聖女は大を守り、魔王は個を守る
……まったく。やっぱり人助けは面倒事しか起きねぇな。
俺は目の前の少女を見据えてそんなことを思ってしまう。
気づかれないように先回りして、何とかここまで来ることが出来た。幸いにして、セシリアの足取りは遅く、手遅れ————なんてことはなく、ホッとしている。
別に後ろからついて行けばよかったのかもしれないが、少し先について『特異点』とやらを見ておきたかったのだ。
夜だからなのか、少しばかり肌寒く感じる。
「……どうして、ここにいるのですか?」
アリスをゆっくりと下ろし、壁際で寝かせてあげると、セシリアは白装束を翻す。
「そんなの、お前がアリスを連れ戻そうとしているからに決まってるじゃないか」
「……そうでしたね」
「おう。ちなみに、お前とアリスのやり取りは生憎と、全部聞こえていたぞ? うちの家は防音に特化していなんだ」
木造の一軒家。アリスの部屋と俺の部屋は隣通し。もちろん、二人が騒いでいたら普通に聞こえてしまう。
……ただでさえ、アリスの声は大きいのに。
「……それで? アリスの意思も無視して連れて戻ろうとしたのは、神託とやらか?」
「えぇ……そうですよ。主たる女神からの神託によって、私はアリスを連れ戻します」
セシリアは肩を竦め、大人しく白状する。
「私の世界では、そう遠くないうちに厄災が起きます。それは、人類にとって大きな被害をもたらしますし、避けようがありません————なので、その厄災に立ち向かう為に、勇者としての彼女が必要なんです」
厄災とは何を指す言葉なのだろうか?
きっと、病の類ではないだろうが、考えうるに————魔獣。
セシリアがこの世界に来た時は、向こうの世界では俺たちが死んで数ヶ月しか経っていないみたいだった。その間に俺の部下である魔族が集結して人間に襲いかかるとは考えにくい。
……となれば、魔族や人間みたいに意志を持たない生き物である魔獣が襲って来ると考えるのが妥当。
それも、勇者クラスがいないと倒せないくらいの強大な魔獣。
「しかし、その神託が正しい証拠はあるのか?」
「証拠はありません……ですが、神託が外れたことは一度たりともありませんの
で、信じるに値します」
「事実があるってか……」
「えぇ……それに、聖女たる私が女神のお言葉を疑うなんて有り得ませんから」
そりゃそうだ。聖女とは、女神の恩恵を一番に受ける、女神の使徒とも言える存在。
そんな彼女が、自らに降りた神託を疑うなんて有り得ない。
でも————
「お前は、それでいいのか……?」
「……何がです?」
「言葉の通りだ。女神とやらの神託を真に受けて、アリスの意思も、家族も、友人も無視してまで————お前は、アリスを連れていかなければならないのか? アリスに剣を握らせるのか?」
せっかくこの世界で、女の子として過ごせるようになった。
そんな子に、女神とやらの神託の為に色々なものを取り上げないといけないのか?
……まだ、他にアリスに頼らない選択肢はなかったのだろうか?
「確かに、個を犠牲にして大を救済するお前はトップとしての器だ。民を代表する『聖女』としては間違ってない判断なんだろうよ————でもさ」
そして俺はできるだけ優しい表情で、『セシリア』に語りかける。
「お前は、それでいいのか? アリスの友達で、一人の女の子としてのお前の判断
は……正しいのかよ?」
「……」
セシリアは、俺の言葉を聞いて黙り込んでしまう。
俺の言葉が、彼女にどう伝わっているのかは分からない。でも、それだけは分かって欲しくて、道を踏み外して欲しくなんかなくて。
俺はセシリアの言葉をじっと待つ。
そして、少しの時間が経ち、彼女は口を開いた。
「私は『聖女』です。民を守る為、この選択に間違いはないと判断しました」
……あぁ、そうか。
お前は、俺の話を聞いても『聖女』としての答えを出すんだな。
……落胆はしない。それも一種の正しい答えなんだろうと思うから。
それなら————
「俺はさ……アリスが大好きなんだよ。この世界で唯一俺の全てを理解してくれて、一緒にいると幸せにしてくれるアリスが」
面倒をかけることもある、目を離すと危なっかしくていつもヒヤヒヤする、子供っぽくて頭を抱えることもある。
だけど、一緒にいると俺は幸せな気持ちになるんだ。
年齢は種族は違っているけど————それでも、俺の大切な人。
魔王としても、黒崎 楓としても————彼女は必要な存在。
「連れ戻すな————なんて言わねぇよ。お前にはお前なりの目的があってアリスを連れていこうとしているのは分かってる。だから、俺もこれ以上は言わない」
俺はポケットから手を出し、悠々と両手を広げ、幾度となく迎え撃った時の風貌を真似して毅然と構える。
「だから、昔みたいにかかってこい。俺は魔王だ。欲しいものは何でも手に入れてやる。アリスを連れていきたいというのであれば、俺が立ちはだかって見せよう」
アリスという少女は、俺の物だ。ずっと手元に置いて置きたいし……俺の隣にいて欲しい。
大きな目で見れば、個を守る悪は俺なのかもしれない。
だけど————
「さぁ、昔の続きをしようか人間。お前達の平和の為に、俺を倒して見せろ」
「もちろん、私は民の為————勇者を連れ戻してみせます」
誰もいない夜道で、昔の決戦のように光と闇が衝突する。
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