悪魔の子

第3話

三週間前、全国大会行きを賭けた卓球部員たちによる熱き死闘が行われた向陽第一体育館。その舞台にぼくは再び戻ってきた。新チームとしての初の公式戦である秋の新人戦。この大会はその名が示す通り、3年生を除いた2年生と1年生によるシングルスのトーナメント戦。病院に向かうタクを見送りやや遅れて会場入りすると、下駄箱の前で後輩のすばるが見知らぬ他校の部員と話をしていた。彼も穀山卓球部を代表して今日の大会を戦う闘技者のひとりである。


「あ、チキータ王子!…じゃなかった、すばるの学校の本田モリア先輩!じゃ、僕はここで。対戦できるといいね!」「ああ…」


手を振りながら立ち去っていくイガグリ頭の少年を見つめながら歯切れの悪い言葉を残したすばる。「知り合いなんですよ。小学時代にサッカーやってた繋がりで」すばるがぼくに向き直って今まで話していた相手について話始めた。


「深澤中の吉村元記よしむらげんき。オレが全中予選で卓球をしてるのをみて、先週学校の卓球部に入ったらしいです」

「ほう、すばるの影響で卓球を始めたのか。卓球冥利につきるじゃないか!」

「いやいや、そんな美しい話じゃないですよ」


肩を掴んで揺らそうとするぼくの手から逃げてすばるは少し遠くを見た。

くすぐってやろうと思ったのに猫のように気まぐれな後輩である。


「ゲンキ、あいつは子供の頃、いつも誰かの後をついて歩いてました。バレーをやっていた母、ボクシングをかじっていた親戚の叔父、サッカーのジュニアユースに所属していたとオレの父さんが言ったら一緒にサッカーを始めて…

結局どれも長続きしたところを見たことがないです。主体性がない若者の見本ですよ」


鼻で笑うように友人を貶すすばるを見て「お前もここに来るまで同じようなモンだったし合宿中に卓球部を辞めようとしてたじゃないか」と告げると「試合前にそんな昔の事を思い出させないでください」とバツが悪そうに視線を落とした。


「おい!トーナメント表が出たぞ!すげぇ事になってるぞ!」


廊下の向こうから別の学校のウェアを着た部員の声でぼくとすばるは顔を上げる。


「まじかー、緊張するわー」「どこ貼り出しよ?」「1階の職員室の前!」


「行ってみよう」

短パンを穿いた部員たちの後に並ぶようにしてそのトーナメント表の貼ってある場所に靴を履き替えて急ぐ。すれ違う少年の一人がぼくの顔を見てあっ、と驚いた顔をする。嫌な予兆だ。そしてその予感はすぐに当たった。


「えー、厳正なる抽選により72人の参加者は以下の通りの対戦となりました。皆さんの健闘を祈ります」


集まった部員たちを見て大会実行委員のおじさんが頼まれてもいないの演説を始めている。「どうやら最初からモリア先輩の全力が見れそうだ」隣で少し意地悪く嗤うすばるを見て軽くため息をつくと目線を横に移した。煉瓦色のウェアを着た長身のマッシュカットの少年がみんなと同じようにトーナメント表を眺めている。

…ぼくはこの選手を知っている。彼の名を思い浮かべると彼の血走った目がぐりん、と動いてぼくを見つめた。「ああ、キミかぁ」彼はぼくを認識すると肘と膝を大げさに曲げるようにして足を踏み出してぼくの前に立った。


「穀山中卓球部の本田モリア君。初めまして。俺は双峰中の2年。川崎吉宗かわさきよしむね。トーナメント一回戦の相手。今日はよろしく」

「ああ、こちらこそよろしく」


差し出された手を握り、軽く会釈を交わす。スポーツマンらしい爽やかな言葉とは対照的なネットリと絡みつくような嫌悪感。ライバル校同士のエースの接触をみてギャラリーが「おっ、宣戦布告か」と色めき立つ。


「キミのお父さんもプロの卓球選手なんだろ?ウチもそうなんだ」


目を横にするように微笑んで彼はぼくに言った。よくある「二代目プレーヤー」

の何気ない一言。でもそのワードの節々には少しの棘があった。


「ドイツ代表のキャロル・マンジェキッチ。若手の頃、よくウチの親と対戦したって言ったっけな。試合前パフォーマンスだけのイロモノで、一度も負けた事は無いって親父は言ってたけど」


「ははっ、全国常連校のエース様がオレみたいな雑魚相手にも心理戦かい?」


よしてくれよ、と言うふうにぼくはかぶりを振る。ぼくのウチは少し複雑で父と母は別に暮らしていて母の里中雨は彼の言う通りドイツ代表の卓球選手、キャロル・マンジェキッチと一緒にイギリスで暮らしている。でもぼくはほとんどキャロルと会った事がないし、彼との関係を母に問い質した事もある。正直彼の事は父親としては認めていない。そんなぼくの感情をお構いなしに目の前のキノコ頭は続けた。


「オレの父である川崎正宗かわさきまさむねは現役時代、中国リーグで長きに渡って活躍した。特に際立った成績もなくコネと話題性で代表にすがりついているニセモノの息子には負けるわけにはいかないな」


身内を貶されて睨み返すと「おい、その辺にしておけ」と聞き覚えのある女性の声が背後から聞こえた。その声の主と場の空気を感じ取ったのか、川崎は「それじゃまた」と短く言い残してその場を去った。振り返ると野暮ったいジャージを上下に来た年齢不詳の双峰中の卓球部監督、貝谷ハツエがぼくらと距離を取るようにして立ち止まり、腕を組んでぼくに先ほどの無礼を詫びた。


「川崎の態度についてはすまない。どうやら先日のキミたちとの決着が我々双峰部員たちの火を着けてしまったようでな。皆、穀山中の部員たちを完膚なきまで叩き潰そうと息巻いているよ」

「…いい迷惑ですよ。我が物顔でぼくらの青春を踏みにじろうとして。いい御身分ですよね。審判と一緒に全国大会を目指せるんですから」


ぼくの嫌味を受けて貝谷監督は強く唇を噛んだ。「さすがに言いすぎですよ」諭すような口調ですばるがぼくの腕を掴んだ。それでもその目は相手の監督を見据え、ほとばしる闘気で熱く滾っていた。納得のいかない形で敗者にされたぼくたち穀山中の気持ちは同じだ。


「お言葉を返すようですが、おたくのエースを完膚なきまで叩かせてもらいますね。誰の目から見てもはっきりわかるように完勝で終わらせてやる」


決めセリフを残して立ち去ろうとすると「キミたちが何を言おうと私は咎めない」

と細い、振り絞るような声が鼓膜に届く。


「被害者はキミたちだけじゃないと言う事だ」


ぼくは振り返らずに続く言葉を聞き流した。



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