第6話
川崎ヨシムネの卓球は常に2-0から始まる。試合前に読んだ卓球雑誌に書かれた文字を思い出す。相手の強打をいなす事に定評のある川崎の守備的戦型をうまく形容した言い方だ。どのスポーツでもテレビや雑誌で特集を組まれたり批評家から評価されるのは守備より攻撃の方で卓球の世界でも多くの選手が基礎としての守備を固めるより、相手を崩すための攻撃に多くの練習時間を割いている。
その点、川崎ヨシムネはその流れから逆行している。彼のプレースタイル、時として攻撃に転じる場面である三球目でも繋げるような打球処理は消極的とみなされる事もある。しかし一試合を通して固く守りを固めるその戦い方は簡単に崩すことはできない。気が付けばどのゲームでもこちら側のミスで彼に2点リードされている。最初に挙げた言葉の通り、場を支配する彼の試合運びや徹底したガード戦法は1ゲーム11点先取の卓球において大きなアドバンテージとなっている。
――そしてこの試合も前評判通りに守備を固めた戦いで次第にリードを奪い始めた。自分からは決して攻め込まず、フリックやブロックで強打をやり過ごし
、相手のミスを待つ。ぼくの強打は何度もネットに飲み込まれ、渾身のドライブが見当違いの場所に放たれると審判の得点板に11の数字が揃った。新人戦の初戦、2ゲーム目。これでともに1ゲームを取り合う形になると川崎ヨシムネはぼくを見て口を横に開いて笑った。
「どうだい?双峰中イチの守備の達人との対戦は?」
挑発ともとれる相手の質問に答えずに手汗をぬぐう。返答を待たずに川崎は両腕を広げて誇らしげに語り始めた。
「自分の思い通りの戦いができずにフラストレーションが溜まっただろ?チャンスボールが来て、決めなきゃいけないと思って焦っただろう?…こんな戦い方に巻き込まれて退屈だろう?つまらないだろう?だけどこれが最強の卓球だ」
「質問はひとつずつにしてくれないか」
相手の言葉をやり過ごすようにしてぼくはサーブの補球体制を取る。それをみて鼻を鳴らしながら川崎はピン球をテーブルの上で弾ませてみせる。
「つれない男だ。今この場でサーブ権と主導権を握っているのはこのオレだ」
じらすようにピン球を弾ませ続ける川崎の態度に付き合わないよう、神経を集中させてその球を待つ。瞬きのタイミングに合わせたしたたかなサービスにラケットの芯を外したリターンを返す。フォアハンドからのナックルドライブだ。
川崎の三球目。前のゲームからみられる通り、チャンスに思えるこの打球に対してもノータイムでフリック。それを予測して前に踏み出していた。ラケットをボールに被せるようにして羽根つきの要領でピン球をテーブルからはじき出す。予定調和を崩したこのスマッシュに思わず後ろに走り出して打球を返すが、これがぼくのチャンスボール。冷静に短いドライブを放つとこのゲームの先制点をゲットしてこぶしを握り締める。
「ほう、さすがマンジェキッチの息子。咄嗟にあの打球が出るなんてエンタメ性に富んでいる」
川崎ヨシムネ、失点にも動じず余裕の表情。「だがそんな付け焼刃はもう通用しない。つまらん芸人のネタなんて一度見てしまえば十分だ」
次のラリーが始まり、3球目で同じようにフリックで打球が返ってくる。ここまで徹底して守られると何としてでもこの要塞的守備をぶち破ってやりたい気持ちにさせられる。4球目にドライブを打ち込む。しかしこの球筋が思ったほど伸びない。それを見通したようにミドルに構えていたヨシムネがカウンタードライブ。
ぼくが膝に手を置くと審判が相手側の得点板を力強くめくった。大きく、深く息を吐くと少し上機嫌でヨシムネがぼくを見てあごをしゃくった。
「おいおい、打球のスピードが落ちてきてるんじゃないかぁ?失敗だったなぁ〜そのラケット」
相手の視線に気づいて表裏一体のラケットを眺めてみる。裏ラバーは表ラバーより重量があり、それが両面についているのだから、手首の疲労は普通のラケットより大きい。それに実際…言い訳になってしまうけど、ぶっつけ本番だからこのラケットの取り回しの違和感に慣れていない。実戦を通して感覚をつかんで行こうと思っていたがそう甘くはなかったようだ。
「良いかぁ、本田クン」
顔の横にラケットを翳したヨシムネを見上げると血走った目がぼくの弱った神経を貫いていく。
「卓球は気付きのスポーツだ。相手の戦型、これまでの戦歴、コンデション、精神状態。11点先取という限られた時間で相手の弱点を見抜き、そこを叩く」
ハンマーを振り下ろすような動作でラケットを軽くテーブルに突きつける様を見てぼくは彼を鼻で笑ってみせる…相手のミス待ちのセコい戦型で良く言うよ。彼の言った言葉は自分のプレースタイルとはかけ離れている。どうせそれもあの女監督からの入れ知恵だろう。そう言ってやりたがったが思考に体がついていかず続けて失点を重ねてしまう。観客席からの応援も次第に熱を失っていく雰囲気を感じる。そして得点板には相手のゲームポイントが灯った。
「やっぱり俺の見立て違いだったようだ。双峰を追い詰めた主要人物がどういった相手か卓の上で確かめたかったが…裏裏使いの対戦相手の対してサンプルも充分に採れた。君、もう消えていいよ」
大きく腕を回してYGサーブの構えを取る川崎ヨシムネ。この得点差、ここから逆転してこのゲームを取るのは容易なことじゃない。それだったら……
低く、ミドルに弾んできた打球をすくい上げるように大きくロビングでリターン。
ヨシムネ、当然のようにこのチャンスボールをスルー。いつものようにフリックで返球された打球にぼくは同じようにフリックでリターン。それを見て観客席がにわかにざわめきたつ。
(ふざけるな、ミラーゲームのつもりか?)
ネット越しにヨシムネの血走った目がにぶく光る。決定打を打ち込まない卓のふたりを見て周りのざわめきが大きくなっていく。リターンを放ちながらぼくは相手のヨシムネを観察する。構えはフリックだが、こちらのミスに備えてフォアでドライブが打てるように準備をしている。そのしたたかさが命を刈り取る一閃の間合いを計っている刀、そしてそれを操らんとしている
「…その切っ先に毒を仕込んでたのか。食えない男だ」
未だネットで回転を続ける白い球を眺めてヨシムネが皮肉を吐いた。ぼくは最後のフリックに今までとは違う方向に回転をかけた。ほんの少しの違いだけど、このゲームを決めようと焦ったヨシムネはそれに気づけなかった。サーブ交代で審判からピン玉を受け取ってぼくは誇らしげに胸を張る。
「俺の執拗なフリックがキミの防壁を打ち破った。俺からも一つ教えてやる。卓球は築きのスポーツだ」
ヨシムネが口を横にひねり、観客席がひときわ盛り上がっていくのを感じる。新人戦1回戦の3ゲーム目の途中、新たに生まれた熱病は周囲を巻き込んでその数は膨れ上がっていく。勝利の天秤の針はまだ向こうには触れていない。相手に弱点が産まれた今、このチャンスを逃すべからず、ぼくはラケットを振るった。
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