人間も魔族も————

 ケルの種族は生まれながらに主人を見つけるのだ。

 己が仕える為に、己の忠誠を捧げる為に、決して上に立とうとはしない。


 欲を見せず、ただただ使い物とされてきたケルの種族は勿論衰退していった。

 主を見つけてしまえば種を反映させるための自由が奪われてしまうからだ。


 それでも、ケルの種族は己の主を見つけることはやめなかった。

 それが種族として————生まれた瞬間から使い魔として生きる未来を背負った者の本能だったからだ。


 一方的に衰退していくことになったケルの種族。

 永年の時を経て、ついに生き残りは一人だけ。


 まだ幼く、知性も備わり切れていない少女のみ。


 彼女だけが、種族の中で生き残ってしまったのだ。

 幼いが故に、種族的本能は掘り起こされていない。


 だからこそ、少女と一身の自我をもった二匹の生き物は、少女を————この種を絶滅させないように、使い魔として主を見つけないように、


 だからこそ、ケル達に主人はいない。

 ……魔王様と慕ってくれていても、俺はケルの主人ではない。


 生まれながらに、契約したケルの姿をしたケルしか見たことが無かった。


「ケル……」


 だからこそ、俺は目の前に広がる光景に絶句した。

 見知らぬ人から借りたバイクを置いて、ただただその姿を見上げる。


 か細い腕は巨大な毛に覆われ、程よい肉付きだった足は肥大化し、可愛らしい顔は獣の顔をしていた。

 そして、頭が三対。瞳に涙を浮かべる者や、必死に歯を食いしばる者、安心したような表情を浮かべる者————それぞれが、意識を持っているよう。


 今のケルの姿を言い表すのなら————『番犬』。

 どこぞの人間が生み出した神話に出てくるような————猛獣。


 愛くるしい姿などどこにもない。


 これが、本来の姿なのだ。

 ケルの、生まれながらにした姿なのだ。


「……ごめんな」


 本来の姿であるにも関わらず、俺からしてみれば……なんて可愛そうなんだろう————そう思ってしまう。


 醜いわけじゃない。恐怖しているわけでもない。

 ただ、ケルが望んでその姿になった訳じゃないのだと……ヒシヒシと感じてしまうからだ。


(あぁ……そうだよな)


 お前は、ただ分からないだけなんだよな。

 急な感情の起伏が、置かれた自分の環境が、自分を取り巻く人間が。

 その全てに追われ、自分から身を隠してしまったんだ。


 だからこそ、ケルは本来の姿に戻った。

 怖いこの世界から目を背ける為————皆を喰らおうとしている。


「だけど……違うんだ、ケル」


 ゆっくりと、その獣に向かって足を進める。


「グルルルルルルルッ!!!」


 唸る獣に臆することなく、前へ。前へ。

 その足を踏み入れていく。


「グガァァァァァァァァッ!!!」


 その大きく鋭い爪が容赦なく振りかざされる。

 ざっと俺の胴体くらいの大きさのその爪は、ものすごいスピードで俺に迫ってきた。


 ブシャァァァァ、と。

 激しい切り裂く音が俺の横から聞こえてくる。

 チラリと視線を動かしてみれば、俺の右腕が大きく切り裂かれていた。


 激痛なんて、今は気にしている場合じゃない。

 きっと、ケルの方が苦しんでいるのだから。


「ごめんな、今の俺じゃあお前を抱きしめてやることもできねぇよ……」


 巨大な体躯の目の前まで足を運んだ。

 いつものように、ケルを抱きしめてやるには、あまりにも俺の体は小さすぎる。


 だけど……だけどさ————


「お前は、怖いんだよな……この世界が————この世界で生きる人々が」


「ガァァァァァァァァッ!!!」


 振りかざされる手の反対側に抱き着く。

 今の俺の温もりを感じて欲しくて。できうる限り力を込めて、安心させれるように。


 ブシャァァァァ、と。

 今度は、背中からそんな音が聞こえる。


 それでも、俺は言葉を続ける。


「分かるさ……俺だって、記憶を取り戻した時は怖かったさ」


 今まで人間に非道の限りを尽くした俺が、どうしてこの世界の人間と仲良くしているのか? どうしてこいつらは俺に何もしてこないのか? 人は————こんなに優しかったのか? と。

 そう葛藤する日々は幾度も続いた。


「だけど……結局は俺達も人間も同じだったんだよ。感情を持ち合わせ、一喜一憂し、互いに手を取り合って進んで行く。そこに温もりは確かにあったんだ」


「グガァァァァァァァァッ!!!」


「その温もりは、俺がケルに対して抱いている物と同じだよ。お前も感じただろ? 今日の少年はお前に手を上げることもなく、罵声を浴びせるようなこともなく、一緒に歩いていただろ?」


 魔族だろうが人間だろうが、関係なかった。

 俺達が争っていた人間達にも、しっかりと優しさを持ち合わせていた。


 だからこそ、俺はこの世界でみんなに支えられ生きてきた。

 魔王だから————ではなく、一人の少年として……その温かさをもらって生きてきたんだ。


「…………グガァァァァ」


 唸りが、どんどんしぼんでいく。

 抱きしめているその手が、徐々に小さくなっていく。


「ケルがどんな理由で喧嘩したのかは分からねぇ……。だけど、それは決して独りよがりの喧嘩じゃないはずだ。相手も、相手なりの主張があったんだろうよ————だからさ、もう少し向き合ってみないか?」


「……」


「大丈夫。お前が喧嘩したやつだって優しい人間だ。アリスや、セシリアと同じように————心を持った、ケルと同じ生き物なんだ」


 ケルも、過ごしてきた環境が違うだけで、この世界の人間と何も変わらない。

 容姿が違うかもしれないけど————結局は、感情を持ち合わせた人間なんだ。


 だから、歩み寄ることができる。

 向き合うことができる。

 一緒に笑い合うことができる。


 ————幸せに生きることができるんだ。


「ゆっくりでいい……ゆっくりでいいからさ。困ったら俺に言え。絶対に助けてやるから……これからはずっと傍で見守ってやるからさ。だから————」


 抱きしめる感触が変っていく。

 ゴツゴツとして毛深かった抱き心地ではなく、今は————昔と……今と同じ感触。


「泣くなよ。ケルは、誰よりも優しくて可愛い————俺の大切な家族なんだからさ」


 そして————


「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっん!!!魔王様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 黒髪の、可愛らしい顔をした少女が、俺の腕の中で盛大にその涙を流していた。

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