第7話

息詰まるような先の読みあいが続いた新人戦第一試合も終盤に差し掛かった。共に一ゲームずつを取り合った最終ゲーム。2点のリードを保った川崎ヨシムネがフォアに飛んだぼくのドライブをブロック。その返球に台の下からラケットを出すようにして下回転を加えたループドライブを放つ。が、これは目の前のネットに吸い込まれた。審判が勢いよく得点板をめくるとこれが相手のマッチポイントであることに気が付く。これで得点差は3。試合としては大詰め、後のない土俵際に追い込まれた。


「これで終わりか?マンジェキッチの息子。もうネタ切れなんだろう?さっきから攻めが単調になっている」


勝利を確信したように川崎ヨシムネが口を横に開いて大きくテーブルの上でピン球を弾ませている。彼の言う通り、ぼくはここまで彼の超守備的なブロックを崩せずになかなか連続して加点することができずにここまで試合をしてしまった。だが、この場に及んでも彼に対しての策があった。まだこの技は試していない。彼にそれを気づかれないように補球体制を取るとマッシュカットの対戦相手は短くピン球を宙に浮かべた。


ヨシムネが放ったのはこの試合、何度も見せているYGサービス。その打球の軌道は既に予測済み。相手も勝ちを確信していたのか少しミドルへのコースが甘くなっていた。絶好球。瞬時に前に出てラケットの裏を合わせる。ピン球の表面がラバーに擦りつく感覚が指先に伝わるとその球を払うように一気に鋭くはたき上げた。


ナックルチキータ。ぼくがこの試合のために編み出した最後の切り札だ。


ワンテンポ遅れて反応したヨシムネが前に出る。不規則な回転を描いたこの打球に対してブロックの構えを取ってラケットを突き出すがその動作は無駄に終わった。ぼくが放った一撃は台の手前で弾まずにその先の川崎ヨシムネの体に当たって止まったのだから。


「ウォンバイ、双峰中、川崎ヨシムネ!ゲームカウント3-2!」

「うおー!やっぱり双峰のエース!隙がねぇー」

「あっけない決着ー!」

「強すぎるぞー!川崎ヨシムネー!!」


審判のコールが響くと体育館の至るところからこの試合の感想が飛んでくる。ぼくは一度だけ膝に手を置いたあと、深く深呼吸を二度、三度して台の横で腰に手を当てて佇んでいるヨシムネに握手を求めた。


「…引き離せなかった・・・もっと点差をつけられたのに。あれとアレの修正が要る。戻り次第早急に準備をしなければならない…」


握手の最中、心ここにあらずといった様子でヨシムネは独り言を呟いていた。トーナメントの初戦ということもあって彼もこの試合のパフォーマンスに思うところがあったのだろう。でもそんな事はぼくには関係ない。なぜならぼくの新人戦はここで終わってしまったのだから!



「あー、ちくしょー。負けた負けた!また勝てなかった!畜生め」


すばるとマネージャーふたりが待っていた観客席に戻るとタオルを被って悪態をついてみる。諸悪の根源である双峰中に対してのぼくの『倍返し』は大失敗。結果から言えば去年と同じ一回戦負け。何がチキータ王子だよ。何が優勝候補だよ。アンガーマネージメントの本で見た通り、怒りを発散しながら試合を振り返っていると見かねたように里奈が話しかけてきた。


「負けたのは残念だけど全国区のエース相手によくやった方だと思うわよ。この短い期間で準備してあんなラケットまで作って最後まで粘ったじゃない」


里奈は横に座るとぼくの頭からタオルを剥いで小さな声で言った。


「あんた、ひとりで抱えすぎ。キャプテンになったからって全部の試合で勝つ必要なんてないんだから…うっ!」

「モリアさん!すごい試合でしたね!すず、感動して濡れちゃいました!」


里奈の後ろから首を絞めるような勢いで体重を載せた田中がまん丸の目でぼくを見つめてきた。


「あの試合のどこに感動要素があったんだよ…それにあんまり人前で下ネタ言うな。わが校の恥」

「あっ!引っ掛かりましたね!濡れたのはドリンクのボトルですー。なにネガってるんですー?あの双峰最強の相手、川崎ヨシムネに対してフルセットまで持ち込んだじゃないですかっ」


買いかぶる田中から目をそらしてぼくは4ゲーム目を振り返る。そしてもう一度田中にむき直る。


「あれはゲーム序盤に相手がミスを重ねて点差がついたから5ゲーム目で確実に勝つためにわざと落としたんだ。途中からこっちが疲れるような打球をいやらしく回してきてたじゃないか」

「相手にそういう戦略をとらせたのもモリアさんの実力じゃないですかっ!ああいう展開なら普通の選手だったらゴリ押しで来ますよ。それにあの序盤のミスもジョバンニがやってくれたんですよ!ねぇ、すばるくん!」


アホらしい田中の話に耳を貸さずに少し離れた席に座ったすばるが屈んでシューズの靴紐を締めなおした。彼の試合時間が近づいている。ぼくはキャプテンとしての体裁を保つように咳ばらいをひとつして立ち上がるとすばるに対して「頑張ってこい」と拳を突き出す。緊張を隠すようにちいさく拳を合わせるとすばるは無言で素早くその場から会場に繋がる階段を下りた。


「すばる、頑張って!穀山中の来年の予算はあんたの肩にかかってるんだから!」

「モリアさんの仇をとってきてね!すばるくん!」

「…大丈夫かな、あいつ」


声援をおくるマネージャーをよそにすばるの態度を気にして席につく。でもその心配は要らなかったようだ。


すばるの初戦の相手はさっき玄関であったイガグリ頭の1年生。彼が初心者丸出しの動きであったから、冷静に得点を重ねたすばるが終始試合を優勢に進め、気が付けば3ゲーム連取で見事にこの試合をモノにしてみせた。


がっくりと肩を落とした対戦相手と握手を済ませるとすばるは観客席にこっちにむかって拳を突き上げた。それをみてぼくたちは周りに響く大きな拍手で彼の健闘を讃えてみせた。


――この試合が春に卓球を始めたすばるの公式戦初勝利、そして新生穀山中卓球部の初勝利となった。席について田中からボトルを受け取ったすばるが出迎えたぼくに短く言った。


「モリア先輩のおかげですよ」

「えっ?」

「オレ、先輩の怒りをあいつらに返します。見ててください」


中学一年生のスポーツマンとしては決して大きいはいえないその背中から翼のような黒い空気を出しながらすばるは目の前で繰り広げられる熱戦を見届ける。「俺の番だ。そろそろいかなきゃ」みんなに告げるとぼくは用事を思い出して二階の床を蹴って再び体育館の門をくぐった。

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