自分たちの

第8話

日本の卓球文化のひとつに「負け審」という独自のルールがある。

その名の通り、地区大会で早い段階で敗戦した選手は同時に行われている多数の別の試合をさばくために、または彼らの試合を見て自分の卓球スタイルに活かすため、あくまでも中立の立場を保ちながら得点板を抱え、卓球台の横に立つ。負け審の選出は大会実行委員によって行われ、ぼくはいまだ一回戦が行われている体育館右奥のブースに向かった。地毛と思われる茶髪の選手がぼくの姿を見るとラケットを差し向けてきた。


「審判!チェックお願いします!」「ああ、わかった」


彼からラケットを受け取り、シェイクハンドの表面と裏面のラバーをチェック。その後、彼の対戦相手である他校の選手からラケットを手渡され、それにも目を通す。その間にじゃんけんによってサーブ順が決まり、ピン球を茶髪の一年生と思わしき選手にテーブル越しに渡すと短いラリー連が始まった。準備完了。彼らの新人戦一回戦がはじまる。


「ゲームポイント!白雪中!11-6!えっと…君の名は…」

「白雪中一年!日向由太郎ひむかいゆたろうです!」

「わかった…ただいまのゲーム、ゲットしたのは白雪中一年、日向由太郎選手ですっ

!」


ぼくが声を張ると体育館に少しのどよめきが起こり「ぷっ、なんだよそれ」と彼の対戦相手が口に手を当てて含み笑いを浮かべた。…彼のウェアには見覚えがある。さきの地方団体戦の準決勝で対戦した己語中おのがたりちゅうの選手。部長のアマギさんの采配によりぼくら穀山中との対戦はなかったが3位決定戦で彼のプレーを見た記憶がある。


「俺の名前は土雲章大つちぐもあきひろ。己語中1年。よろしくお願いします。穀山中の本田モリアくん」


垂らし髪の選手に自己紹介されてぼくは「こちらこそ、ども」とはっきりしない返事を返す。…ぼくは審判の仕事に四苦八苦していた。プレイ中は常にテーブルの上を飛び回るピン球の着地点を見逃さないように目を凝らしていなければならず、スムーズな試合進行を心掛けた必要最小限のコールを頭の中で考えて発声しなければならなかった。ほかにもスマッシュで後ろに飛んだピン球を選手の代わりに拾いに行かなくちゃいけなくて、試合中に凹んだピン球の代わりに新しい球を投げ入れる際にきちんと相手に渡らないと彼らのペースを崩してしまうんじゃないか、という余計な心配が次々と浮かんでいた。


「審判!こっちの得点!」


茶髪の選手の声に気づいてぼくは急いで得点板の右側を勢いよくめくる。『ちゃんと見てたのかよ』テーブル左側の土雲選手がぼくの方を見てそんな顔をしている。

ぼくは目をそらして新しいピン球をサーブ権を持つ日向選手に放り投げて試合を促した。


人のプレーを台の横から見ているといつもと違う景色で試合を観ることができる。選手の持つちいさなクセ、例えば日向は試合の流れにうまくノッている時に舌をぺろりと出す癖がある。対戦相手の土雲もサーブの前にピン球を浮かべる左手を拭った後にメジャーリーグのピッチャーのようにフッと息を吐いて手を湿らせてからサーブ体制に入る。そのひとなりのルーティンだったりジンクスのような仕草が垣間見れるのは審判として楽しい部分だ。


彼らのプレーを見てぼくは自分にどんなクセがあったか思い出してみる。…そういえばフルゲームの後の審判だというのに不思議と体は疲労を感じていない。最初は試合中のアドレナリンがまだ流れているんじゃないかとか、夏の合宿で体力が付いたんだと思っていたけど、彼らのプレーをみて気づかされた。それはもう、その場で得点板を放り投げて頭を掻きむしって後悔するほどに。


目の前のふたりの選手、もとい体育館でプレーを続けている全ての選手に共通すること。それはどの選手も足を使って相手の体制を崩すようなショットを打ち込んだり、どの打球がきてもさばけるように動きやすい姿勢を取っている。ぼくは川崎ヨシムネとの試合中、ほとんど足を使っていなかった。両面裏ラバーのラケットをテーブルの中央で構え、相手の打ち込みによるリアクション待ち。ほんとうにセコイ卓球をしていたのはぼくの方じゃなかったか?


「あー!しまった!そういう事だったのか!こんチクショー!」

「うわ、びっくりした」

「突然叫んだぞ!大丈夫か、あの審判!」


思わず感情が抑えきれなくなり、その場で咆哮。もしあの試合で足を使う意識が少しでもあったなら…勝負事にタラレバは禁句だが、悔やんでも悔やみきれないひとつの失態だった。目の前で戦う日向由太郎はぼくの顔を見てさっきと同じような顔を向けてきて「ねぇ、審判。今の俺の得点!」と急かしてくる。


「ゲ、ゲームポイント!11-7!白雪中一年、日向!」


得点板を確認してコールすると茶髪の日向は「おしっ」と拳を握り締め、土雲は長い前髪の間から板の数字をにらんだ。これで日向が2ゲームを先取して勝利にリーチ。土雲としては苦しい展開に。すると3ゲーム目。今までカウンターに徹していた土雲は一転して台の前に出てどんどん強打を打ち込んでいく戦型に変えた。日向も開始直後から見せていた見事な前陣速攻型でこの流れに乗るとすごいスピードでピン球が左右のコートを飛び交っていく。日向のドライブが短く跳ねて台の端から横切って消えると「審判、どっち!?」と汗まみれの二つの顔が振り返る。


「得点!白雪中!」


直前のプレーを冷静に読み直して最後のボールの着地点を頭に思い浮かべる。ぼくが日向側に手を向けると「なんだエッジボールかよ」と土雲がうなだれた。


この失点が堪えたのか、土雲は意気消沈してドライブのコースが甘くなり、逆に日向は押せ押せのムードで着実に得点を重ねていった。気が付けばすぐに得点板には10の数字が登り、勝利を確信したスマッシュが相手のコートを横切ると日向は観客席の方を振り返って喜びの声を上げた。


「よっしっ!」

「ゲームウォンバイ、白雪中一年!日向由太郎!ゲームカウント3-0!」

「くそ、まさか同学年に負けるなんて…!」


がっくりとため息をついた土雲はラケットを勢いよく振り上げると、その場で思いとどまってゆっくりとラケットをテーブルの上に置いた...そうだ、それでいい。敗戦に腹が立っているとはいえ、物にあたるにはよくない。


「ナイス審判!」


タオルで汗を拭った日向がぼくに握手を求めてきて、ぼくがその手を握ると彼は白い歯を見せて笑った。


「あんたの審判、すごいやり易かったっす!二回戦も負け審やることあったらお願いしますっ」「えっ、あっ、ちょっと」


輝いた目を向けられてうまく言葉がまとまらずにうなづく。ぼくも次の大会では負け審を担当しないように最後まで勝ち上がらなければ。観客席にいる同じ学校の部員たちに大声で勝利報告をする日向の背中をみてぼくはそう誓ったのだった。

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