第2話

全中地方大会決勝、ダブルスツー。ぼくとタクは双峰中の江草兄弟と全国行きの切符を巡って接戦を繰り広げていた。勝負の第5ゲーム。江草兄弟の兄、大河さんの放ったパッシングショットをタクの渾身のカウンタープッシュでリターンした瞬間、ぼくとタクは肩を抱き合ってブースを飛び出してチームメイトと抱き合った。涙を流して健闘を称え合うぼく達につんざくような女性の声が轟いた。


「戻れ!穀山中卓球部員!まだ試合は終わっていない!」


最初は自分たちの負けを認めようとしない双峰の女性監督が負け惜しみで叫んでいるのだと思って気にしなかった。でも、少しづつ会場の空気感が変わってきて、ぼくとタクは歩くのもやっとの体でブースに戻って審判の言葉を待った。


「アウトボール!」


その宣告が体育館に響くと双峰側の応援席がどかっと盛り上がり、ウチのベンチのみんなが一斉に異議の声をあげた。呆然として隣に居るタクの顔を見上げる。


震えていた。タクが信じられない、という顔をして手に握っていたラケットをマットに落とした。そして次の瞬間には相手への得点を告げた審判に胸ぐらへと飛び掛っていた。


「やめろ!タク!」ぼくの制止を咎める言葉もより早くタクは審判をその場から突き飛ばしていた。大袈裟にマットの上で受け身を取って倒れるその男にタクは震える声で言葉を発した。


「なんで!なんでお前俺たちにそんなことを言えるんだよ!!俺とモリアが死ぬ気で取った全国行きを決めた決勝点だろ!ふざけんな!どこがアウトだっていうんだよ!!ちゃんと見てたのかよこのヘボ審判!!」


台を挟んだ向こう側に立つ対戦相手の江草兄弟でさえ、心ここにあらずという顔でぼく達を見つめている。


「確かに、エッジギリギリのボールに思えたが…」

「マジか…助かったのか?俺たち」


荒い呼吸をゆっくりと整えながら立ち上がると審判はぼく達に再び試合を進めるよう促した。その結果、ぼく達は負け、全国大会出場の切符を目の前にして逃すという結果に終わった。



この結末には多くの疑惑の声が湧き、ネットを中心に「勝ち目が薄くなった強豪校の審判買収」であるとか「試合中に濃厚接触”を交わした穀山中ペアへの世論からの冷たい仕打ち」であるとか、真意を確かめるためにテレビ今日のインタビュアーが学校まで訪問したりして、ぼくとタクは一躍、ときの人となった。


もちろんぼくは納得がいかなかったし、最後のタクの一球は間違いなくテーブルに収まったボールだったから、ああいうジャッジを下されたのが残念というか、悲しかった。それにぼくらに声を掛けてきた大人が口を揃えて「あれは明らかに審判のミスだったね」とか「スポーツをやってるとこういう嫌なことがあるよ。次に切り替えていこう」とか、なんだか変に同情をしてくる人ばかりでぼくは穀山中の新しい部長として来年こそは完膚なきまでに圧倒的な成績で全国行きを目指すことに決めた。そうした思いを抱えて放課後に体育館に向かっていると制服の中の携帯電話が鳴った。


「もしもし?穀山中の本田モリアくんの番号であってるか?」


ざらざらとした印象の低く乾いた大人びた声。彼の番号を事前に登録していたことを思い出してぼくは携帯の液晶をちらり、見た。


小保北広貴おぼきたひろき。決勝戦のシングルスツーであたるを苦しめた『豪のカットマン』。大会後に連絡先を交換したその彼がこの日初めて電話を掛けてきた。廊下の壁に身を預けるとぼくはその電話の声に応答した。


「そっちはもう練習を始めてるのか?……ならよかった。少し話をしよう。今しがた双峰は全中本戦の予選リーグを勝ち抜き、決勝トーナメント進出を決めた。メンバーにはキミ達と決勝を戦った江草大河とシングルワンでそちらの部長と戦った新田が選ばれている。最終戦までもつれこむ接戦だったがなんとか勝ち上がることが出来…」

「そっちの自慢だったら聞きたくない」


電話を切って握ったまま歩き出す。5秒もしないうちに同じ相手から着信がきた。


「まあ、待ってくれ。ああいう顛末で勝ちを逃してしまったキミ達の気持ちもわかる。これは一つの定期報告だ。来週行われる秋の新人戦。穀山中からも数名出場するんだろう?」

「敵の学校に話す必要はない。もう切るぞ」

「おいおい、待て待て!何もそこまで俺たちを敵視する事ないんじゃないか」


同学年らしい軽い口調になると電話の相手、小保北は話を続けた。


「…はじめに言っておくべきだった。俺はキミのところの一年生に負け、予選大会が終わった日に双峰の卓球部を辞めた。だから今の俺はどこにも所属しないフリーの選手だ」


その言葉を受けてぼくは少し驚いた後、鼻を鳴らした。「おい、今笑ったな?こっちは双峰のレギュラーシャツを勝ち取るためにすべてを投げ打って卓球に打ち込んできたんだぞ!?」

