りが出たのかすばるのリターンが

高くなり、相手のチャンスボールに。ノータイムでヨシムネがスマッシュを放つ。

火の出るような打球と失点を覚悟して数秒間閉じた瞳を見開く。パチィンと肉を叩く音が響き、ヨシムネ特有の奇声が轟くと審判が得点板をすばるの方に捲った。


「助かった!スマッシュをミスしましたよ!今っ!」

「ああ、…見てたよ。だからそんなに体を揺らすなって」


立ち上がって後ろの席から肩を掴む田中をよそにぼくは頭を掻きむしるヨシムネに目を落とす。どうした?この試合あいつはおかしい。あんなに強く自分の腿を叩くなんて。何か言えないような不調を抱えているのか?審判が台に戻るように促すとようやく奴はラケットを手に取って捕球体制に入った。


リードを得て試合を決めたいこの場面。すばるは少しだけ間を取った後、『チキータ避け』としてのバウンドの少ないしゃがみサーブを放つ。ヨシムネがフリック、すばるがドライブをリターン。するとコート上のピン球が加速し始める。カウンタードライブの打ち合いが始まり、観客は呼吸を忘れて厳しいコースを突く互いのドライブを見届ける。この打球速度では新たに技をかけるのは難しい。このままドライブで押し切れるか、それとも……!


誰もが予測したその場面であいつは仕掛けてきた。回転を持たない純粋な速さだけをその身に持った絶好球。じゃじゃ馬のようにコートを跳ねまわるピン球にヨシムネの伸ばした手の延長線上にあるラケットが触れる。それは子供の頬に触れる母親の掌みたいに。あるいは努力して報われなかった年下の少年をもういいよ、って諭す年長者みたいに。この世の何もかもより優しい触り方に見えた。


川崎ヨシムネのキルストップ。打球の勢いを完全に殺したピン球がテーブルに返ってくる。誰もが彼の得点を確信したが何かがおかしい。コートにすばるの影がない。


『聖剣』


ネットぎりぎりの打球を真横につめていたすばるがはじき出した。最強の守備であるキルストップは想定外の弱点を抱えていた。強烈な勢いを吸収した打球はこの一打からその初速は0になる。その瞬間を強打されたとなったら?答えを捲られた得点板の数字によって知らされると双峰中最強の守備のスペシャリストはその場で大きく崩れ落ちた。


「ゲームウォンバイ!3-2!穀山中、赤星すばる!」


これを奇跡といわずしてなんと呼ぶだろうか。


歓喜に沸く周りとハイタッチを交わし、声にならない絶叫の後、急に冷静になって椅子に深く腰掛けて呟いた。


「はぁー、後輩に先越されちゃったなぁー」


先輩であるぼくの嘆きは歓声にかき消されていく。何はともあれ、赤星すばる決勝進出である。


が、すばるは決勝戦で今大会のダークホース、白雪中の日向由太郎にウソのように敗退した。


こうして怒涛の展開に激しく体を揺さぶられながら、

ぼくら穀山中卓球部の激動の新人戦が幕を閉じたのだった。


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