第5話

「なんだあのラケットは!?」


観客席のどこかでぼくのラケットを見たギャラリーから驚きの声が飛ぶ。対戦相手の川崎ヨシムネからのリターン、三球目を渾身のドライブで突き刺すと今大会から導入された白いピン球は鋭い軌道で相手コートを横切っていく。審判のコール。ぼくの得点だ。会場に短い歓声が響くとぼくはめがねのつるを押し上げて、数日前の体育館でのやりとりを思い出した。


「あんた、本当にこのラケットであの川崎ヨシムネと勝負するつもり?」


同い年のマネージャーの里奈が再三再四、発注をだした備品リストの項目を眺めながらぼくに尋ねた。「相手は双峰中最強の相手なのよ?年間に100試合近くこなしてるっていうし、部として蓄積された対戦データだってある。こんな弱者の思い付きみたいな奇策、通るワケないじゃない」


しゃがみ込んでスニーカーのひもを締めなおしながらぼくはストレッチのメニューに集中する。里奈の後ろから近付いてきたタクがリストを取り上げて感心したように言った。


「なるほど、シェイク裏裏だろ?お前らしい戦型だ」

「ちょっと、どういう事っすか?説明してくださいよタク先輩!」


一つ下のケンジが腰に手を当てて笑うタクに聞いた。「この馬鹿、チキータと心中しようとしてるのよ。チキータ王子なんてちょっとおだてられたくらいで!」


タクの代わりに里奈がかんしゃく気味に声を張り上げる。「表にも裏と同じラバーを張るんだ。フェアでもチキータと同じような打球が打てるようにな。そうだろ?モリア」


尋ねてきたタクにぼくはつま先立ちで足を横に伸ばしながらうなづく。シェイク裏裏はその名の通り、シェイクハンドのラケットの両面にバックハンドで使う反発力の強い黒いラバーを貼ったラケットで戦う戦型。守備が苦手な選手がバックハンドの感覚を掴むために使うことはあるが、使える球種が限られるため試合で使われることはほとんどない。ちなみにこのラケットの組合せは国際ルールでは禁止されている。


そんなラケットをなぜこの大一番で起用したか?その答えを里奈や会場のみんなに見せてやる。フェンスに当たったピン球を拾って戻ってきた川崎ヨシムネが瞼にかかりそうな前髪の陰から射貫くような視線をぼくに覗かせた。


「まだ一球見ただけだが…なるほど、面白い戦型だ。自分がやってみようとは思わないがな」


スッとテーブル越しに投げられたピン球を握ってぼくはサーブ体制に入る。…大方、優勝候補と見立てられている自分に対しての奇策だと思っているんだろう。確かに出鼻をくじく意味もあったがこのラバーには他の理由もあるって事を思い知らせてやる!


ネットの上スレスレを通るようなサーブを打ち込む。川崎のリターンに視点を変えるような高いロビングを返す。この打球を返すために少し体制を崩すようにしてバックステップを踏むのを見逃さなかった。右利きの相手のバック側に素早く、正確にチキータを打ち込む。乾いた打音が響き、ぼくの得点。後ろのフェンスに転がるピン球を見て川崎が短く息を吐きだした。


いける。試合前の予感が確信に変わり、こぶしを握り締める。フォアで鋭い打球を繰り出して得意のチキータで仕留めるこの戦型は双峰のエースにも通用する。その後も試合を優勢にすすめ、気が付けばぼくのゲームポイント。ダン、ダン、ダンダンダダン。聞きなれた双峰中の床を踏み鳴らす応援が響き始めると川崎ヨシムネは観客席を見てうなづき、テーブルの前で低い姿勢を取って手に握ったピン球を掌でひらくようにしてサーブ体制に移った。


「…シェイク裏裏の対戦相手に対してのサンプル採取完了。ここまでオレ相手に戦えてラッキーだったな。キミ、もう消えていいよ」


構えた腕を大きく回すようにして川崎はピン球を低く放り投げた。…このサーブには覚えがある。チキータ殺しとして知られるYG(ヤングジェネレーション)サーブだ。


放たれたサーブは大きく弧を描いて短く弾みながらミドルからフォアコースへ飛び込んでくる。しかしそこにはフォアに貼られた裏ラバーがある。下からすくい上げるようにしてドライブを放つとその打球は不規則に揺れながら相手のコートにリターン。川崎がこの処理を読み間違えてネットに引っ掛けた。その瞬間、観客席からワッと歓声が上がった。


「…ナックル回転か。フォア裏面の対策としてまだまだサンプルは必要らしいな」


コートチェンジですれ違いさまに川崎はぼくに言った。「ふん、負け惜しみかよ」

台についてぼくはテーブルで手汗をぬぐう。「YGサーブはおたくの3年生との対戦で嫌というほど見てるんだ。今更キミが使ったところで対策済みだ」


チッと短い舌打ちを浮かべるとピン球を構えながら川崎は上目遣いでぼくを鋭く睨んだ。


「ウチのリンゴ先輩を追い詰めたからって少しチョーシに乗ってるんじゃないのか?あの人がベストコンディションだったらお前なんて赤子の手をひねるように簡単に倒せたはずだ」


空気感の変わった相手を前にしてぼくは呼吸を整える。ぼくが全中予選で対戦した矢中林檎さんは去年のこの大会の優勝者だ。言われなくても彼の強さは身をもって理解している。あの試合でぼくは前もって用意していた作戦をすべて打ち砕かれ、終始不利な展開に追い込まれ、変幻自在の打球に延々とテーブルの端から端まで走らされていたのだから。


審判のコールで2ゲーム目が始まる。前のゲームの終わりと同じく川崎がYGサーブをぼくのコートに打ち込む。フォアからミドルに変化する打球というのはわかっていても処理がしにくい。慎重に落ち着いて返すことだけに集中して相手のミドルにリターン。すると川崎、三球目をフリックで処理。一般的に三球目は強打で得点を狙うのがセオリー。定石を崩したこの返球にぼくはチキータを合わせる。


しかし、思ったより打球が弾まず、短い踏み込みになった為、打球は大きく回転しながらネットに吸い込まれた。客席の歓声がため息に変わると川崎ヨシムネは満足げにそのピン球を掴み上げた。


「初戦という事で情報収集を兼ねてギリギリで調整していたが、1ゲームを取られるとは予想外だった。ここからはオレの展開だ」


感情を感じさせない所作でサーブ体制に入る相手を見てぼくはリターンに神経を集中させる。次第に震え始めた膝は未知への恐怖かそれともこの対戦への武者震いか。双峰中最強のプレーヤーとの本当の戦いが始まる。

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