エピローグ

 あれから一週間。

 長いようで短い夏休みも中盤に差し掛かり、未だに夏の日差しは強いまま。

 それでも、我が家では変わらずエアコンという科学の進歩の元、涼しい環境で平和な日常を過ごしていた。


「セシリアちゃん、こっち向いて〜!」


「あ、あの……」


「うんうん!やっぱりセシリアちゃんは何を着ても可愛いな〜!」


「……人の話を聞いてください」


 リビングでは、昨日購入したセシリアの私服を何着もアリス指導で着せられるセシリアの姿が。正に着せ替え人形である。


 アリスは一着着る度に黄色い声が上がり、一方のセシリアは始めこそ楽しくやっていたものの、今では頬を引き攣らせるばかりであった。


「とにかく……そろそろやめていただけませんか?お昼もまだ食べていないのですから」


「お昼!?」


 その単語が出るや否、アリスは凄まじい勢いでキッチンにいる俺の方へと顔を向けた。


「おう……あと少しで出来上がるんだが……」


 俺はアリスの反応に戸惑ってしまう。


「おっひる〜♪」


 着せ替え人形より腹の虫。アリスは手に持っていた服をソファーに置くと、楽しそうにテーブルへと座った。

 ……なんて食いしん坊な子なんだろう? 別に嫌いってわけじゃないんだが。


「セシリアも食べるだろ?今から用意するから、座って待っててくれ」


「い、いえ!私も手伝いますよ」


「ん……じゃあ、頼むわ」


 セシリアはトテトテと、薄粟色のワンピースを靡かせながらキッチンへと向かって来た。

 ん〜。やっぱり、セシリアはアリスと同じで何着ても似合うよな。


「その服似合ってるな」


「なっ!? あ、いえ……その……ありがとうございましゅ」


 噛んだことは気にしない。仕方ないんだ、急に褒めてしまったのだから。

 しかし、顔を赤くして俯いてしまうセシリアを可愛く思ってしまったのは、俺も絆されしまったからだろうか?


「それで、私は何を手伝えばよろしいでしょうか?」


「そうだな……その野菜を盛り付けてくれよ」


「分かりました」


 セシリアは分けられた野菜を皿に盛っていく。アリスとは違って手際というか、慣れている感じがする。その様は普段から料理をしていたことが伺えた。


「楓は……あの、もう大丈夫なのですか?」


 俺の顔は見ずに、セシリアはおずおずと言った感じに尋ねてくる。


「それはお前がボコボコにした時のあれか?」


「そ、その言い方は私が一方的に殴ったみたいで嫌なのですが……」


 仕方ない。正にその通りだったのだから。


「それもあるのですが、『私と一緒にいることが』ですよ」


「あぁ……そっちね」


 今の俺は人間であるはずなのに、聖女の魔力に当てられてしまう。

 それはセシリアに会った時から俺の体に起こってしまったことだ。


 一緒にいるだけで気だるさや頭痛などの体調不良が起きてしまい、なるべく近寄らないようにしてきた。

 しかしーーーー


「流石にもう馴れたよ。ほら、近くに寄っても気分悪そうに見えるか?」


 俺はセシリアに近づく。少し動けば肩が当たってしまいそうな程まで。

 実際問題、一週間以上の一緒に過ごせば馴れてきてしまったのだ。


 車酔いする人が車を運転したら酔いにくくなるのと同じで、何度も聖女の魔力を受け続け、一緒に過ごしていったらいつの間にか気にする程でもなくなってしまったのだ。


 それを証明する為、さらに俺はセシリアの手を繋いだ。


「ここまでしても大丈夫なんだ。もう心配することじゃねぇよ」


 俺は優しく微笑む。すると、聖女は首筋まで顔を真っ赤にしてしまった。


「そ、そうでしゅね……」


 噛んだ。しかし、今度はどうして噛んだのか分からない?

 ……熱でもあるのだろうか?