「すまん。笑ったことは謝罪する。それで?本題はなんだ?」

「ああ、それだがな」


咳払いを繰り返し、平静を取り戻そうとする電話口の相手を想像して彼の卓球スタイルから性格を照らし出してみる。彼は根っからの受け身のカットマンタイプ。

自分から話を切り出すのは苦手なハズだ。そんな彼が自分に電話を掛けてきている。何か重要なことを知らせようとしている。咳払いが止むと電話口の小保北は言った。


「その新人戦に我が双峰から出場者が一人。『双峰卓球部最高傑作』と名高い2年生、川崎吉宗かわさきよしむね。彼は世代別選手として国を代表して戦った後、全国大会を戦うメンバーとは合流せずに学校の体育館で調整に入っている。理由はもちろん、双峰を敗退寸前まで追い込んだ穀山中の選手を圧倒的な実力で叩き潰すためだ。だから出場するのであれば念入りに準備をしておけ。もちろんあいつとの実力差に怖気付かなければ、の話だがな」

「…フン」

「あっ、また鼻で笑ったな!人が親切に忠告してやっているのに!」


ぼくは彼の真面目な語り口がおかしくて指で鼻を拭うと携帯を耳に当て直して話を切り出した。


「なぜ敵である俺たちにそこまで忠告してくる?」

「あくまでも敵扱いか。…いいだろう。これはキミたちだけでなく部を辞めた俺の戦いでもある。――言うまでもなく今の双峰のやり方は間違っている。それを白日の下に晒すためにキミたちの力が必要なのさ」


『おい、誰と話している!』


向こうの電話口から聞き覚えのある少年の声が聞こえる。それを受けて小保北の声色が変わった。


「と、いうわけだ。これはキミ達と俺の共闘戦線でもある。くれぐれもぬかりないように。キミ達の働きぶりに期待しているよ」


そう告げると電話は性急に途切れた。ぼくは携帯の液晶をゴシゴシと袖で拭うとそれをポケットに入れ直して体育館に向かった。


「全く、我々双峰がどうだとか、卓球に未練タラタラじゃないか、あいつ」


廊下の角を曲がるとドタドタとおおきな音を立てて大柄の生徒がこっちに向かって走ってくる。耳馴染みのしわがれれた中年の声が彼の後ろからがなって聞こえてくる。

「待て!お前という奴は!今日という今日は勘弁ならん!」

「ヒィー、しつこいぜあのロージン。あっモリア先輩、チワッス!」


走りながらぼくに挨拶をした後輩のケンジはぼくを盾にするようにして追いかけてきた竹岡センセイと対面した。ケンジを追いかけてきたセンセイが息を切らしながらケンジにいう。


「貴様、あれだけワシらが懇切丁寧に授業を教えてるのに毎回赤点とはふざけてるんか!中学のテストで一桁点数とか長い教師生活の中で久しぶりに見たわ!」


ぼくが顔を引きつらせてケンジに「そうなのか?」と問うと「うっせ、だってセンセが俺の弁当取り上げるから授業に集中できねぇんじゃねぇか!」と言い返した。「授業中に早弁するバカがいかんのだろうが!」と唾を飛ばしながら竹岡センセイも言い返す。…これじゃラチがあかない。そう思っていると堰を切ったように竹岡センセイはケンジに切り出した。


「卓球部の顧問としてここまでお前をかばってきたが、もうこれ以上は庇いきれん!来週の新人戦、学業不振のお前を試合に出す訳にはいかん!赤点が解消されるまで豊田、お前を対外試合に出すことを禁じるからな!」

「ええ!?まじかよ!せっかく全中予選を通してバチクソに卓球が上手くなってきたっていうのによぉ!…モリア先輩もこの老害教師に何か言ってやってくださいよ!」


後輩に懇願されてぼくは眼鏡のつるを押し上げる。悪いが学業は生徒の本分。こればかりは部長としても救いきれない。


「ほら!本田も何も言い返せんだろう!次の試験で高得点が取れるようにワシがみっちりしごいてやるからな!」

「あでで!耳をひっぱんなって!ちくしょう…!大会優勝は任せましたよ!モリア先輩!」


耳を掴まれながら竹岡センセイに連れて行かれるケンジにぼくは少し呆れながら小さく手を振る。すると突然後ろの保健室のドアが開いた。振り向くと浮かない顔のタクがぼくの姿を見て立ち止まった。


「あのさ、モリア俺も」


言い出しの言葉を受けてぼくはおもわず身構えて次の言葉を待った。


「保険のセンセに聞いたんだけどやっぱり成長痛だってさ。一年で10センチ近く伸びたんだぜ?少し休みが必要だって言われちまった」


残念そうに俯くタクだったがその表情にはプレッシャーから解き放たれた少しの安堵感があった。


「だから次の新人戦はドクターストップということでよ。俺も不参加ってことで…っておい!」


言いかけてるタクにぼくは正面から抱きつくようにして肩に腕を回した。タクの気持ちはよくわかっている。さきの大会での無念を晴らすことのできない悔しさ。それはぼくが試合で思う存分に晴らしてやる!そう決意を固めると廊下の奥にちょこん、と立ちすくんでいる女マネージャーの田中と目があった。ヤツは目を輝かせるとぼく達を見て黄色い歓声をあげた。


「まさか校内で白昼堂々、みんなの前でイチャついて見せるなんて!全国レベルのアツい戦いを通してすっかり自信がついたようですね!薔薇の色めくふたりの第二幕、期待してますよ!」

「クォラ!田中ぁ!!」


タクの首から腕を振りほどいて廊下の向こうへ走って行った田中を追う。こうしてぼく達穀山中卓球部の次の目標は秋の新人戦へと決まり、優勝に向けて体育館での練習を再開した。しかしこの力試しに参加した大会でぼく達の関係に大きな亀裂が走るのはまだ誰も知る由のない出来事なのであった……


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