「……クロちゃん?」


「はい!なんでもございません!」


 俺はすぐさまセシリアから手を離す。すると、ハイライトの消えた目で見つめていたアリスは許してくれたのか、そのまま視線をずらしTVを見始めた。


 あ、危ない……あの目は怒っている時のサインだからな。


「あっ……」


 セシリアさんやい?そんな悲しそうな声を上げないでくれる?色々と申し訳なささが芽生えてくるんですけど?どうしてかは分からないが。


「と、とりあえず早く作ってしまおうか!アリスがお腹空かせているしな!」


 俺は慌てて話題を逸らし、再び昼ごはんを仕上げ始める。


「私は、幸せ者です……」


 話題を変えた途端、セシリアがポツリと呟いた。

 そして俺の服を引っ張ると、彼女は俺の方に向き直った。真剣な眼差し、それでいて幸せを噛み締めるような優しい笑み。


「私は、この世界で過ごしていて幸せです。アリスや楓といる時間はとても心地よく、セシリアとして生きているのだと実感するのですから」


 両手を胸に、大事なものを抱えるような仕草をする。


「未だにあちらの事は心配ですーーーーそれでも、何かあれば向かいますし、今はユリス達を信じることにしていますから。だから、今私はこうして幸せな日常を謳歌しています」


 向こうの世界が心配なのは誰しも当たり前。アリスも心配だろうし、俺も部下や魔族の奴らが心配だ。

 それでも、彼らは自分達の手で乗り越えていける。生きている。立派に明日を踏んでいるーーーーそう信じている。だからこそ、役目を終えた俺達は当たり前の日常を謳歌するのだ。


「だからアリスやユリスには感謝しています。私が一人の女の子として過ごせているのは、友達のおかげーーーーそして、楓には特に感謝していますよ」


「は?俺は別に何もしていないだろうが?」


「ふふっ、それは謙遜ですか?」


「ちげぇよ」


 俺は本当に何もしていない。全てアリスの為に行動したようなものなのだから。


「あなたには本当に感謝しています。私に大事な事を気づかせてくれた、私にこの環境を提供してくれた、身を呈して私の前に立ちはだかってくれた……それはアリスの為にやった事かもしれませんがーーーー私はそれで救われました」


「大袈裟なやつだな……お前は」


「大袈裟なんかじゃありませんよーーーーあ、少ししゃがんでください」


 急にセシリアが俺の肩を持って、強制的にしゃがませる。

 キッチンから頭が完全に隠れてしまい、俺はセシリアを見上げるような形になってしまった。


「お、おい……」


「これはお礼と、私の気持ちですーーーー」


 そして、頬に柔らかい暖かな感触が触れる。セシリアの顔がこれでもかというくらい近くに来ていて、何が起こったのか一瞬だけ分からなかった。


「ふふっ、呆けた顔のあなたも可愛いですね」


 そして、セシリアは小さく笑うと、俺から顔を離した。

 その瞬間、彼女に何をされたのかが理解出来始めてしまう。


「お、おまっ……!?」


「言ったでしょう?これはお礼です……私の初めてのキスを捧げるほど、楓には感謝していますから」


 そう言い残し、セシリアは出来上がったサラダを食卓まで運んで行った。


『わぁー!まずはサラダだね!』


『ふふっ、後は楓が持ってきますから、待っていましょうか』


 キッチン越しからは楽しそうな二人の声が聞こえる。



「ははっ、こりゃ参ったわ!まさか魔王たる俺が聖女にこんな事をされてしまうとは!」


 俺は起こった事実に、思わず通快な笑いが込み上げてきた。


 本当に、世の中何が起こるか分からないものだ。


 勇者であるアリスと同じ世界で暮らし、今では聖女までもがこの団欒の輪に加わっている。

 それはかつて魔王だった頃には考えてもいなかったことでーーーー


「しかしまぁ……悪くない」



 こんな事も悪く感じていない。

 それは俺も変わったからなのか。はたまたこの世界で生まれたからなのか。



「ほら、今日の昼飯だ」


「やったー!クロちゃんのご飯〜♪」


「相変わらず、あなたの作る料理は美味しそうですね」



 色んなことがあった。

 それでも、この日常は悪くない。


 だからこそ、これからもこんな日常が続けばいい。


 二人の笑顔を見て、そう思ってしまった。

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